俺達は、食器をいくつか厨房から借りたいとフロントに言いつけてから部屋へ向かった。エレベーターを待つ間、デフォーがフロントのホテルマンを遠目に眺めながら言う。
「忙しい時期に妙なお願いをしてしまって、ホテルの方には申し訳なかったですね。少し不機嫌な顔をしていたようにも見えた」
「そーお?気のせいじゃない?別にグラスやお皿を借りるくらい小っちゃなことじゃない」
ホテルマンの顔が曇ったのが本当なら、それは客の要求内容ではなくこうした意見をのうのうと吐く客の態度にこそ、であろう。無理もない、とオリヴィエの横顔を眺めつつ思う。
「まあ、それも仕事だ。同情の余地はないな」
この程度でいちいち腹を立てているのであれば、早々に辞めたほうがいい。ホテルなんぞ客の要求にどこまで応えられるかだけを問われる仕事だ。
「俺なら絶対選ばない」
そう、今の俺のように。自分で招いてしまったことに関してなら、たとえ意に添わぬことでも自己責任を全うせねばという気持ちにもなる。だがあの男の仕事におけるトラブルは、そのほとんどが外的要因から派生するのだ。得るものといったらストレスで穴の開いた胃袋くらいだろう。それこそが引き受けるべき自己責任と言ってしまえばそれまでだが。
「そんな。立派な仕事ではないですか。人に奉仕し、人の喜びを日々の糧として。だからこそこちらも謙虚な気持ちをもってその労働に感謝しなければ、と」
教会に奉公してるヤツならではのご意見だ。
「もちろん俺も同意するぜ、労働の対価を支払うことによって。だが、コイツの場合は?客ですらない上に“謙虚”なんざ爪の先ほども見あたらない」
「指ささないでよ、失礼な」
オリヴィエが憤慨する。
「どっちにしろ、この程度のことで議論させるようなホテルマンなんか三流。ってことはホテルも三流、泊まってるヤツもたかが知れるってこと」
「お前な、そうやってすぐ人の揚げ足を…」
ふと見るとリュミエールが感心したようにひとり頷いている。
「そうしているとまるで長年の友のよう。人の仲というのは時間ではなく、互いの魂の距離ではかるものなのでしょうね」
「…それ仲裁のつもり…?」
いや、皮肉に決まっている。食えぬ顔でデフォーが微笑むと、ちょうどエレベーターが軽いベルを鳴らし動きを止めた。
◇■◇
「準備はお二人にお任せしてもいいですか?私は少し別の作業をしたい」
部屋に行き、さっそく買ってきた品の荷をほどく俺とオリヴィエに向かって、デフォーはそう言った。
「そりゃかまわないが…」
別の作業といって、人の部屋で何しようというのだろう。本当に、次から次へと予想外のことばかり言う男だ。
「なに、大したことではありませんよヘイワーズさん。で、あのバイオリン、どこにあります?」
そう言って部屋の中をきょろきょろと見回す。
「バイオリン?…ならあそこに」
買ってそのまま、窓辺の床に置いたきりだ。デフォーはつかつかと窓に近寄り、ケースを手に取った。
「ヘイワーズさん、これ少しお借りしますね。たぶんそう時間はかからないと思います」
「借りるって…おいデフォ…」
「だ〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
俺の言葉を遮って、オリヴィエが大声を上げた。
「もうヤメ、ヤメ!その名字呼び合うの。鬱陶しいったらありゃしない!!!」
「そうは言っても彼が…」
「いいの、その話はもう終わったのよ!そうよね、オスカー。どっちかってのもバランスが悪いんでしょ?だったらワタシ同様、リュミエールのことも名前で呼ぶ!」
「そんなに怒鳴らなくてもいい。…確かに意味は既に失われてる」
「いいんですか?私としては英国式もそれはそれで」
「どうでもいいさ、ただの記号だ。好きにしてくれ…で、そんなことより」
