「悪いけど、この星を救うためにしたことじゃないんだ」
彼女はうつむいたまま顔を上げない。
「・・・・・それは・・・・またも出すぎたことを言いました・・・申し訳ござ・・」
「いい加減に、その他人行儀よしてくれない?そんなアユン、私は見たくない」
オリヴィエの言葉はアユンの耳に冷たく響いた。
自分の寝台で目覚めた時には、もう彼が何者であるかを誰に教えられるまでもなく理解していた。既に遥か昔から定められていた自分の運命も。そのことについては衝撃はそれほどなかった。オリヴィエや後の二人を取りまく空気の色、それを感じとることのできた自分。すべては最初からシナリオ通りに進んでいたのだ。唯一違うことは、自分がこの夢の守護聖を愛してしまったこと。
「・・・そんなアユンを見るために戻ってきたんじゃないんだ・・・」
彼の台詞が遠く響く。これもシナリオ通りなの?運命の神に対してふつふつと怒りが湧いてくる。誰が好きでこんな態度を取っているものか。必死で取り繕う私の姿が滑稽なのはわかってる。それを・・・見たくないと言われても。
わざわざ見に来たのはあなたの方じゃないの!
彼女はもう、自分の心を平静に保っていることができなかった。
「酷いことを言うのね・・・。あなたがこんなに残酷な人だと思ってもみなかったわ。何故戻ってきたの。とどめを刺すように、自分のことは諦めてくれって言いに来たの?」
「違うよ」
オリヴィエは彼女に歩み寄り、その細い肩に両手を置いた。
「私がアユンを諦めにきたんだ」
「!」
驚き、思わず顔を上げる。瞳は大きく見開かれて、オリヴィエの顔が映りこんでいる。
「そんなこと今更言っても信じないかもしれないね」
「・・・・・信じられる訳がないわ・・・・」
アユンは混乱した。何を言っているの、この人は。まだなおも、私に同情しているの?・・・いいえ、たとえそれが本当のことだったとして・・・・・。
「それを今言うことに、何の意味があるっていうの!!どっちにしろ、あなたは聖地に戻る。私はこの星に残る。なら、今更あなたが私をどう思っていたかなんて!」
「意味はあるよ」
多分ね・・・。そう心の中で呟いた。オリヴィエ自身、わからない。でも言わなければならない。まだ自分の中でも上手く消化しきれていない、この想い。伝えることができるだろうか。彼女を、そしてここにいたい、彼女とともにいたいと叫ぶもう一人の自分を、納得させることができるだろうか。
「上手く言える自信、実は全然無いんだけど。でも聞いて欲しい」
彼の手はゆっくりと、彼女の艶やかな細く長い髪を梳く。まるでその豊かな黒髪の中に、言葉を探すように丁寧に。両の指は彼女の背中で出会い、そこで組まれた。二つの影がひとつになる。
「あの日私の目の前に突然現れた、黒い髪、黒い瞳。ここで過ごして見たことすべて、感じたことすべてをそのままにしておくために、どうしたらいいかずっと考えてた」
オリヴィエは目を閉じ、今まで起こったことを反芻する。
「あのまま帰ったら、この気持ちは過去の苦い教訓に変わっちゃう。先々同じ思いはしたくない、せめて上手に後悔しようって、この気持ちを利用しちゃう、きっと。・・・・そんなのは嫌なんだ」
アユンは彼の腕の中で、動けずにいた。予想もしない出来事に、ただなすがままになっている。しかし、聞こえてくる彼の鼓動から、包む腕の力強さから確実に伝わってくるものがあった。彼は自分を愛してくれている・・・。
でも、だからといって先は無いのだ。
「・・・ここに剣があったら、あなたを私のものだけにできるのに」
言葉の殺伐さとは裏腹に、彼女の声は静かだった。
「ふふ、ドラマティック。・・・ロマンチックと言うべきかな」
「あなたが守護聖だからって、私に出来ないと思ってるの?」
