NO.17 「隣のドロシーさんとレイチェルのこと」 2001年08月号

今の世界で人間が一生のうちに、たまたま隣に住んだ人と親しくなるチャンスがどれくらいあるのかわからないが、わたしにはいくらか覚えがある。
オーストラリアに住む前の東京のアパートのお隣さんだったケリーちゃんと、同じくお隣が家だったそのアパートの大家さん。それからオーストラリアでのお隣さんドロシーさんと、ドロシーが亡くなってから彼女の家に引っ越してきたレイチェル。今回は彼らを記憶するためにも、このドロシーとレイチェルについて書いておきたいと思う。

ドロシーさんは1910年8月5日生まれ。1999年の誕生日の数日後、89歳で亡くなった。わたしがオーストラリアに移住したのが1996年の初夏だから、丸3年の付き合いだったことになる。
オーストラリアの家に引っ越して間もなく、庭仕事をしながら低い垣根越しに彼女と話すようになった。自分の庭をいじり尽くしてしまうと、彼女の庭の草を抜くようにもなって、ますます親しくなった。
彼女はとても印象的な女性だった。とても高齢で、足も不自由でほとんど歩き回れないのに、たった一人で生活しており、しかもいつもきれいに化粧して、身ぎれいな服にひとそろいのアクセサリーをコーディネートして、明るく元気だったからである。
部屋の中も常に完璧に整えられていた。
正直ちゃんと聞いていないときもあったのだけれど、彼女は彼女の人生のすべてを繰り返し語ってくれた。わたしが彼女の生年月日を正確に書けるのもそのためである。

彼女には娘と息子がおり、旦那さんは彼女が40くらいのときに突然心臓発作で亡くなった。朝起きると旦那さんは隣で紫色になっており、駆けつけた医師によって、何時間も前に亡くなったことを知らされた。
ドロシーは子供たちをカレッジにやるために働きに出、やがて娘のマーガレットは結婚し、息子のアランは志望の警察官をドロシーに反対されて、もっと撃ち殺される可能性の少ない仕事についた。その息子のアランも、彼自身が40くらいのとき、旦那さんと同じく心臓発作で亡くなった。

亡くなる前の1年間、ドロシーさんはうちの猫のフロイドの飼い主でもあった。先住のやくざ猫のウルフの存在に加えて、うちに犬のルビーが来てすっかり居心地が悪くなったフロイドは、静かなドロシーさんのうちの庭に河岸を変え、そのうちドロシーさんはフロイドのために、夜は裏のドアを少し開けて寝るようになった。フロイドはドロシーさんちのサンルームの寝椅子をベッドにしていたのだ。

そのうちドロシーさんがうちのドアをノックして、「猫が怪我してるから見てやって。」とか、「猫のエサを切らしちゃったから買ってきてくれる?」なんていうあんばいになった。
エサ代を払おうとするので、「いいですよ、どうせうちの猫ですから。」と言うと、「まあ・・・うちの猫かと思ってたわ。」なんてニコニコしている。

当時知り合いだった猫キチのジェニーは「あなたは寛大すぎる!わたしは自分の猫がそんなことになったら相手に抗議するわ!」とカンカンだったし、ドロシーの娘のマーガレットも「ママはいつもよそ様の猫と深い仲になってしまうの。」とすまなそうだったが、裏庭の高い塀越しに聞こえてくるドロシーとフロイドのアツアツの会話を聞いていると、ふたりの間に割り込む余地はないという感じがした。ドロシーの声はとろけそうであり、それに答えるフロイドの声はもっとデロデロだった。

わたしは職業柄かなり孤独には詳しいし、いわゆる愛玩動物が孤独な人間に与える劇的作用についても相当詳しい。けれども、ドロシーくらいの孤独というのには、わたしもちょっと想像が及ばない。それを考えると、そして彼女の死がすぐそこまで迫っていたことを考えると、フロイドは彼女の最後の、そしてもしかしたら最高の恋人であったことになる。

