青は遠い色             第三章

 リュミエールはベッドの中で眠れずにいた。彼は横の二人に気付かれぬように、そっと寝室を出、できるだけ物音を立てぬように、居間でひとり、茶の支度をはじめる。
 3人がそれぞれ別部屋を取るのも味気ないが、さすがに狭い部屋では息も詰まる。そんな理由から寝室と居間の別れた大きめの部屋を取った。お陰で深夜ひとりで起きているのも気兼ね無いことは幸いだった。
 湯が沸くまでの間、窓辺に佇む。
 辺りは暗い。このホテルは繁華街とはさして離れていない場所にあったが、さすがにこんな時間では街もようやっと遅い就寝時間を迎えたようだ。時折車が行き交うくらいで、ほんの数時間前までのあの喧噪は既になりを顰めている。
 オスカーとオリヴィエと同行していて夜を部屋で過ごすということは、ほぼあり得ない。生き生きと楽しげに知らぬ街を歩く二人に引き回されているような状態ではあったが、日のあるうちの印象とまた違う顔をした街を見るのは自分にとっても興味深く、それはそれで楽しい時間ではあった。
 今見る風景は、またその時とも違う。すぐにそれが「暗い」せいだとわかった。星も見える。華やかに夜毎輝くネオンサインも美しくはあるが、こうした当たり前の夜の方が、やはりずっと落ちついた気分になれる。
 夜の闇は優しく穏やかな安らぎをもたらすもの。ここから見えるたくさんの屋根の下、多くの人々が安らかに寝息をたてている。しかし同時に、今の自分のように眠れない夜に思いめぐらしている者もいるだろう。安らぎが闇のサクリアの恩恵ならば、不安な夜を過ごしている者達には自分の力、水のサクリアの癒しこそが必要なはずだった。なのに、その力を司っている自分もこうして窓辺に立って、見えない明日を知らず案じている。
 彼女は・・・マニエラはどうしているだろう。幼さを残した愛らしい寝顔でいてくれるだろうか。自分の力など、必要であって欲しくない。
 そんなことを思うのは、そして彼が今眠れずにいるのは、オスカーとオリヴィエとの夕食時の会話のせいだった。彼は再びその時のことを思いだした。
 
「お前等だから憶測でも物を言うが」
 そう断ってからオスカーは言った。
「あのお嬢ちゃん・・・どこか妙じゃないか?」
「あー・・・妙って言っちゃうと何だけど、オスカーの言わんとすることはわかるよ。イメージがしっくり繋がらない。・・・仕事とかね。お金にでも困ってるのかねぇ」
「やっぱり気付いたか、オリヴィエも!」
 オスカーは自分だけの考えでなかったことに安堵したようだ。
「仕事?お金に困る?・・・そのような事は何も言っては・・・」
 オリヴィエは溜息をついた。
「あのコ・・・多分・・・"夜のショーバイ"してるよ」
「しかも、朝になってから帰ってくるってことは、なあ・・・」
 言いにくそうな二人の口振りにようやっと事を把握した。確かにマニエラは、仕事帰り、と言っていた。そして安香水。大きなカバンの中には着替えが入っていたのかもしれない。
「・・・娼婦・・・・?」
 言いながらも静かに驚く。まるで結びつかなかい彼女とその言葉。歳が若いせいだろうか?いやしかし、驚くほど無理な年齢ではないのかもしれない。心痛むことではあるが、そういった女性がどの惑星にも必ず、そして少なくないことも知っている。
「基本的には職業に貴賎はないと俺は思っているが・・・」
「まあね。だからってワタシ達にとってのあのコはあの通りの子だし。自分で選んだことなら理由も覚悟もあるだろうし」
 
 ポットのふきこぼれる音で我に返った。慌てて歩み寄りスイッチを切る。それまでの勢いを失う湯の音に、合わせるように溜息がかぶった。
 二人の言うことに異論がある訳ではない。しかし彼等のように達観できない自分。脳裏には繰り返し、マニエラの幸福そうな笑顔が巡る。無邪気で幼く、屈託のないあの・・・。
 ふと窓脇のチェストの上に置かれた一冊の本に目がいった。行きがかり上借りたきり、放り出されたままの例の本。彼女はこの本を捜して、自分の目の前に現れた、この出逢いのきっかけのもの。
 その本を読んでみる気になった。茶の準備をしてから、ソファに腰を下ろしてゆっくりと1ページ目を繰った。
 


 
「・・・・おはよ。早いね」
 まだ醒めきっていない頭を軽く振りながら、オリヴィエが居間に入ってきた。それで朝になったことを今更ながらに気付く。部屋には既に明るく光が差し込んでいた。
「まったく真面目なんだから。旅先でくらい・・・」
 そう言いかけてオリヴィエは口をつぐんだ。
「どしたの、リュミちゃん。・・・寝てないの?」
「ええ、この本を・・・読んでいて」
 声がつい低くくぐもった。
「ああ、例のヤツね。そんなに面白かったんだ?」
「・・・・・・・・」
 不意に勢いよく顔を上げる。
「・・・オリヴィエ・・・・お話が、あるのです」
 
