リクエスト小説『Dive into GROOVE TUBE』   02

「で。」
 オリヴィエが手にした手ぬぐいで額の汗を拭き取りながら、他の二人に向かって微笑んだ。
「…なんでワタシタチってば〜3人でこんな、山奥の、露天風呂に入ってるワケ?ん?」
 オスカーが素っ気なく応答する。
「お前だって一緒に聞いてただろ?とりあえずこんなものしか客をもてなすものが無いから、って長老が。なあリュミエール」
「粋なはからいですよね。しかし不思議なものですねえ…さきほどまでプールサイドで読書していたというのに…打って代わったこの風景…」
 3人は周囲を見渡した。
 既に夕刻、吹く風は涼やかだ。四方は壁のように立ちはだかる切り立った山々。岩場の下は紺碧の海ではなく渓流、穏やかなせせらぎが囁きのように響いている 。三人がいる場所は、この渓谷の中腹に張り付くようにある野趣溢れる…といえば聞こえはいい…すぐ脇に脱衣所代わりの今にも風に倒れそうなほったて小屋がある以外、ひとつも人の手が入っていない野生の出湯であった。
「こうした露天の温泉というものに、私初めて入りました。噂以上に良いものですね」
「ああ、このワイルドな味わい…これで一緒に入ってるのがオマエらじゃなけりゃ…」
「この風景、雪の季節などだったらまるで天上の女神のように美しいでしょうね」
「ああ、良いだろうなああ!雪のように色白のレディのお酌でまま一献、なんつってな〜〜〜!」
「素晴らしいですねえ〜」
 お互い人の話を聞いてるんだかいないんだか。
 リュミエールがうっとりと額の汗を手ぬぐいで拭い、しみじみと呟いた。
「本当に気持ちの良い……私…ハマりそうです…」
「ほ〜んとにねぇ」
 オリヴィエは目を閉じ、ため息を深くついてから。
「……………って、何がハマりそうよ………っ!オスカーもっ、老け込んだ会話してる場合じゃないのよっ!!!!」
 夢の守護聖の急な絶叫に他二人は目を丸くする。かまわずオリヴィエは一気にまくしたてた。
「こんなもん、要はあったかい水たまりじゃないの!あ〜、ハッパとか浮いちゃってさぁあ…日も鬱蒼と暮れて来ちゃって…もうもうもうもう!違うじゃない、入るんだったらせめてジャグジーとかサウナとか!!眺める夕陽が沈むのは山の稜線じゃなくって水平線だったはずじゃない!ワタシのスペシャルな、ゴージャスかつ優雅なトロピカルリゾートハイライフが、どこをどうしたらこんな小汚い野温泉にすり替わるのよ〜〜〜っ!!!」
「そうキレるなよ、オリヴィエ。皺が増えるぞ」
 オスカーが妙に達観したような口調で言い、ゆっくり四肢を湯に伸ばす。
「あの平三とやらの話ノリノリで聞いてやってたのはお前もだろうが。自己責任だろう?」
「ふん、こんなトコだって知ってたら来なかったわよ!オスカー、アンタが話もろくろく聞かないでチャーター機用意させて遠く離れた山の麓まで飛ばして…ったく金とヒマにもの言わせちゃってさ!やることに品が無いのよ」
「そこのところはオリヴィエの趣味の方向性と合っているようにも思えますが」
「アンタは黙ってジジイみたくまったり露天風呂にハマってなさい!」
 オリヴィエはリュミエールに湯の滴をかけた。
「…それだけならまだしも、そっからあんなに歩かされて…もう何度気が遠くなったか…ジョーダンじゃないわよ…こんなとこ…」
 ふと思いついたように顔を上げた。
「あのさ。こーゆートコってさあ、普段、鹿とか猿とか狐とかが入っちゃってんじゃないの?…もっと言っちゃうとクマとか!お〜〜〜イヤだイヤだ!」
 オスカーが急に険しい表情をした。
「むっ」
「な、なに?オス…」
「何か不穏な気配が!!!!」
 オスカーはそこらにあった手頃な木の枝を茂みに向かって槍のように投げ放った。リュミエールが叫ぶ。
「お、オスカー!全然方向違いですっ!」
「え?」
 丁度オスカーの背後、リュミエールの視線の先には黒く猛々しいクマの姿が。
「うわああぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
 3人とも目にも留まらぬ早業で温泉を飛び出す。立ちこめる湯煙に乗じて小屋へとダッシュ、ボロ小屋を心許ないついたてにして身を隠し、しゃがみこんだ。
「…………………行ったようだな」
「…………………ホント?」
 オリヴィエが首を伸ばし、温泉のほうを伺う。
「…よく見えない、けど…」
 その時、風がすうと吹き抜け、一瞬のうちに目の前の湯煙が切れた。さきほどクマがゆったりたっぷりのーんびり露天風呂に浸かっている。
「まだいるじゃないよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「え…?おかしいな、確かに気配は…」
 なにやら腑に落ちぬ表情で首を傾げるオスカーをオリヴィエがひじで小突く。
「アンタさっきから外してばっかじゃない、湯あたりでもしてんの?しっかりしてよ」
「ああ…いや…その…」
 リュミエールが温泉の方向をしげしげと伺う。
「…何だか敵意は感じられませんね…彼も気持ち良さそうです」
「彼、ってクマ?そんなもんにシンクロしてんじゃないわよ!」
「お、おい!リュミエール!!」
 まさか真実共鳴していたのだろうか?リュミエールは二人の制止の声も聴かず、温泉に向かってずんずん歩み行く。もう間に合わない、オスカーとオリヴィエは手に汗握り、ごくりと唾を飲んだ。
 とてもそのまま正視していることなどできなかった。二人は再び小屋の影で身を縮ませた。
 しばし、間の後。リュミエールの爽やかな声が渓谷にこだました。
「……オスカー、オリヴィエ、大丈夫です!彼、一緒に入っても良いと言ってくれてますよ〜!」
 わーいさすがはドリトル先生!
 …って違うっつーの!!思わずココロでべったべたなノリツッコミする二人であった。
 
