あえてこそ                 第三章

「しかし暑いな・・・この湿気・・・かなわん」
 拭っても拭ってもじっとりと肌に浮かぶ汗に、飛空挺を降り立つなりオスカーは辟易していた。事前の情報に従って通気性の良い素材で出来た服を用意してきたが、それでも暑いことに変わりは無かった。
 オスカーとリュミエールが、オリヴィエの行方を追ってたどり着いたのは、一点のしみもない濃い青の空と、甘く香る熱帯の花々、そしてむせかえる湿気の星であった。
 王立研究院の奥の間から、オリヴィエは忽然と姿を消した。何故そんなことが起きたのか、原因は不明だった。ただ、オリヴィエの居所はすぐに判明した。守護聖の持つサクリアは、どのような遠方にあっても輝きを弱めない。その反応を察知するのは、さほど難しいことでは無かった。
 夢のサクリアの強い反応を劇的に見せた唯一の箇所、それがこの辺境の惑星、クデワタンだった。
 周囲を見渡しながら、歩き進む。そこはすべてが聖地とは趣を異なる、力強い美しさに満ちていた。高く空に届けとばかりに伸び茂る珍しい樹木。古びてそこかしこが崩れ掛かっているが大切に守られているらしい石造りの寺院。眼前には、まだ若い稲穂を豊かに蓄えたライステラスが広がる。足下には土の道がどこまでも伸びていた。太陽を中心に据え晴れ渡った空とは裏腹に、その全てがまだ濡れそぼっていて、さっきまで雨が降っていたことを知らせていた。
 オスカーは同行のリュミエールを見る。彼はいつも通り、何も変わらなかった。
「平気なのか、リュミエール。汗一つかいてないな」
「こういうことは気の持ちようでいかようにもなるものです、オスカー。炎を司る御方がこれしきの暑さで弱音を吐くなど、随分と脆弱でらっしゃる」
 皮肉をこめてリュミエールが微笑んだ。
「はん、俺が鬱陶しいと思っているのは、お前の嫌みのようにべったりと張り付くこの『湿気』だ!それさえなきゃ、見目麗しいってとこもそっくりだな」
「褒められているのか、けなされているのか・・・。深く追求するのはやめておきましょう、今はオリヴィエを探し出すことが先決です」
 この美しい星のどこでどうしているのだろうか。リュミエールは出がけに聞いたクラヴィスの言葉を思い起こしていた。
「・・・・リュミエール、ここにあれの運命が見えるぞ」
「・・・苦しむことになるだろう。あれの身に起こった中でも一二を争うほどに」

 悪い予感を払拭するように、リュミエールは周囲を見渡した。パスハの調べではこの近辺にオリヴィエはいる筈だった。
「偶然道でばったり、なんて具合には行かないだろうな」
 オスカーが笑って言う。彼の不遜にも思える様子に、リュミエールは少し苛立った。
「当たり前です。何の用意もなく突然に、宇宙空間にはじき飛ばされたのですよ?サクリアの輝きに変わりがない以上、命の無事は確認できても、果たしてどれだけのダメージを受けているか・・・心配です」
「あらゆる可能性を考えるのは悪いことじゃないが、お前といると気が滅入る。取りあえず命に別状がないなら安心、とは考えられないのか?」
「あなたがそのようにあまりに楽観的すぎるから、私がこうして同行してるんじゃありませんか。求められる役割は果たさねばならない。気分を害させて申し訳ありませんが、今は仕方がありません。気に沿わぬことも、お互いに目をつぶりましょう」
 オスカーとリュミエールは、守護聖としては同期の間柄であったが、あまり日頃は仲が良いとは言えない。こうして二人で行動を共にすることなど、聖地ではほとんど無かった。大抵は誰か間に入り・・・・そういった役目を負うのがオリヴィエだった。自分たちだけではない。個性の際だった守護聖たちの中にあって、オリヴィエはいつも人知れず気を配り、場を和やかに戻す才能に長けていた。ここに彼がいればきっと、やれやれと肩をすくめて面倒くさそうに、でもすぐさま仲裁に入ったことだろう。
 リュミエールはすぐに、オスカーに詫びた。
「・・・すみません。大人げないことを言いました。・・・彼を心配する気持ちは私もあなたも同じです」
「俺の方こそ悪かった。この暑さで苛ついていたんだ。・・・ここにオリヴィエがいたら、いい加減にしろって言っただろうな」
 彼も同じことを思っていたらしかった。二人は笑った。
 歩きながら、リュミエールはオスカーに話しかけた。
「オスカー・・・。聖地を出る前、クラヴィス様にご挨拶に伺ったのですが。その時の水晶球に・・・」
「あ?何か映ったのか?・・・ああでも、クラヴィス様の水晶には居場所が具体的にわかったりはしないのだったな」
「ええ。オリヴィエの事には変わり無いのですが」
「何と申されていた?」
 急かすオスカーに、リュミエールの声がいささか沈んだ。
「苦しむことになる・・・と」
「オリヴィエが?何か窮地にでも立っているのか?俺達にそれを救えと?」
 オスカーは矢継ぎ早に質問した。彼と同じことをクラヴィスに問うたその時の自分を思いだし、リュミエールは小さく笑った。
「人一人救うなどという傲慢な考えは捨てろ、とおっしゃってましたよ」
「はん、あの方の言いそうなことだ」
 オスカーは少し悔しそうに、はき捨てるように言った。
「じゃあ、どうしろっていうんだ」
「何もするな、と」
「・・・・は?」
「何もできはしないから、ただ見ていろと。できないことを気に病むな、と」
「馬鹿馬鹿しい!」
 オスカーは子どものように足下の小石をけり上げた。
「苦しんでいるのを目の前にして口を開けて見てろってのか?そんなことができるか」
「そのことに不吉の色は無い、ともおっしゃってましたから生き死にに関わることではないようなのですが。ただ・・・やはり胸騒ぎはします。そのようなことを言われると」
「あの方は、いつだって人を無闇に騒がして解決策は見えないときてるから困る!」

