きちんと整頓された光溢れる部屋に、アンジェリークとオリヴィエはいた。事情をつかめないまま、オリヴィエに連れてこられたのは、女王補佐官ディアの執務室だった。
「細かいことは今からディアが説明してくれるから、それをしっかり聞いておいてね。二度説明するのはゴメンだよ〜」
　上等の革張りのソファに身を沈めながら、立ち尽くすアンジェリークに向かって、オリヴィエはおどけた調子で言った。
「お待たせしました、アンジェリーク、オリヴィエ」
　奥の部屋から、優しい笑みを満面に湛えた賢く美しい女王補佐官の姿があらわれた。
「アンジェリークも、どうぞ楽にして。腰掛けてくださいな。今、お茶も用意させてますから」
　言われるがままに腰をかける。しかし、緊張はますますもって高まる一方だった。
「あの・・・・」
「あ、まずはお話から、ですね？そんなに緊張しないで、アンジェリーク。重要なことではありますが、さほど難しい任ではありません。それに、オリヴィエが一緒ですし」
　運ばれてきたばかりの、いい香りをたちのぼらせているお茶を一口含み、ディアはゆっくり話し始めた。
　要約すると内容はこうだ。女王陛下の統べるこの宇宙には、あまたの惑星がある。その中の一つ、それもかなりの辺境に位置するアヌーシュカという惑星を実地調査することがこの度決定した。アヌーシュカは、夢の守護聖オリヴィエの故郷でもあることから、探査チームの責任者としてオリヴィエが任命され、同行することになった。
「そこで・・・・」
　ディアは言った。
「その実地調査に、あなたも行ってもらうことにしたのです」
「何故ですか？」
　探査チームを送ることも、責任者としてオリヴィエが行くことも、理解した。しかし。
「なぜ私が？しかも同じ女王候補のロザリアは選ばれずに。理由を教えてください」
　ディアは、何やら良くない想像をしているらしい、まだ幼さを残す女王候補に向かって微笑んだ。
「ああ、心配はいらないわ。別に特別な理由がある訳ではないの。ロザリアは女王特待生として、スモルニィでも一般生徒とは違う教育をずっと受けていたでしょう。それには女王としての意識を高めるために他の惑星を視察したりするプログラムもあるの。でも、あなたは生まれ育った主星から出たことはないでしょう？不公平の解消、というほど大袈裟なものではないけれど、丁度良い機会だから同行してはどうか、という女王陛下のおはからいなのよ」
「女王陛下の・・・・」
「気楽に考えりゃいいよ、アンジェリーク。女王試験の間の息抜きくらいでさ。ま、地味な任務だけど、一緒なら私も楽しいし」
　オリヴィエは、まだ不安げなアンジェリークの肩をぽんと叩いて、励ますように言った。
　別に自分が女王候補として何か不都合があるからといった理由からではないらしいとわかって、少し安心したアンジェリークではあったが、またひとつ新しい疑問が湧いてきた。
「あの・・・その間の女王試験の方はどうなるんでしょう。エリューシオンを放っておくわけには・・・」
「まあ、アンジェリーク。あなたは責任感の強い人ね。エリューシオンの民は幸せだわ」
　ディアは嬉しそうに言った。
「でも大丈夫。この飛空都市・・・飛空都市はすべて聖地と同じ環境にあるわけですけど、聖地と、主星を中心とした母星系宇宙は時空間が違うということはあなたもご存知ね。ですから調査はアヌーシュカの時間では一週間ほどですけれど、ここでは一晩にも満たない時間です。星間の連絡には、パスハが次元回廊を開いてくれますからほとんど時間はかかりません。あのような辺境にも女王陛下のお力をもってすれば、直ぐさま行けるのですよ」
　ディアの簡潔な説明に、オリヴィエが補足をするように続けた。
「次の土の曜日に、いつものより少し早めにアンジェリークはエリューシオンの様子を見に行って、その後に出発する予定。アヌーシュカでは一週間過ごしても、聖地時間の日の曜日の夜の刻にはこっちに戻ってこれる計算さ。私だってそんなにはここを離れるわけにはいかないからね。休日返上ってことになるけど、まあたまには違う空気を吸うのも悪くないってことで」
「まあ、オリヴィエ。遊びに行くのではないのよ？あなたには探査チームの責任者としての責務が、きちんとあるのですから」
　ディアはたしなめるように言ったが、この夢の守護聖が一見享楽的な外見とはうらはらに、あたえられた職務は忠実にこなすことも重々承知の上だったので、その顔は穏やかだった。そして今一度アンジェリークの方へ顔を向けた。
「ですから女王試験には特に支障は無いと考えます。女王候補としての視点で、女王陛下の統べる惑星をじっくりと観察してきてください。また、このような調査団に参加してその職務を間近に見ることも、きっとあなたの勉強になると思いますよ」
