その中年男が入ってくるなり、狭い締め切った部屋にはほのかにアルコールの臭いがたちこめた。男は粗末なソファに座らされたオスカーの横を通り過ぎ、向かいの机に直進する。乱暴に椅子をひき、どっかりと腰を下ろして、足は机の上に投げ出す。
そしてやや充血した目でオスカーを一瞥し、わざとらしい大声で言った。
「おう、お前が森にいたっていう侵入者か?なるほど、ふてぶてしい顔してやがる」
「………」
「だんまりかい。別にかまわねえけどもよ」
男は笑って、それから面倒くさそうにタバコをとりだし口にくわえる。
オスカーは男の注目が、付きの悪い安ライターに向いている隙に男をじっくりと眺めた。年の頃は50かそこら。いや、もしかしてもっと若いかもしれない。くたびれた軍服にだらしない無精ひげ、なおかつこの男に染みついた酒の臭い、どれもが年を余計に見せるだろう要素だった。
とらわれの身となったオスカーは、あれから軍用車に乗せられここに連れて来られた。大した規模ではない…さびれた、と言ってもいいような軍の駐屯地のような場所。
オスカーをとらえた二人も捕まえたはいいものの、オスカーの存在を持て余していたようで、この部屋に着くなり立ち去ってしまった。ドアの外には見張りがいたが、オスカーの様子をうかがおうともしない。この男が来るまでのしばらくの間オスカーはこの部屋でひとり放っておかれていたのだった。
やっとタバコに火を付けるに至った男は、煙を吐き出し太い声を響かせる。
「俺はカルロス、ってんだ。ここじゃ一番の古株だ。別に長いってだけで偉くはねえけど、とりあえずここじゃあ責任者つったら何故か俺なんだ。悪いがよろしくな」
こちらはよろしくなどしたくない。
オスカーはぶっきらぼうに答えた。
「何を聞き出したいのか知らないが、俺を調べても何も出ないぜ」
「じゃあお前、なぁんであんなとこふらふらしてんだ。まったく迷惑だ、こっちは余計なお客で残業さ」
「迷惑なら解放してくれ。勝手につかまえて連れて来たのはそっちじゃないのか」
「まあな。どうせ何も起こりゃしない、いや、こんなところで何が起ころうとクソみてえなもんだ。こんな忘れ去られた星じゃな」
忘れ去られた星?
カルロスは、疑問の色を浮かべるオスカーに気づき、足を机から下ろして視線をまっすぐに合わせた。
「お前さん、母星でもねぇ別の星の人間だよな。どこでどう迷い込んだのか知らないが、この星の詳しいこたぁ何も知らねぇんだろ?」
「ああ、今じゃ後悔してるよ、もう少し調べてから来ればこんな風に、問答無用に捕まることもなかっただろうしな」
「はん、調べてからなら来ようとも思わなかっただろうよ。観光には不向きだ、住むのにも不向きだがな」
そう捨て鉢に言って、カルロスは笑った。
「……」
捨て鉢な物言い、不真面目な態度。だらしないアル中の中年男…。しかしどこか気になる。隙だらけのようでいて、かすかだが常に緊張がある。
…こんなんでも一応は軍人、ってことか?
そう思って、しかしオスカーには何かしっくりこなかった。
力で勝てない相手ではない、が、油断がならない。そんな気がして、オスカーはこの不真面目な声の質問に、真正面から向き合うことを決めた。
「どう…説明したらいいのかわからないが…これを見て欲しい。この紙切れ一枚に誘われて、俺はこの星に来たんだ」
例のチラシを取り出して、オスカーは立ち上がりカルロスに手渡した。男は黙ってそれを見ている。そして顔を上げる。
「…こんなもの、どこで手に入れたんだ」
「どこってまあ…普通に…。だが、この星のことだろう?」
カルロスは問いには答えず、代わりに強い視線でオスカーを睨むにちかく、見た。
「…お前さん…何者だ?どこから来た?」
「え?」
オスカーは思わず言葉を詰まらせる。
たった一枚、こんな紙を見せただけでこの反応、予想外だ。声は視線とは裏腹に、穏やかだった。様子を見ているのかもしれない。
いったい……?