 そんなことを話ながら歩いていると、ちょっとした町のような場所に出た。人出もある。とにかく何でもいい、情報を得る為に二人は手近な店に入った。

 異星からの旅行者は珍しいのか、元々人なつこい性質なのか、オスカーとリュミエールの周りにはいつのまにかわらわらと数人の男達が集まっていた。
「へーえ、主星から。よく知らないけど、すげえ遠いんだろうなあ」
「で、仲間とはぐれたって?そりゃ大変なこった。でも、あんた達みたいに目立つんならすぐ見つかるよ。・・・俺は知らないけど」
「占いで見て貰ったらどうだ?よく当たるのを知ってるぜ」
 彼らは口々に、質問を浴びせかけては勝手に話しをしている。日に焼けた顔には親しげな笑みが浮かんでいる。その子どものようなてらいの無さは、初めての星の印象を随分良いものにしていた。オスカーもリュミエールも、特にオリヴィエのことに関わらず、いろんな話を彼らから聞いた。
 クデワタンには神がいない。いや厳密に言うと何もかもが神様で、具体的に誰、という考え方が無い。空も風も土も石も花にも、すべてに神が宿っていて、彼らは純真にそれらを千年の昔から崇拝している。当然、女王や守護聖などといったものは、存在どころか言葉さえ知らないらしい。彼らの神である自然の声を種種雑多の占い師が易で占い、その言葉に従って彼らは日々を営んでいた。
 しかし、最近何やら妙な噂で持ちきりだという。何人もの占い師が似たようなことを予言しているらしい。いわゆる終末思想。この地に今やまさに「滅びの星」が向かっているというのだ。それが何を指すのかはわからないが、不吉な予言であることは確かだ。
「大変じゃないか。それじゃあ世間は大騒ぎだろう?」
 オスカーが、手元にあるよく冷えた茶を飲みつつ言った。
「まあ、そういうヤツもいるけど、みんなそんなに気にしてないよ」
「その予言には信憑性が薄いのですか?何か怪しい新興宗教であるとか・・・」
 リュミエールが聞く。
「いや、そうじゃないよ。占い師の言うことは大抵当たるし」
「なら、何故・・・・」
 そんなに呑気でいられるのですか、と続けそうになって、水の守護聖は口をつぐんだ。
「古い言い伝えがあるんだ。神の子が現れるってな」
「神の子?」
「ああ、そうはっきりと言ってる訳じゃないけどな。この星には他みたいに誰って神様はいないんだけど、そのうち現れるって。そういうのが」
 非常に曖昧である。
「そういう御方なら、この星を守ってくれるだろ?無くなっちまってからじゃあ、出てきたって仕方がない」
 人々はそう言って大きな声で笑った。なんともおおらか。滅亡などという不吉な予言を目の前にして、彼らの様子はリュミエールにはいささか信じがたかった。が、オスカーは気に入ったようで彼らと一緒に豪快に笑い、杯を交わしている。
「あ!今思い出したけど」
 一人がその場にいる皆に向かって話し出す。
「俺んとこの店に、さっきテユが買いに来てよ。いつもより多いんで聞いてみたら、客が来てるって言ってた」
「それじゃあ、それがこの人達の探し人かもしれないな!」
「お前もそう思うか?」
 オスカーとリュミエールは彼らの会話に思わず乗り出した。初めてのめぼしい情報だ。
 テユというのはここから少し離れたところにある、アユンという娘の住む屋敷に仕える使用人で、その家は昔はここらへん一帯では一番の名家で人の出入りも多かったらしい。しかし、アユンの父が周囲の大反対を押し切って身分違いとも言える占い師と結婚したせいで、親族から疎遠となり、いつのまにか世間ともあまり付き合わなくなったのだという。運命の恋を貫いた二人もとうに亡く、今は彼らの娘がたった一人で住んでいる。
「アユンに客なんて珍しいもんなあ。ま、無いとは言い切れないけどよ。ああ、こないだあの娘をちらっと見たけど、すげえ美人になってて驚いたよ!」
「あの娘ももうはたちくらいになったか?そりゃ見てみたいな」
 皆の話に横の男が反応したのをリュミエールはすぐに察知した。
「美人なのか?」
 このような話を聞き逃すオスカーではない。彼はすぐさま立ち上がり、リュミエールを急かすように言った。
「おい、行ってみようぜ、その家に」
「・・・オスカー・・・あなたは何か邪な考えを抱いているのでは・・・」
 まったくこの男のこの方面のバイタリティには呆れる。リュミエールはため息をついた。
「オリヴィエかもしれないんだぜ?駄目で元々だ、行ってみるだけ損は無いだろう?」
「それは・・・そうですが」
 リュミエールの返事などそっぽを向いて、オスカーは既に屋敷の場所などを聞いている。
 二人は皆に礼を述べ、店を出た。道はすっかり乾き、暑さはますます増していた。


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