「いや、私が何者でも、あんたには出来ないよ。それをするには誇り高すぎる。そんな結末で手に入れるものを、あんたは愛せない」
彼の言うとおりだった。あれほど知りたかったその眼差し。側にいて欲しいのは瞼を閉じた彼ではない。
「そんなアユンだからこそ、私はあんたが好き。その瞳は気高く前だけを見つめて欲しい。もちろん、私もそうありたい。振り返った先の遠い思い出には興味ないんだ」
「強いのね。・・・人生には、そんな幸福をこの身に思い出して酔いたい時もあるんじゃなくて?」
「幸福を思い出して酔って、あのキスを思い出して醒める。そんなこと、したい?」
「・・・・・」
互いの唇に残る記憶は、苦い味をともなって既にもう幾たびも去来している。そして脳裏の顔がおぼろになるまで、いやその先もずっと、繰り返す。後悔だけが抜けない刺のように自分を苛み続ける。
「すぐに気付かぬ程の痛みになるわ。今は辛くてもすぐに忘れるわ、私も、あなたも」
自分に言い聞かせるように呟くアユン。彼は言った。
「忘れないよ」
その腕になおさらの力がこもる。
「忘れないよ。この先誰を愛しても、それが今の気持ちより強くても。私はあんたを忘れない。この想いを忘れない。絶対に」
諦めるどころか、愛しさだけがなおいっそう強まるばかりだ。彼女といると、自分を飾ったり妙な強がりを言う気が失せる。素直になってしまう。ならば、正直に。
庭に行こう、とオリヴィエは言った。あの時のやり直し、しよう。
「ここで私は月を見てた。凄く綺麗だった・・・濃紺の空に一人きり黄金に輝いて」
今は夜明けを控えて、最後のありったけの闇を湛えている。月はなく、かわりに小さな星が砂金を振りまいたように暗幕の隅々に散っていた。
「そこにアユン・・・あんたが来た。月をあんまり見つめすぎたせいで、姿を変えて降りてきたのかと錯覚したくらい・・・・光ってた。そして、そうこの辺り。座って」
二人はあの時と同じ芝の上に腰を下ろした。
「どんなに時が止まれば良いと思ったか。この力に満ちた美しくて熱い星、アユンの側から離れたくない・・・」
「それは私の言い分だわ。あなたはそんなこと言わなかった」
彼女は淋しく笑った。
「そうだったね。私は・・・ずっと唇だけを見てた、あの時。哀しい言葉と裏腹に綺麗な形を作って動く、その唇だけを見つめてた。無意識に触れてみたいと望んでたんだ、きっと。こんな風に」
美しい指がアユンの顎に添えられ、二人の唇が出会う。そしてすぐに離れた。さりげなく、二人の記憶は書き換えられていく。
「あの時あんたを黙らせなきゃって思ってたのは本当。そういう意味では”口封じ”ってのは言い得て妙だったよ。でも・・・やっぱり、誰彼となくしないよね。黙らせたきゃ、黙れって言えば良いんだからさ」
オリヴィエはそう言って笑った。
芝に置かれた手のひらが知らず重なり合う。二人は手繰るように指を絡ませ合った。やはり、別れがたい。何を言ってもどんなに言い聞かせても、辛いことに変わりはなかった。二人はしばし黙り込んだ。
「守護聖じゃなく、ただの男としてあんたの前にいられたらどんなに良いだろうね。・・・・このまま帰らなかったら、そうなるのかな・・・・・」
彼の指に、力がこもる。
「宇宙の均衡が崩れて、元も子もなくなるわ」
「私の代わりなんかすぐみつかるかもしれない」
「そうね・・・。そんな奇跡もないとはいえないわ」
彼女はオリヴィエの横顔を見た。初めてみる、迷いに歪む彼の瞳。守護聖として神にも等しく崇められる者の、弱さ。その色は彼女を酷く淋しくさせた。迷わせているのは私。
いきいきと輝く彼のあの笑顔、恋い焦がれ胸躍らせた笑顔を消し去っているのは私・・・・。
彼女は心を決めたように、言った。
「でも、そんなのは私の方からお断りよ」
オリヴィエがアユンを顔を見る。ほんの少しだけ驚いた顔をして。