バイオリンだ。
「ああ、今夜の余興にと思って。やはり音楽があったほうが素敵でしょう?」
バイオリンケースを勝手に開けて中身を改めつつ答える。俺は聞いた。
「余興ってお前が?弾けるのか?」
「ええ、本当に余興程度に。…ここでは埃がたつかもしれない…ベッドルームをお借りしても?」
「…ああ、いいが」
「では、失礼」
さっさとその場を後にして、隣室に消える。
オリヴィエが途端吹き出した。
「あーっはっはっは!!…ホントにイイ性格だねぇ、アイツが一番だ」
準備などそっちのけで腹を抱えて笑い転げて、なおも言う。
「人の傷口に塩すり込むのは親切心の荒療治か、はたまた一級のサディストか」
「………さあな、どっちでも関係無い」
「どうして?」
「俺は世界一痛みに鈍感なんだ」
人のも自分のも。それで失ったものもあるから自慢にはならない。だが同時、有効な処世術でもある。実際誰しも痛みなんかより、明日のパンのほうがよほど重要事だ。
「さあ、いいかげん腹も減って来たぞ、急ごうぜ」
そこへちょうどルームサービスのワゴンが、料理の無い皿や酒のないグラスを嫌味のようにこれでもかと運んで来た。
◇■◇
奇妙な晩餐が始まった。
俺達はテーブルを囲んで好き好きにソファや床に座り、料理を食らい酒を飲み交わす。オリヴィエは鼻高々に目の前に並んだ料理に、いちいち軽い蘊蓄を述べる。
イブだなんだとこだわってるのは、という例の台詞をそのまま鼻先につき返してやりたいくらいだ。
「これでキッチンがついてればね、もうちょっとメニューに幅が」
「じゃあいっそ、お前の家を会場にすりゃ良かったんじゃないか?」
「やあよ、片づけなくちゃなんないじゃない」
「…おいおい、じゃあこの部屋は」
「片づけは皆でやれば楽しいものです。いいじゃないですかこういうのも。なんだかわくわくしますね」
“魂が近い”というのはいくらなんでも大袈裟な比喩だが、この三人が不思議にうまが合うのは事実だった。ともにいるのが楽しい、というより「楽」に近い。理由は察しが付いた。
この関係を誰も強いて深めようと思っていない。議論にしても互いに対しても、どこか距離の取り方が共通している。
「三人」というのもいいんだろう。これが二人なら対立か同意しかそこには無い。四人以上なら、一番声の大きな奴が場を支配する。
「人間関係における最小の黄金分割比、ってわけね」
オリヴィエの言葉を受けて、リュミエールが言った。
「黄金分割、という言葉は『神から授かった比率』とも言うそうですよ。素敵ですよね、この言い方」
クリスマスらしい閑話休題だ。つい皮肉が口をつく。
「悪いが俺は、何かを神から授かった覚えなんざないな」
リュミエールは淡々とした表情で、別に教えを説く気はありませんが、と断ってから言った。
「少なくともその命は。あなたが自分で作り出したものではないでしょう?」
「はっ。それはそうかもしれないが、その後のことは皆自分で選んで決めてきたことだ。だったら、生きる為に必要で、信じるべきなのはどっちかなんて明白だ」
ことさら有り難がる必要はない。所詮暇に任せて作った泥人形だ、しかもそれきり放ってある。
「誕生日の来るごとに神から届くのは、たいそうなリボンのかかった思わせぶりな空き箱だ。開けども開けども空っぽで、ある日突然ジ・エンドと書かれたカードが入ってる。俺にとって、意味があるヤツの仕事はそこのとこだけだな」
「あ〜ら、偉そうに。アンタはどんなたいそうな仕事してるって?」
オリヴィエが茶化す。
そういえば、仕事について明かしていないのは俺だけだった。別に隠す気はない。「俺はしがないトップ屋さ」。
「トップ屋?」
二人が声を揃えて聞き返す。馴染みの無い仕事かもしれない。俺は軽く説明した。