「いや、そういうことじゃねえのか…今更そんなこたぁ…何、大した問題じゃない」
カルロスは自分に言い聞かせるようにひとりごちた。それからまたオスカーに向き直る。くわえタバコのまま頭をぼりぼりとかきむしり、いかにも面倒くさそうに素っ気なく言った。
「ああ、このヴィスタってのは、確かにこの星の名だ。だが若造、こんなチラシにあるようなもんは何もないぜ。…無駄足だったな」
「無い?…だが森には…」
あのプロジェクター。立体映像。あれは何だというんだ。
「森?森で何か見たのか?」
「…いや、その」
特に隠すつもりはなかったのに反射的に否定していた。おかげで言い訳が必要になってしまった。
「…ザリガニ…を…」
意外な答えに面食らったのかカルロスは一瞬黙ってそれから随分愉快そうに大声で笑う。
「あっはっはっ!!ザリガニなあ、いるな確かに。…じゃあお前さんがいたのは川の中流下ポイントB2-εだな、あそこは…」
急に饒舌に語りかけて、急に「と、別にこんな話はいいか」と止めた。
「は?何だ?」
「何でもねぇよ。ザリガニ、珍しかったか?まあ、ありゃあこの星にしかいない種類でな、しかもこの星でもあそこ辺りにしかいねえんだ。良いもん見たな」
「……別に変わったところは無かったがな…」
良い物を見たと言われたところで、妙に楽しげなこの男のようにザリガニを有り難がる気分にはなれないオスカーであった。
「そうだよ、別に変わったところなんざねえ。そのチラシ…『プレイスター・ヴィスタ』なんてテーマパークは無いんだよ。…となったところで、さてどうするかな…」
「……すまない、未だ状況が把握できないんだ、説明してくれないか?いったいどういうことなんだ」
「不審な輩になんで説明なんか…まあいいか、聞きてぇってんなら教えてやるよ若造」
そう言ってカルロスは持ったままだったチラシを机の上に置き、手を組んで乗りだし話し出した。
「どういう経緯でこれを手に入れたか知らないが。確かに、こんな話…計画だけはあったんだよ。大昔に計画だけで頓挫した母星のプロジェクトさ。『プレイスター計画』…今じゃ知ってるヤツだってここにはいないさ、俺以外に。ここは人の入れ替わりが結構ある、昔からいるのは今は俺だけだからな」
計画だけで、頓挫。
「具体的なことは知らん。こんなチラシまで作ってあったとは俺すら驚きだ。ま、単なるテスト刷りだろうな。通りいっぺんのことしか書いてねぇ」
「じゃあ…」
「さっきも言った、この星見りゃ俺の話も頷けるってもんだろ?それらしい跡形ひとつありゃしねえ。お前さん、どこの星の道楽者かしらねえが、遠路はるばる遊びに来たのはいいが…ここにあるのはヘボ兵隊ばかりの駐屯地と、それに寄生して生活してる過疎の村、あとはただただ荒れ果てた土地だ。他にはなーんも無えよ。まあ母星としては、何にも無いからそんな遊び場でも作ってみる気に一瞬でもなったのかもしれねえけどよ」
カルロスは皮肉を込めて大声で笑う。
たびたびカルロスの口に上る『母星』。
「ああ、この星は母星の周りをぐるぐる回ってる衛星なんだ。元々人の住むところも無かったような小さい衛星でな、今だってろくに人はいない。俺も出身は母星さ。すべては母星の管轄下、一応この基地が離れ小島の役場みてえなこともやってる…っていってもそんな仕事はほとんど無えがな。…この星は言うなれば主人が買うだけ買って一度も来ない別荘ってなもんさ。放っておかれて荒むばっかり、だが母星の誰も気にしねえ、忘れ去られて無いも同然さ」
「そうなのか…」
話を整理するに忙しいオスカーのおざなりな返答に、カルロスは呆れたようなため息をついた。
「それにしても。お前さんすげえ金持ちなんだってことだよな。自家用機で直に来たんだろ?一応、この星に来るには母星承認の入星審査が必要なんだぜ」
この星には母星との星間連絡しか無いらしい。通常、この星に入るには母星とやらを経由しなければならないということだ。
「…立派な密入国者だな。まったく、物好きで身を滅ぼすぜ、若造」
そうまで孤立した惑星とは知らなかった。そうとなれば、かなりまずい状況ではある。
「その、母星へ引き渡すのか?俺の身柄を」
「さあて、どうするかな」
カルロスは大きく椅子の背もたれによりかかり、足を再びどっかりと机に投げ出した。椅子が壊れそうなほど大きな音を立ててきしんだ。