「・・・・詐欺だっていうのか?」
 ルームサービスの朝食を頬張りながら、オスカーは聞き返した。
「ええ・・・この本はいわゆる・・新興宗教の教えの説かれた本でした。それだけならまだいい、ここに書かれていることは真実とは大きく異なります」
「まーどうせそういうのだろうって予想はついてたけどね」
「そうは言っても、オリヴィエ。それが私達の名の許に説かれているのですよ?」
 夜を徹して読んだ本。そこに自分の馴染んだ単語がこうまで羅列しているとは思いもよらなかった。
「・・・でも、そんなに不思議でもないんじゃない?聖地のことについては専門に研究してる学者だっているってきくよ。少々名詞に詳しくたって」
「研究書ならば問題は無いんです。・・・彼女はどうやらこの宗教の信者のようですね。このような荒唐無稽なものに・・・」
 視線は遠く空を見る。晴れた空とは反面に、心は重く沈むばかりだ。
「そんなに根も葉もないこと書いてあるのか?」
「なんでもこの宗教の教祖は、定期的に聖地を訪れては、守護聖や女王陛下と会見している特権階級なのだそうですよ。我等守護聖と協力し、教えを広めるために日々尽力せよと陛下に命じられているとか」
 オリヴィエとオスカーは顔を見合わせた。
「・・・そんなヤツは知らんな」
「宗教としての基本的な概念はそう間違ってはいない・・・いわゆるありがたい言葉に満ちています。通りいっぺんの、格言のようなね。ですが」
「はいは〜い、その先言わせてー!」
 オリヴィエがふざけた調子で口を挟んだ。
「どーせ選ばれた者だけが聖地に行けるようになるとかって書いてあるんでしょ?」
「その通りです、オリヴィエ」
 オリヴィエは鼻高々である。
「うっふふ〜ん。そういうのオヤクソクだもんねぇ」
「・・・・で、それには金がいるってわけか」
 若い娘が普通に働いて得るには無理な額の、布施の強要。
「話が早くて嬉しいですよ、オリヴィエ、オスカー」
 オリヴィエはパンをちぎって、別に大したことじゃないと言わんばかりに口に放り込んだ。
「でもさあ、信じる者は救われるってコトバもあるじゃない?他人にメーワクかけるんでなきゃ、放っておけば」
「そういったことすべて、私達の言ったことと書かれていてもですか?」
 何のために彼女があのような仕事をしているのか。その理由がこんな詐欺ともいえるような教えに従ってのことだったとは。しかもその『詐欺』には自分達の名が冠せられているのだ。静かにわき上がる、怒りとも苛立ちともつかぬ感情。詐欺とは知らず盲信するマニエラの純粋な気持ちを思えば、心は痛みさえした。
「これから彼女に会いに行こうと思います。到底見過ごしてはおけません」
「ちょっと待ってよ。・・・会ってどうすんの」
「え、どうするって、それは勿論・・・説得を・・・」
 聞かれること自体意外なことだった。しかしオリヴィエだけでなくオスカーも即座に言った。
「俺はゴメンだぜ。せっかくの休暇なんだ、仕事的なことからは離れたい」
「ではこのままにしておけと言うのですか?私達にも関わることなのですよ?」
 炎の守護聖がせせら笑った。
「おかしなことを言うぜ。どこが関わってるんだ?俺達はその教祖を知らないし、ソイツが何を言おうと聖地に行けるようになるわけでもない。基本的にはありがたい教えなんだろう?ならかまわんじゃないか。俺達には何ひとつ関係がない」
「ですが少なくともマニエラとは関わったではないですか。あなたは彼女がどうなってもいいと・・・」
「彼女の自由だ、何をしようが何を信じようが。子供じゃない、そのくらいの判断はつけられる歳だ、18にもなれば」
「それはそうです、でも・・・!」
「おせっかいなんだよ、お前は」
 一方的に言い放たれ、場は不穏な空気のまま膠着した。深刻めいた場を緩和するように、軽い口調でオリヴィエがオスカーをたしなめる。
「ちょーっと言い過ぎなんじゃない、ソレ。大体女におせっかいすぎるくらいおせっかいなのはいつもはアンタの方じゃない。聞いてて笑っちゃうわよ〜」
 オスカーも負けずと軽口で対抗する。
「ああいうタイプは好みじゃないんだ」
 思わず立ち上がりかけたリュミエールの服のすそを瞬時に抑えたのはオリヴィエだった。
「ストーーーーーップ!・・・・アンタ達、いつもと立場まるで逆だね。どうしちゃったのさ」
 言う通りだ。オスカーを相手に息を荒げているの自分のほうであるという状況は珍しい。すぐさま自戒の気持ちが湧く。が、それさえも、続くオスカーのやけに落ち着き払った言葉が打ちのめした。
「・・・・・リュミエール。あの女はよしとけ」
「・・・・なっ・・・・・!」
 ことごとく逆撫でされる。なぜこの男はこうもくだらないことを言うのだ。知らず声高になる。
「あなたはすぐにそういった邪推をする・・・。そういう話ではありません!」
 激昂する水の守護聖の言葉を無視してオスカーは続ける。
「俺なら近よらない、ああいう女には」
「どういう意味です?」
「単なるカンだ。意味なんてない」
 いや、違う。
「あなたは・・・彼女が娼婦だから・・・そんなことを言うのですね」
「違う、そうじゃない」
「もう結構です!あなた方がいかないというのなら、私だけで。・・・失礼します」
 
「あーあ・・・、行っちゃったよ、リュミちゃん」
「知るか、放っておけばいい」
 二人はどちらともなく、リュミエールが去ったばかりの扉を見た。同時溜息をつく。
「アイツ・・・はまったな」
「うん・・・はまったことに気付いてないとこが、またねぇ・・・」



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