「ああ、自分で調べたネタを記事にして新聞社に売ってる。といってももっぱら取引先は三流ゴシップ紙だけどな。要するにただの裏稼業だ」
アイス屋と教会の下働きと裏稼業。なかなか粋な黄金分割比かもしれないと、結構真面目に俺は思った。
「へーえ意外。文章書くような人種には見えなかったけど」
「はは、文章力なんざ必要ないぜ?字さえ書けてりゃ仕事的には問題はない」
俺は皿の上に山積みになっているカキの殻をひとつ手にとった。
「コレと一緒さ。新鮮で身が太ってるのをそのまま食うのが一番だ。手の込んだことはしなくていいんだ」
なるほどね、とオリヴィエは納得の相づちを打つ。
「じゃあ、そろそろ“手の込んだもの”も出そうじゃない」
この包みには中身がちゃんとあるよ、とオリヴィエは軽口を言いながら、リボンを解き始めた。
箱の蓋を取ると、甘い匂いがほのかに漂う。
「…変わった形のケーキですね、初めて見ます」
リュミエールの言う通り、そのケーキは変わった…薪の形を模していた。俺にとってはどんなケーキも物珍しい類だから、特別な興味はわかない。
オリヴィエはやけに上機嫌でナイフを入れる。
「初めて見るのはアンタ達だけじゃないからご安心。新発売なんだ」
「また例の、初物好きか」
「ただの初物じゃないよ。これからこのケーキがノエルのスタンダードになる。来年は他の店も真似する、そのうち世界中が真似する。アンタたちも将来自慢にできるよ、アレなら発売したその年に食べたってね」
またも得意のオーバーな発言が始まった。
「随分自信がおありですが、何か論拠が?…確かに可愛らしいケーキですけれど」
リュミエールが言わなければ俺がそう問いただすところだ。
そんな俺達にオリヴィエは一段声を大きくして、言った。
「他ならぬこのワタシのアイデアだからさ」
薪はヨーロッパでは縁起物だ。前の年に残った薪を燃やして作った灰は厄よけになると言われている。
「それとさ、知らない?恋人達が凍えないようにってノエルに薪を一束贈る話…」
「ああ、聞いたことがあります。美しい話ですよね、貧しい青年が自分が暖まるよりも、とささやかなプレゼントをするというロマンチックな物語」
「それそれ。で、そういう意味も込めてさ、薪をモチーフにしたらいいんじゃないかってケーキ屋に言ってやったわけ」
リュミエールは感心しているが、俺はケーキにまでロマンを求めなくともいい気がする。大体、それと普及率には直接的な関わりはない。
「それのどこが論拠なんだ。ったく、そうなってから言うのならまだしも」
「じゃあ賭ける?」
不敵に笑う男に俺は言ってやった。
「世界のスタンダードというからには相当…それこそ最低50年は見ないとな。一時流行ってそれで終わり、なんてのは駄目だ」
「オッケー、じゃあ50年後にまた会おう。負けた時の言い訳考えといてね☆」
「はん、その前にのたれ死んでないようにな」
「その心配はいらない、ワタシは不死身だからね。そっちこそお身体お大事に」
今度は不死身か。それなら設定を100年後にするべきだった。そうすれば賭に完全勝利できたのに、と俺は思った。
「50年後というと…1941年、ですね。覚えておきましょう。賭の立ち会い人として、その時は私も呼んでくださいね。あ、美味しかったです、ちなみに」
見れば、リュミエールの皿にはもうすでにケーキは無かった。まったく、いつの間に…呆れるほどの甘味好きだ。
言い添えておけば、確かにそのケーキ自体は悪くなかった。あの濃厚なクリスマスプディングに比べたらこっちの方が俺も好きだ。
だが味についてはアイス屋ではなくケーキ屋の功績である。
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