あっさり置いて行かれて、いかばかりか時が経つ。オリヴィエとリュミエールはすでに手持ちぶさただった。
静かな川辺、適度に湿気を帯びて肌に心地よい微風、重なる葉を透かして柔らかく振り降りる光。せせらぎの音と遠い鳥の声が、上等な環境音楽のように耳を撫でる。ここがごつごつした岩場でなければつい横になって、眠ってしまいそうだとオリヴィエは思った。
オリヴィエは素足になって川の水に足指をひたした。水の冷たさで、少しばかり気分もすっきりしてくる気がした。
「ね〜、リュミエール」
「何でしょう?」
「あのさ、オスカーの言ってた…ダビデ、って何?」
特に興味があったわけではない。ふと思い出したので単に聞いてみたくなった、閑話休題である。
「ああ、巨人を倒した少年の名前じゃないでしょうか、『旧約聖書』の」
「キューヤクセイショ?」
「とある惑星に伝わる、古い、聖人伝説などを集めた書物…確かあの本は、守護聖教育の期間には誰もが読むことになっているはずですが」
「やだ、今更。憶えてるワケないじゃない、ワタシがそういうの好きじゃないの知ってんでしょ?」
「自慢げに言われても…」
そう言いつつリュミエールは微笑んで、かいつまんで説明を始めた。
時の王に召し抱えられていた少年が、たったひとりで己の身の丈の倍以上もある敵の巨人戦士に立ち向かい、その額を投石でうち砕き倒し国を勝利に導いたという旧約聖書の中でも有名な一話。
「その少年がダビデ、後のダビデ王です」
「…それだけ?」
「それだけです、けど。…何か不満が?」
「べっつに〜。なんかもっと深い意味でもあるのかと」
「オスカーがどのような意味合いで言ったかは厳密には知りませんが。しかし…オスカーの意外に知的な一面を見ましたね。なかなかああとっさに出るものではない」
「…と〜か言っちゃって、自分だってすぐわかったって思ってるクセに」
オリヴィエは面白くなさそうに、川につけた素足を軽くふりあげた。しぶきがあたりに舞い、落ちる。
「私がその物語に覚えがあったのは、その少年が竪琴の名手でもあったという記述があったからです。まさかすべては憶えきれません」
「憶えなきゃいけないもんなの?単なる一惑星の伝説でしょ?そんな話、山とあるじゃないさ」
「この宇宙にある惑星にそれこそ星の数ほどもあるそうした伝説は、かつての守護聖達が各地で残した功績を伝えたものだとも言われています。まあ確かに…あまり信用に足りうる資料ではないですけれどね。伝承は時が経つにつれ内容が変わってしまうもの、嘘や創作部分も多い。当然ながらすべての伝説が守護聖や女王に関わるものであるとは到底思えないですし…」
「なんでもかんでも私らのせいにされても困るよ」
二人は笑いあった。
「そういえば…遅いですね、オスカーは」
「すぐ戻るって言ってたわりにはね。…迷ってるとか」
「まさか、いくらなんでも」
リュミエールがそう言った時、背後から声が挙がった。
「そこの二人!!」
「え?」
振り返ると、武装した兵隊らしき姿の人間がふたり、こちらに銃口を構えている。突然の出来事。ここは見知らぬ、何が起こるともわからない土地だったのだということを今更ながらに思い出すオリヴィエとリュミエールであった。が。
兵に銃口を向けられる、そんなアクシデントに見舞われながらも、そこにあるはずの緊迫感は、無かった。何せ彼らは銃口を向けているものの、手は震えているし、腰もひけている。オリヴィエとリュミエールに出くわして、驚いているのはどうやら向こうのほうだった。間の抜けた沈黙。破ったのは兵のひとりだ。
「…あ、怪しい奴め。この土地の者ではないな。何者だ、いったいここで何をしてるんだっ」
物凄い形相、時折裏返ってさえいる怒鳴り声。オリヴィエは、ともすれば吹き出してしまいそうになる自分をなんとか抑え、言った。
「え…っと、あの、何してるってワケでも…ねえ」
リュミエールの顔を見る。彼も緊張より困惑をあらわにしている。
「ザリガニ捕り、とか…でしょうか?」
「な。なに?…いい歳して、ザリガニ捕り?」
兵の声はなおもうわずる。
「い、いいからっ、とにかく!手を、あげろ!!」
言われたとおりに、手をあげる。しかし、その後にはなんだか間の抜けた空気が通り抜けるばかりであった。
オリヴィエが小声でリュミエールの耳元に囁く。
「…んで、どーしようってのかな、この二人は」
「…さぁ…しかしあまり怒らせないほうがいいのでは…」
その時、再び茂みから別の人物の気配。
「オスカー?」
ついリュミエールの口をついて出た名前に、反応はなかった。そこから登場したのは赤い髪の大男ではなく、柔らかな茶がかった金髪の、これまた見知らぬ若者であった。
彼は武装はしていない。ごくごく普通の、森にきのこ取りにでも来たといった風貌である。この状況にもさして動じた様子もない。いったい誰だろう。
彼はオリヴィエとリュミエールに一瞥をくれてから、銃を構える二人のほうへ視線を向けて、言った。
「…こいつら俺の知り合いだから。おめーらはさっさと戻りな。時間の無駄だよ」
「ヨシュア…。この二人がお前の知り合い?そんな話、信じ…」
ヨシュアと呼ばれた若者は少々皮肉っぽく笑みを浮かべる。
「俺の知り合い、全部知ってんのかい?」
「そ・そりゃそうだが…」
兵の二人より、この若者のほうが強い立場なのだろうか。言われたほうはしどろもどろだ。一気に、若者は続けた。