ある日出かけ際に、玄関ポーチにいつものようにたたずんでいるドロシーに声をかけると、遠くを見ているような風情で返事がなかった。彼女を見たのはそれが最後である。
よく彼女を世話しに来ていた娘のマーガレットが数日後うちに来て、彼女が養老院に入ったことを教えてくれた。
間もなく家は売りに出され、競売のあった翌日に彼女は亡くなった。

数ヶ月して隣にレイチェルとマイク夫婦が越してきたとき、わたしは彼らがいい人間で、わたしたちが仲良くなるという確信があった。死にかけたドロシーの魂が、オークションの場に居合わせてきちんと適切な人間に家を落札させていったに違いないからだ。
だが最初に簡単に自己紹介したきり、マイクと数回垣根越しに話した他は、レイチェルの姿を見ることは、さらに数ヶ月間一度もなかった。
やがて春が来て、夏が来た。
ドロシーが亡くなって半年くらいが飛ぶように過ぎる中のどこかで、わたしは日本に帰ることを決めた。犬を手放すことを決めた。そしてそんなころのある日、裏庭の高い塀越しに、レイチェルの歌声を聞いた。

それは春か初夏の、のどかな暖かい日だった。それより美しい歌声を、わたしは聞いたことがないと思った。歌がうまかったとか、声がよかったとか、そういう話では全然ない。彼女は夫と共にやっと手に入れた小さな家の裏庭で、花に水をやるか何かしながら口ずさんでいた。その歌声は、彼女がいかに満ち足りているかを物語っていた。
その幸福が、わたしの胸を貫いたのである。
その歌声を、わたしは一生忘れないだろう。
しばらくの間わたしはその歌声をたびたび思い出しては泣き、涙におぼれながら、ろくに話したこともない彼女の幸福が、いつまでもいつまでも続くようにと祈った。

彼女と2度目に話したとき、彼女が挨拶の次に発した言葉は以下のようなものだった。
「このごろフロイドの姿が見えないけど、どうしたの?」
これには少々驚いた。フロイドというのは、ご存知のうちの猫だが、わたしとレイチェルははるか以前にたった一回挨拶しただけの仲で、フロイドのことは彼女の夫のマイクに「あの猫なんていうの?」と尋ねられて名前を教えただけだったから。

彼フロイドは、実はこのとき行方不明になっており、わたしはすっかり彼が死んだものと思っていた。ドロシーが亡くなった後、フロイドはうちに戻って食事するようになっていたのだが、よだれを垂らしたりしてどうも調子がよくなく、医者に連れていこうとした矢先に失踪したのだ。
わたしがいきさつを話すと、レイチェルは心から心配しているふうで、「あれは本当にいい猫よね。」なんて言っている。
よく聞いてみると、フロイドはドロシーが亡くなって家主が変わってからも、まるで我が家のようにレイチェルとマイクのものになった庭を行き来し、新しくふたりがすえたベンチで、腹を出して昼寝したりしてたらしいのだ。
「まるで葉巻でもくゆらしてそうな大胆な態度なんだよ。ここが彼のうちで、ぼくらが店子と言わんばかりの。」と、マイクは言った。

それから、わたしたちは親しく行き来するようになった。わたしは誘われて、レイチェルが会員になっているフェルト作りのクラブに参加して彼女にクラフトを教わり、彼女は三日とおかずにうちのドアをたたいて、あちこちの催しに誘ってくれるようになった。
彼女はスコットランド人の移民だった。オーストラリア人の夫のマイクとスコットランドで出会い、故郷をあとにしたのだ。
彼らには子供がいなかった。オーストラリアに移ってからは、とても小さなアパートで暮らしていたという。
彼らの買ったドロシーさんの家は、小さく古く、あちこち痛んで地面に沈みだしていた。それでも彼らは家を修繕し、庭に池を掘り、少しずつ家具を運び込んで、新しい生活を心から楽しんでいた。マイクは古いボートを買い、時間をかけて修繕し、数ヶ月後には川遊びをする計画を立てていた。レイチェルはセカンドハンドでフェルト作り専用の木製の大きなテーブルを買って、かつてフロイドの寝床だったサンルームに据えた。
「すごい贅沢よね。」
と、レイチェルは言った。

