期待をするのをやめると、いろんなことが楽になることがわかりはじめた13回目の夏。私はいつものように森にでかける。避暑で毎年来るこの場所で、唯一私が気に入っている大きな木の下。丘から見下ろす風景に夏のバカンスに浮足だった街は小さく、鬱陶しい喧噪はここまでは届かない。誰もいない、ひとりきり。私はようやっとここで息がつける。私だけの場所、私だけの景色。・・・だったはずなのに。今年は様子が違ってしまった。
「アンタいっつも難しそうな本読んでるんだねぇ」 「・・・・・・・・・・」 「それ、何の本?」 「言ってもどうせわかんないでしょ。・・・お願いだから邪魔しないでくれない」 「おーお、眉間にしわ寄せちゃって。こーわー」 イライラする。このいかにも軽薄な男。確かにここは私の土地じゃないし、誰がいたって文句を言う筋合いじゃないけれど、なんで今年はこんなのが隣にいるんだろう。たった一日のことだろうと思ったのが甘かった。コイツは唐突に現れてから毎日毎日、私よりも先に居座っていて、私を見つけると大袈裟に歓待する。場所を変える猶予も無いまま、私はコイツの隣に座ることになるのだ。いないものだと言い聞かせて、読書に没頭していればこうして人の都合などおかまいなしに話しかけてくる。 「あ、街のほうでポンポン、花火が上がってるよ。祭でもあるのかなぁ。アンタ知ってる?」 「さあね。興味があるなら行ってみれば。私のことならどうぞおかまいなく!」 「アンタが案内してくんないなら、別にいいや」 「人のせいみたいに言わないでよ。気分が悪くなるじゃない」 「じゃあ、一緒に行く?デートがてら」 「・・・・っなんでっ!!私があなたみたいのとデートなんかしなくちゃいけないのよ!私はっ・・・」 「・・・私は、なぁにぃ〜?」 そこまで言って後が続かなくなった私を見て、にやにやと笑う。からかわれている。途端、怒りで耳まで熱くなるのを感じた。 「馬鹿にしないでよっ!!!」 気がつけばヒステリックに怒鳴っていた。立ち上がって、私は後ろを振り返らずその場を後にした。 その翌日、私は森には行かないで部屋にずっとこもっていた。祭のざわめきが聞こえてくる。アイツは今日は行ったんだろうか。街の女の子たちが騒ぎ立てるのが見えるようだ。私が案内してやらなくたって、相手に困らないだろう。軽薄同士きっと上手くやってるに違いない。 ふと、鏡にうつる自分が目に入る。くすんだ色の硬い髪、メガネの奥の落ちくぼんだ目。低い鼻。自分のことは自分が一番よく知っている。無いものねだりなんかするほど子供じゃない。諦めとか妥協とか、そういったこととは質が違う。はなからあり得ない夢をみて、がっかりするのは馬鹿馬鹿しいってそれだけ。そんな暇があったら本が一冊読める。 窓の外はすっかり日が沈んで、星がいくつか見えだしていた。唐突に今夜が流星群の現れる日だということを思い出した。あの丘からならよく見えるだろう。見たい。私は家を抜け出した。祭の騒ぎに背を向けて森へ急ぐ。いつものあの木が見えてくる。誰もそこにはいなかった。 流星群、といってもそうそう頻繁にあっちにもこっちにも、と見えるわけではない。闇に目を慣らしながら、じっと膝をかかえ空を見つめる。しばらく経った後、ようやっと星がひとつ流れた。 「あっ」 一瞬の出来事につい声が出る。見間違いかもしれないと渾身に目を凝らして次の流星を待つ私の、頭上から次に降ってきたのは星ではなかった。 「へえ、こんな時間に会えると思わなかったよ」 それはこっちの台詞だ。まさかこんな時間にもここにいるとは。 「あなたこそ・・・・いったい、なんなの??私につきまとわないでよ」 「別につきまとっちゃいないよ。ワタシがどこで何してよーが、別にアンタの許可はいらないでしょ。アンタも自由なら、ワタシも自由さ」 「そっ・・・そうだけど・・・」 そう言い返されてしまっては、私がまるで自意識過剰みたいではないか。否定の為に言葉を継ごうとして、なおさら墓穴を掘るような気がして口をつぐんだ。 