「こいつら捕まえても手柄にも何にもならないよ。余計な面倒増やすだけじゃん?見なかったことにして、帰って酒場にでも繰り出したほうがいいと思うよ」
彼は斜面を軽やかに滑り降りて、オリヴィエとリュミエール、そして銃を持った二人と同じ場所に立った。二三度身をはらって、顔を上げ、言う。
「な?ここは俺に免じてさ。今度、サービスするから」
「……わかった。お前がそう言うなら。…おい、行こうぜ」
あっさりと二人は場を立ち去った。
彼らの背を見送りながら、あっけにとられるばかりのオリヴィエとリュミエールである。理由はわからないが、一応窮地は逃れたらしい。しかし、いったい。
謎の青年はくるりと、腑に落ちぬ二人を振り返る。そして歩み寄って来て、オリヴィエとリュミエールのふたりに親しげな笑みを向け、言った。
「あんたら、誰?どうしてこんなとこにいる?」
「……!……」
思わず背筋に緊張が走る。そう言って笑顔の彼の手には、小さな、しかし切れ味のよさそうなナイフが光っていた。
敵か、味方か?…とにかく一気に、状況は緊迫。
人だ、人の声がする。
オスカーはとっさに近場の大きな木の幹に、身を隠した。歩み寄ってくる複数の気配。話し声が聞こえてくる。
「まったく…ムカつくなぁ!アイツは俺達を馬鹿にしてんじゃないのか」
「でもつかまえたところで、確かに面倒くさいことにはなってたぜ」
「まあな。こんなこと初めてだもんな…。こんな森、見回る仕事がなんであるのか不思議なくらいだったんだが」
「おとなしそうなヤツらだったから、まさか暴れたりはしなかっただろうけど」
「最初、女かと思ったよ俺。やけにでけえオンナだなーって」
「え?女じゃないのか?」
「男だったよ、オマエ、ビビってよく顔も見なかったんだな〜」
「うるせえ、お前だって手も声も震えて、あっち呆れてたぜ?」
「……射撃訓練とはワケが違うよな、やっぱ。生きてる人間に銃向けるのはさ」
「だよな。やっぱ無かったことにして正解、つーことだろ」
……。この会話の内容、オリヴィエとリュミエールのことか?
体勢を少しだけ変え、声の主をのぞき見る。軍服に身をつつんだふたり。時折思いついたように森の茂みをがさがさと銃身でさぐったりしながら、こちらの方向へどんどん歩み寄ってくる。この地は戦場なのか?…いや、銃の扱いに慣れていないと言っている。彼らからも戦地にいる軍人の緊張は感じられない。
オスカーがそんなことを思っている間に、どんどんふたりは近づいてくる。見つからずにやりすごすのも難しい状況になりつつある。
そこまで思って、オスカーははたと考えた。
これは「RPG」ではなかったか?人が現れたからといって身を隠しやりすごしていたのでは、いつまで経っても物語は展開しないではないか。物語が先に進むための重要なヒントを、あの二人は持っているに違いない!
オスカーはおもむろに幹の後ろから身を躍らせた。
「歓談中申し訳ないが!」
「うわっっっっ!!!!!!」
腰を抜かさんばかりに飛び退き、大声をあげる兵ふたり。まるで熊にでも出くわしたような彼らのリアクションに、オスカーは困惑する。
「あ…驚かせてすまん…が」
「だ、誰だ!!…お前も、ヨシュアの知り合い、か?」
「ヨシュア??誰のことだ?」
思わず条件反射に答えるオスカーに、二人は声を荒げた。
「……知らないんだな?関係無いんだな?」
「いきなり何を」
「いいから答えろ!!」
「知らん。」
聞く耳を持たぬ兵たちに、オスカーはきっぱりと答えた。
「これでいいか?…それでだな、俺はちょっとばかり聞きたいことが…」
そう言いつつ、ポケットを探る。例のチラシを取り出し、顔を上げたオスカーの鼻先には銃口がふたつ、ぴったりと狙いを定めていた。
「し・侵入者に教えられることなどない!」
「侵入者?おいおい、お前らの敵が何だか知らないが俺は…」
「黙れ!!抵抗すると容赦なく撃つぞ!!」
まずい。経験の浅い弱いヤツほど激昂して何をするかわからないのが世の常だ。
「………抵抗なんざしない、俺はこの通り丸腰だし」
「とっ、とにかく!一緒に来てもらう、話はそれからだっ!!」
声は相変わらず弱気にうわずっている。明らかに雑魚。だがしかし、ここでこいつらをぶちのめしてしまっては、また先が見えなくなるのかもしれない。オスカーは一瞬考えて、とりあえず、手を挙げた。
「・・・ようし、そのまま、ゆっくり歩け!逃げようなんて考えるなよ」
「ああ」
頼むから、撃ったこともない銃を振り回してくれるなよ。
心で呟き、この場は言うとおりに従順を装うことにした。兵ふたりに挟まれ歩きながら、オスカーの頭に反芻される、さっき聞こえたこの二人の会話。
オリヴィエとリュミエールはこの兵に出会って、しかもどういうワケか捕まらなかったらしい。
ここでも俺だけか…、なんでだ?あの二人が「女みたい」で「おとなしそう」だったからか。じゃあ俺はなんなんだ、やっぱり熊か?
………。
くだらないことを考えるのはよそう。
とにかくとんだ新展開になってしまった。まったく今日は厄日だ、とオスカーはひとりごちる。
あの二人はその後どうなったんだろう。
「なんか言いたげだな」
「いや」
どうせ聞いても答えてはくれまい。
オスカーは見せそびれたチラシをまたポケットに戻しながら、空を仰いだ。
そうして同じ空の下、”あの二人”もまた、とんだ新展開を迎えていた。
<つづく>