「お前さんみてえのが来たのなんざ、初めてのことなんだよ。ほんとにここは事件のひとつも起こらない気楽な職場で、俺にとっては楽園だったのによ」
「………」
「おめーみてえな間抜けな密入国者ひとり連れてったところで、何の得にもなりゃしねえ。上部に連絡とって、送り届けてって逆に面倒ばっかりだ。ボーナスでもつくってんなら考えるが望み薄だな。お前さん、ほんとにこの紙っきれ信じて迷い込んだだけなのか?」
「ああ」
「ま、他に理由もねえか、こんな星」
カルロスは吐き捨てるように言った。
「いいさ、見逃してやるよ」
「本当か??」
「その代わり、すぐだ。この足で。この星のことなんか、そうだ、記憶喪失にでもなったみてえに全部まっさらに忘れてパパやママのお膝の上に帰ることだ、無茶なおぼっちゃん」
いちいち腹の立つ言いよう、馬鹿にした態度。だが、やはりただの口の悪い中年男とするにはひっかかる。隙の無さ以外でも…何かどこかが、自分の見知る軍人の印象と違う。何だろう、何がそう思わせるんだろうか。
「おい、聞いてんのか?」
カルロスの声に、はっと我に返る。今は身の自由のほうが重要事項だった。
「ああ!解放してくれるのなら口外はしない。約束する」
「頼むぜ。とにかく全部忘れるんだ、この星のことは。それを守ってくれねえと、お前さんをとっつかまえるのは今度は母星だ。そうなったら俺も立場が無え」
「わかった」
「はん、逃がしてもらえるとなりゃ急にゴキゲンだ。あ、悪いが帰りはひとりで帰ってくれな、どこに自家用機止めてるのか知らねえが、送ったりはしないぜ。とりあえず兵隊のひとりに門までは付き添わせる。退屈して血気盛んなヤツもいるにはいるからな、ここには」
オスカーは頷いて立ち上がった。
「騒がせて悪かった、これ以上煩わせることはない…ありがとう」
一応礼を述べるべきだろうと、オスカーはカルロスに向かって軽く頭を下げた。
素直に従えば、自由の身になる。この星にいる理由はもうないのだ。あとは聖地に帰るのみ。少々疑問はないわけではないが、大したことじゃない。気になるのなら聖地からいくらでも調べられる。
「あ…」
オリヴィエとリュミエール。まだあの森にいるんだろうか?
「すまない、聞きたいことが」
「ああ?なんだ?」
カルロスは思いきり面倒くさそうな声をあげる。
「その…つかまったのは俺ひとり、なんだよな?」
「ん?なんだ、連れがいるのか」
「ああ、ふたりほど」
「知らねえな。俺が聞いてるのは、お前さんのことだけだ」
「そうか…」
自分をとらえた兵達は、オリヴィエとリュミエールを見かけたらしいことを言っていた。しかし報告はしていないようだ。
オスカーはふと、思い出した。
「ヨシュアってのは…誰だ?知ってるか」
あの時。ヨシュアの仲間か、と聞かれた。オリヴィエとリュミエール、ふたりに何か関わる名前かもしれない。
「ヨシュア??」
カルロスの声が低くなる。
「どうしてその名前を?」
「どうしてって…いや、もしかしてそいつが俺の連れの行方を知ってるかもしれないんだが…」
「だからどうしてだ。お前さんはこの星に知り合いなんざいないはずだろう?」
「もちろんだ。俺だってそんなヤツは知らないさ。ただ、あんたの部下が」
「部下?…ああ、お前さんをつかまえた二人のことか」
「そうだ、そいつらが言ってたんだよ、その名前を。どうやら俺に出会う前に、その男にあったらしい」
「ヨシュアが、あの森に、いたってのか?」
「そういうことなんだろう。俺は会ったわけじゃないが」
そういう口振りだった、あの兵達。
カルロスはいきなり、勢いこんで立ち上がった。
「アイツ、あれほど言ったのにまだ…!」
カルロスは憎々しげにそう叫んで、それからオスカーに向いた。
「…悪いが前言撤回だ。まだここにいてもらおう、お前さんも、その連れが見つからないんじゃ帰るに帰れねえだろう?」
「そいつんとこへ行くのか?」
「ああ。いい加減、ぬるい灸じゃあ聞かねえらしいからな、一発」
「なら一緒に連れていってくれ。俺の身の潔白は証明されたんだろう?もう待たされるのはごめんだ、ここには暇つぶしのひとつもない」
オスカーの提案に、カルロスはもっともだというふうに笑った。
「かまわねえが、邪魔はするなよ」
「了解」
二人は同時立ち上がった。
<つづく>