初めて会ったのは、まだSASAが高校生の頃。
出会いのきっかけは、全く別の場所から始まった。
The Moderndollzのメンバーと天神のシェーキーズでいつものように打ち合わせをした後、私は一つのイベントの話を持ちかけた。
STONESファンである私はいつか福岡の街でRockn'roll Circusのようなイベントをやりたいと思い続けていたのだが、その話を佐谷に打診してみた。熱く語る私の迫力に負けたのか(?)佐谷をはじめ、松川も乗ってきて話は盛り上がった。
佐谷の了承を得た後、インディーズ系のレコード会社を立ち上げたばかりのボーダーラインの甫足さんの元へ出向いた。彼なら私の想いを何とかしてくれると変な自信があったから不思議だ。
案の定、話はまとまり、その夜、甫足さんとモダンドールズと一緒にビートルズのコピーをやるバンドが出演していたパブに集合し決起会!が深夜まで繰り広げられた。
出演バンド候補のピックアップは、即みんなの意見が一致。「モダンドールズ」「山部善次郎」「ティーネイジニュース」。3バンドが決定。強力な3バンドの組み合わせに満足。
そんな私にむかって甫足さんが「ザ・シャムって知っとぉね。」と唐突に言い出した。
当時、勢いのある高校生バンドであるという噂は耳にしたことがあった。甫足さんはシャムのイメージ写真をテーブルの上に置き、近日発売予定のデモテープを流し、みんなの感想を聞いた。
4バンド目が決定したのは言うまでもない。
そしてSASAと出会った。まだ高校生だったSASAの第一印象は強烈なものだった。
イメージ・プレゼンテーションの重要性を知る佐谷という男が身近にいたので、驚きはしなかった。
SASAも自分達が表現する全てのものに拘りを持っている男。
でも佐谷とは違う、独自の拘りでバンド内の全てを支配している彼に恐れに近いものを感じたような気がする。そんな凄さを感じた。
あれから時が過ぎ・・・・・。
2004年3月、SASAは東京の舞台の上に上がった。
でも特に驚きもなく、来るべきときが来たという感じ。
彼のアイデンティティを活かすための新たなステージが追加されたということだ。
いつか福岡の地で、彼のアクター振りを鑑賞する日は近そうだ。
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数ヶ月前、the hundredsのBe-1(博多)のステージ後の打ち上げで私たちは偶然にも演劇についての話をした。高校生の頃に出会ったときから感じていた、きっと演劇の道に進むだろうという漠然としたイメージをSASAに伝えると、当然のように頷いていた。それまでにも舞台俳優の「山本哲也」と音楽とパフォーマンスのコラボレーションをライブステージ上でやってのけてはいたし、モッズの森山の監督作品で映画出演していただろう。でも、私のイメージするSASAのエンターテインメントの世界は、更にその先の段階。
彼は音楽にとらわれず、心に感じたままに自分を表現し続けていくのだだろう。
音楽、演劇、美術・・・・・。彼の世界にボーダーラインはない。
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