「はい。ディア様」
「今回の旅に最低限必要なものはオリヴィエに揃えていただくよう言ってありますから。何か要望があればオリヴィエの方に申請してくださいな」
　最低限必要なもの・・・・にしてはいささか華やか過ぎる品々だったような気もするけど・・・・。アンジェリークは少々怪訝な顔をオリヴィエに向けた。オリヴィエはそっぽを向いていた。

　女王陛下の特命をディアから伝えられてからの一週間はまたたくまに過ぎ去った。土の曜日・日の曜日を利用してのこととはいえ、アンジェリークの留守中にエリューシオンに不都合が起きないよう、いつもよりも細心の注意が必要だった。王立研究院のパスハとも綿密にスケジュール調整をし、エリューシオンの神官とも日頃よりも熱心に情報交換を繰り返した。
　明日は出発、という日の夜。食事を終えて荷物の最終チェックをしようかというアンジェリークの部屋には、何故かもう一人の女王候補、ロザリアがいた。食後の自由時間をどう過ごすかは各自の自由なのだが、彼女がアンジェリークの部屋に訪れるのは珍しい。
　彼女は憤懣やるかたないといった様子で、出されたダージリンティーを飲んでいた。
「まったく納得がいかないわ。どうしてあなただけが・・・・・不公平極まりないわ！」
　今回の調査が決まってからというもの、彼女の口から何度聞いたかわからない、同じ台詞。またか、と思いつつも、アンジェリークは一応、反論した。
「私に言われても困るもの。・・でもロザリアはスモルニィにいた頃視察旅行はしたことあるからいいんだってディア様は言ってたわよ？」
　ロザリアはカップをいささか乱暴にソーサーに戻すと、強い視線をアンジェリークに向けた。
「わたくしが！女王特待生として！特別な教育を受けていたのは当然のことでしょう！あなたは単に特待生に選ばれなかっただけのことじゃないの。それを今更。しかもわたくしが視察のプログラムを受けた時はオリヴィエ様の・・・いえ、守護聖様の同行などなかったわ！」
　ロザリアは言い終わると、ソーサーに添えてあった手作りのクッキーを口に放り込んだ。育ちの良いお嬢様にしてはいささか品のない態度だ。
　ロザリアは自分が調査に同行できないことを不公平に思っているのではない。本当のところは、オリヴィエが一緒なことを羨ましく思っているのだ。アンジェリークはそんなロザリアを微笑ましく思った。同じ年頃の女の子として気持ちはわからないでもない。しかもロザリアは日頃からオリヴィエと親しくしているようだったし。
「まあまあ。何か可愛いもの、お土産にしてあげるから！ロザリアもそんなに怒らないで？ね？」
　今度は少々憐れむようなため息をついて、ロザリアは言った。
「あなたって・・・・本当に何も知らないのねえ。あなたの行くアヌーシュカはね、お土産なんか無いほどの田舎なの！雪と氷に一年中閉ざされて日もろくろく当たらないようななーんにも無い星よ。あなたも少しは事前に調べるとか、そのくらいの事したらどうなの。そんなことだから女王候補としてわたくしに差をつけられるばっかりで、女王陛下もあなたを可哀想に思ってこんな贔屓を・・・」
「へえ、ロザリア、さっすがよく知ってるわね〜」
　後半の愚痴は遮りつつ、感心した口調でアンジェリークは言った。他意は無い。ロザリアに対して真面目に尊敬の眼差しを向けている。何を言ってものれんに腕押しと察知したロザリアは、それでも褒められて悪い気はしないのか、いささか自慢げに続けた。
「こんなことは王立図書館とかで少し調べればわかることよ。オリヴィエ様に直接故郷のお話を質問したこともあるけど、オリヴィエ様はあまりお話したくないみたいだったわ。上手くはぐらかされて・・・。でも意外よね。オリヴィエ様はとても都会的な雰囲気だし、とてもそんな辺境の田舎星出身だとは思えないわ」
　それにはアンジェリークも強く頷く。
「そうよね〜。なんかどちらかというと熱い星の出身みたいなイメージない？」
「それはやっぱり外見が熱帯の鳥みたいな・・・・何言わせるの！」
　ロザリアは自分の発言に恥じ入ってか、赤面した。そしてやおら立ち上がると
「あなた明日は早いんでしょう？わたくしももう部屋に戻るわ。ま、せいぜいオリヴィエ様の足手まといにならないように頑張りなさいな。おやすみなさい」
と言い残し、そそくさと部屋を出ていってしまった。
　急に静かになった部屋の真ん中で、アンジェリークは思いを巡らした。
　アヌーシュカ・・・・雪と氷に閉ざされて日もあたらない辺境の星・・・・美を司る夢の守護聖オリヴィエ様の故郷の星・・・・。いったいどんな星なんだろう・・・・そして私はそこで何をみるのかしら？

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