アバンギャルドの第2話『THIS IS FOR YOU』。
守護聖様はまるで決められたフォーマットがあるように、台詞の言い回しや行動基本が既にオフィシャル等で確立されていますので、この話のような「キャラそれぞれ」みたいなことを考えるのはわりと気楽です。迷いがあまりない。ドリフターズの定番コント「もしも」シリーズ、みたいな感覚。また古いことを・・・。
それぞれのシーンの冒頭にある「美しい絵はがきに、書くことがない」という一文は、谷川俊太郎氏の「旅」という連作の詩にあるものです。この詩が暗唱できるほど好きなワタクシ、はい、またパクッてしまいました(^^;。すみません。あと、これは書いてしまってから気付いたことですが、手紙書くっていう設定は「Special2」の取説に既にあったですね(^^;。なんだかなぁもう。
で、その詩の一文だけをいただいて。中堅3人ならどういう答を出すだろう、まったく同じシチュエーション、同時刻、同展開。この縛りを事前に決めて私なりの彼等の三者三様というのはどういう感じかな、と。で、こんな感じです。
最初に「三者三様形式は気楽」とか言い放った私ですが、この形式には唯一難があって。それは後へいけばいくほど手が尽きるということです(笑)。話の展開やオチ等よりも、描写。描写のパターン被らないように、似たイメージにならないように。そう心がけていると、後の方はどうしてもこねくり回してフクザツになってしまう。この話、3人とも文量的にはほぼ同じなのですが、最後のオリヴィエよか最初のオスカーの話の方がすっきりと一気に読める感じ、しませんか。って、急に話振るなよ。そんなわけで自分のボキャブラリーの貧しさに切実に泣いた岸田であります。
この話を書いたことで、やっぱ私は「3人」というのが好きなんだなあとしみじみしました。やっぱり単独部分よりも、最後の3人のシーンが一番気に入っていて。単独部分を書き終えて、さあ最後に3人出てくるシーン書くぞう、となったときのワタクシの心中どれほど浮き立ったか。『Subjective 〜』のあとがきにもありますが、ここ、このシーン、放っておいたら延々延々書いてしまうだろう自分・・・単にエレベーター待ちしてるだけじゃん、そんなとこ長くしても。そう思われる方いらっしゃいますでしょうが、キメのシーンや台詞の部分よりも、こういった些細な箇所ほど妄想が爆走してしまうものなんですよ!!・・・そういうのを変な人って言うんです、わかってますか〜キシダさーん。
とにかく3人で仲良くくっちゃべってる姿が見たい。私の望みったらそんなに小さなスプーン一杯のシアワセだっていうのに、なんでオフィシャルではそれを見ることが困難なのだ〜〜〜(T-T)。いや、困難だからこそ、たまに来るビッグウェイヴ(例:「天空」ラストのお茶飲みシーン等)が格別なものな訳ですが。ああ、幸福の中にいて小さなことに胸を痛めるのと、不幸の中で小さな喜びに打ちふるえるのとどちらが良いことなのか。不幸って失礼だぞ、コーエー様に向かって。
そんなことを日々思っている岸田は、やはり待っているだけでは駄目、などと呟きながら、ちまちまと拙い創作書きにいそしむわけです。勢い余って書き倒しては削除、を繰り返しながら。・・・ああほんとこの無駄な情熱、発電とかに使えたら少しは世の中のためになるのによぅ・・・。