沈黙。珍しくこの軽薄男も今夜ばかりはあまり口をきかない。祭も終わってしまったようで、街の灯も消えていく。どんどん周囲の闇は深くなった。 時折、流れる星。いちいちそれにも驚かなくなったころ、私は横目で彼を見た。視線に気付いたのか、唇が動いた。 「やけに真剣に見てるんだねえ、流れ星。なんか願い事でもあるわけ?」 「くだらない。そんなこと信じてるなんて、あなたも随分子供なのね。私は純粋に32年ぶりの大流星群を見に来ただけだもの。大体、消える前に望みを唱えるなんて物理的に」 「できっこない、って?・・・ま、そりゃそーだ」 軽くいなされ、またもやなんだか悔しい。せっかく一人でゆっくりと星を見ようと思って来たのになんでこう腹が立つことばかり。全然集中なんかできやしない。なら、さっさと家に帰って寝たほうが、と思った矢先。 「誰が言い出したんだろうね。流れ星が願い事叶えてくれる、なんてさ」 唐突な話題だった。 「・・・・さあ・・・・・。でもどうせ、どこかの神様とかじゃない」 「神様?ああ・・・そうだね。神様はいつだって何でもわかった風に上から人を見おろして面白がってる」 「そ、まるでいつものあなたみたいに!」 「・・・・ワタシは神様じゃないよ」 彼の声はほんの少しだけ、低かったように思えた。どきりとした。つい、しどろもどろになる。 「あ・・・ったりまえ、じゃない。誰も・・・そんなこと」 「何慌ててんの、おっかし〜」 「・・・・・・・・・・帰る」 「ごめんごめん。まあ、そう言わないで、もうちょっと付き合ってよ」 随分と率直な申し出に、私も素直に浮かせかけた腰を戻した。横目で彼を見る。空を見上げるその表情は、昼間の陽射しの下で見るいつもの彼と同じだった。私は少しほっとした。さっき、ほんの一瞬違って見えた表情はきっと気のせいだ。 彼はしばしの沈黙のあと、また口を開いた。 「神様、かあ。いるのかな、本当に」 「いたらどうだっていうの。お願い事、するの?」 「はは、面白がるばっかのヤツに言う願い事なんか無いねぇ、あいにく。叶えたい望みは叶えりゃいいんだ、自分でね」 凄い自信。でも彼にはとても似合ってみえた。 「だからワタシにはわからなかったんだ・・・『夢』って言葉の意味が」 「夢?」 急に言われて面食らう。夢?寝てる間に見る夢、とは違うほうの? 「そう、その夢。ここのところ、ずーっと考えてた。答が出ないから、ワタシはこうして逃げ回って・・・・でもそろそろ潮時」 逃げ回ってる?何から?潮時?私の頭の中は疑問符ばかり。でも、何故かはっきりと聞いてはいけないような気がして、少しだけ論点をずらす。 「そんなに無理して答出さないといけない問題?そんなこと。よくわかんないんなら放っておけばいいじゃない。別に夢なんかなくてもいいんだし。私は嫌いだわ、夢って言葉。夢なんて言うと、逆に叶わないって言われてるみたい」 「だよねえ、ワタシもそう思ってた、ずっと」 「今は、違うの?」 「全部わかったわけじゃないけどね。アンタと話してて、少しだけはっきりした」 私との会話で?そんなこと少しも・・・。 「星が消える前に望みを唱えることはできない、って、さっき言ったよね。単なる流れ星にそんなこと思うほうが馬鹿げてるって」 確かに、そう言った。それが何だと言うんだろう。 「この星降る夜の下、いったいどれくらいの人がその”馬鹿げた事”してるんだろう」 「きっといっぱいいるわね、世の中夢見がちな人って多いし。ほんと呆れちゃう」 「でも、少しは羨ましいと思ってる。そんな馬鹿馬鹿しいことを信じてられる人達が。違う?」 「・・・・・・」 「ほうら言い返せない。ワタシもアンタも、どこかすっきりしてない、馬鹿げたことって言いながら」 「・・・そんなことないわ!」 私はムキになっていた。 「どんな流れ星も願い事を言い終わるまで待ってはくれないわ。突然魔法のように悩みが消えて、すべてに満足する日なんて来ないわ。神様なんか、いやしないわ。