「私にはわかる。あなたは私を愛してくれている。でも、守護聖としての自分も愛してる。広い宇宙の隅々に、その身に溢れる力を満たす・・・それができる自分を愛してる」
「・・・そんな力を失っても、あんたといたいって思ってるよ、結構マジでね」
「じゃあ、そうしたとしましょうか。この星にいることはできないわ・・・どこか遠く、何もかもを捨てて、私達は行く。幸せな日々を暮らすために」
「二人でいられるなら、他に何もいらないさ」
アユンはそう言う彼の表情から、これから言おうとしている自分の想像が間違いでないこと感じとった。確信を得て、口を開いた。
「でも、ふと思うのよ。自分が愛して、そして身勝手に捨ててきたたくさんのもの達が、今頃どうしているかって。ここで一人暮らしてきた私でさえ、愛しているものはある、あなたの他に。きっとあなたにはもっとたくさんある・・・」
「そんなところ、私とあんたは似てるのかもしれないね」
「似てるから、わかるから、哀しませないために嘘をつくのよ。忘れられない想いを胸の奥に無理矢理押し込めるのよ。二人の幸福はいつのまにか気遣いと同情と嘘で塗り固められて、最初の気持ちは見えなくなる」
アユンは立ち上がった。数歩歩いて止まる。そしておもむろにオリヴィエを振り返り、強い光を湛えた瞳で見据えた。
「お断りだわ、そんな明日。いらないわ、そんなこの恋の成れの果て!」
オリヴィエは、瞼に刻み続けたその姿の中でも群を抜いて美しい目の前の彼女に、総毛立つほどの衝撃を受けた。そして彼女の発した言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも彼にとって嬉しかった。
「断られたのに、嬉しいなんてどうかしてるね。・・・・ほんとにあんたは私好みだよ」
彼も立ち上がり、言った。
「そうだね、美を司る夢の守護聖と女王の声を聞く神の子だった二人の恋が、そんなみすぼらしいなんて笑っちゃう。私達の恋は、宇宙で一番素敵でなくちゃ」
嬉しそうに言う彼とは逆に、アユンは沈む。
「そういう未来は用意されていなかったってことで、諦めるしかないわね」
「いーや、前言撤回!私は諦めないことにした」
妙に明るい彼に、彼女は不思議そうな顔をした。オリヴィエは強くはっきりと言った。
「明日には何が起こるかわからない。きっと二人はもう一度、今度は誰に文句を言わせない宇宙一の恋をする時がくる。千年先でも万年先でもかまわない。諦めなければ絶対にいつか真実になる」
荒唐無稽のおとぎ話。しかし彼の言葉はすんなりと素直に、そのままアユンの心に響いた。
生まれ変わって、そこでまた出逢い、別れて。繰り返しのように見えて、同じ時は二度と巡らない。ならば敢えて前を向こう。苦しい時も顔を上げて。ただ待つでなく、進みながら。気の遠くなるような遥か先、自分達の運命を必ず手に入れてみせる。必ず。
アユンも同じく微笑んだ。
「『神の子』である運命を、今初めて心から幸福に思うわ。この命が尽きる日まで、あなたを感じることができる。離れていても一人じゃないと思える。その想いを胸に、私はあなたより先に命を終えるでしょう。でも、それすら哀しくはない。私はたった今、心底から父の言葉を理解できたような気がするわ。昨日より今日を愛する、そして明日を信じられる・・・」
二人逢えてこそ。それぞれに巡る時間の中でそれぞれに与えられるだろう幸福に、今は敢えて戻る。今日寄り添えないことは終わりではないのだ。明日を信じていれば。
鳥達が騒ぎだす。生い茂る緑がその輪郭を現し出す。花のつぼみが朝露を含んで色を増す。夜明けは、すぐそこまで来ていた。それはオリヴィエがこの星で一番愛した時間だった。
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