やがて引っ越しが近付いたころ、家から車で5分くらいの場所に住む人から、フロイドを預かっているという連絡が入った。
「ダイヤモンドの首輪の猫なんですけど、あなたの猫?」と電話をしてくれた奥さんは言った。フロイドはガラス玉の付いた首輪をしていたのだ。首輪には鑑札がついており、その人は鑑札の番号から飼い主をたどってくれたのだ。
フロイドは見るも無残な状態で、猫エイズに感染していた。かかりつけの獣医のトレバーが「日本に帰るまでにベストコンディションにしよう。」と保証してくれた(ちなみに日本の動物検疫では、当時オーストラリアから輸入される猫は狂犬病にかかっていないという保証があれば通過できた)。

引っ越しがあと1ヶ月、2週間、1週間と迫り、家具その他が売られたりパッキングされたりして家の中が機能しなくなってきたころ、「それじゃごはんも作れないだろうから」と、レイチェルたちが昼食や夕食に招いてくれた。
犬は郊外にもらわれてゆき、うちの小さな池に一匹だけ飼われていた金魚は、レイチェルたちの大きな池に放された。先住猫のウルフは、次の店子が決まるまでレイチェルたちが監視してくれることになった。

引っ越しの荷物が運ばれるころ、近所の人たちが出てきてくれたり、こっちが出向いたりして挨拶をかわした。時々フロイドにエサをやってくれていたらしい向かいのマイク老夫婦、その隣のイタリア人のマリア一家、レイチェルのうちの隣のギリシャ人のおばさん、ドロシーさんとも仲が良かったフラウさんと、いつもうちの芝を飼ってくれたその旦那さんのアラン、毎年トマトの苗をくれた名前も知らない近所の移民のおばあさん、そしてあの寛大な大家さんのピーター。
4年弱の間に2度取引をし信頼関係があるからと言って、現金で車を引き取ってくれたうえ(それもオーストラリアではめずらしいような正当以上の価格で・・・)、引っ越し当日までそのまま使わせてくれたディーラーのトニーに車を返し、最後の夜を過ごすホテルに荷物を置き、レイチェルとマイク、そしてあのアリスンなど、ごく親しいメンバーだけでレストランで食事をした。
最後は世界でも指折りに美しいであろう夜のメルボルンをアリスンと歩き、抱き合って別れた。

そしてもちろん、フロイドは日本の検疫を無事通過した。
飛行機が成田に着いた後、貨物地域のいくつものオフィスを回って書類に次々ハンコをもらい、最後にノリのいい獣医さんの検診を受けてわたしと息子の手に返され、そのまま電車に乗ってわたしの両親宅へ直行した。
わたしと、二十歳で独立する息子が別々に住居を探している間、両親宅に滞在していた時も彼は一度行方不明になり、2週間も戻らずにあきらめかけられたのだが、あるとき道でばったりわたしと出会って、そのまま連行された。

今の彼はマンション猫となってわたしと暮らし、行方不明になっていたころからは信じられないほど丸まると太り、病気とも思えないほど毛もつやつやで、悠々自適の毎日である。引っ越しの過程で何度も「ほんとに運のいい猫」といろんな人に言われてきた彼だが(そんなに運がよい上に本人がまったくそれに気付いていないので『フォレスト・ガンプのようだ』とも言われている)、それも当然といえば当然である。
何しろあのドロシーが、いつも彼を見守っているのだから。

そんなわけで現在悠々自適のフロイド様
<Photo/Yasay Kemonogi>

 
<2001年8月28日号>


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