そんなことばかり考えて時間を無駄にするような夢想家には、私はならないわ。期待するだけ虚しいもの、だったら・・・」 「諦めといたほうが身のため、って?なんだか負け惜しみっぽく聞こえるねぇ」 「負け惜しみ?変なこと言わないで。自分の身の程を知ることは大事なことでしょ、それのどこが負け惜しみなの」 「じゃあアンタはそれを言い訳にしてないって言える?」 ・・・・・・・。 「確かに流れ星なんか信じるのは子供っぽいかもしれない。でも信じるってことにもパワーはいるんだ。それが一見できっこない、馬鹿げたことならなおさら、ね」 彼の金の髪を透けて、星が一筋流れるのが見えた。瞬きするよりも短い、一瞬。 「誰かに、間違ってないよって言ってもらいたいんじゃない。自分で自分をどこまで信じ切れるかが問題なんだ、きっと」 次は、次こそは巡ってくるかもしれない、長く長く尾をひいて、いつまでも消えない星。そんな奇跡。世の中に絶対なんて、無い。 「現実を見ることは大事。夢ばっか見ててもお腹はふくらまない。それは私だってそう思ってるよ」 でも、と彼は笑った。 「神様にいいように操られるもんかって、キリキリ予防線張ってるばっかってのもカッコ悪い感じ」 小賢しく先手を打ってるつもりが、いつのまにか言い訳にかわる。そんなこと最初からわかってた、期待なんかしてない、自分は騙されない・・・。望む未来も、すべてが予定調和のうち。奇跡の星はそんな目に映らない。 「私も・・・アンタも単に臆病者だったんじゃないかなぁって。見えない明日に怖がってただけなんてわかったら、悔しくない?」 「・・・・うん」 「雲の上からエラソーに見てるヤツにだって一言言いたくもなる、できっこないと思って甘くみるなよって」 「あはは。そうやって高みの見物してるとそのうち流れ星つかまえるヤツがいるかもよ、って?」 「その時はこのそばかすだって消してもらうぞー!ステキな彼氏だって欲しいぞー!!」 「・・・・ちょっと待ってよ、それ誰のことよっ!!」 「あれ、違った?また怒らせちゃった。・・・これだからアンタに嫌われるんだね」 急に優しげな口調に、どきりとする。体中の血が頭に集まる。 「・・・・・・・・別に嫌っちゃいない・・けど」 「あ、そうなの?や〜だ、ワタシに惚れたら泣きみるよ〜」 何食わぬ顔でしれっと言い放たれて、私の頭に集まった血は即座に意味を変えた。 「別に惚れてもないわよ!この自信過剰の軽薄男!」 どちらともなく笑い出す。こんなに笑ったのは久しぶりだった。ひとしきり大笑いした後、彼は腰を上げた。 「そろそろ行かなくちゃ」 行くって、どこに?私の問いに彼は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「神様に文句言いにさ。アンタの言葉も伝えておくよ」 「待ってよ、神様が言ったって言うのは私の想像で」 「はは、そうだった、じゃその確認から話はじめておく。いくらでも時間はあるからね。・・・ワタシなりの夢の意味も、まだまだ考えてみるよ、あの場所で」 そう言って彼は視線を上げた。つられて見たが、そこには星空しかなかった。あの場所、ってどこだろう。彼の声が耳元で響いた。 「・・・いろいろサンキュ」 瞬きよりも短い一瞬。私の右の頬に落ちた、流れ星。そこだけが熱い。気付いた時にはもう彼の姿は無かった。
それきり、彼と会うことはなかった。思えば名前すら聞いていなかったことに、後から気付いた。夢の意味、考えてみるよ。彼の最後の言葉の意味は、未だにわからないまま私の中にあって、時折取り出しては、そのまましまった。相変わらず、夏が来る度訪れる森。いつもの木の下。時間が経つごとに薄れていく彼の顔。私なりに繰り返し考える”夢”の意味。あの夏の出来事は、それこそ夢だったのかもしれない。それでも別にかまわないと、思っている。
(終)
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人生の終わり「絵」| |