 クマとの別れも無事すませ、露天風呂をそれぞれの意味でたっぷり堪能した三人。身支度が整ったところに、丁度声が聞こえてきた。平三だった。
「ああ、丁度上がったトコだな。ここら辺りはなんもないけど湯だけは極上なんだぁ」
「あーホントにね、最っ高ーーーに極上だったわよ!」
「だろ??」
 オリヴィエの皮肉にも気付かず、平三は嬉しそうに笑った。彼もまた自分の家で湯浴みしたのであろう、みすぼらしさにそう違いはないが、身綺麗にはなって顔の判別もつく。こうしてみると、平三はまだ青年といっていい若者であった。
「…長老が、アンタたちのこと呼んでるだ」
 
 


 村の中央に位置する大きく古い木造の屋敷。平三に導かれ、通されたのは来た時と同じ奥座敷であった。あの時はまだ外は明るかったが、今はもう暗い。部屋のまわりを等間隔に行燈の火が揺れている。だがぼんやりとした灯りではあたりをほのかに浮き上がらせるだけで、到底広い座敷の全体を照らすに不十分だった。ちなみにわざとだ。廊下には普通に電灯があった。
 始めに通された時には御簾が降りていたので気付かなかったが、座敷の上座、奥手には大きな祭壇のようなものがある。薄暗い中で見る印象では判断つきかねるが、かなり立派なもので、得体の知れない装飾や像が曖昧なライティングも相まって妙に迫力をもって迫り来る。
 その座敷のど真ん中に、すでに随分長く三人は座らされている。
 屋敷を囲む竹林が風にざわざわざわと音をたてる。部屋に満ちるイヤな雰囲気を盛り上げるは、なにもそのBGMだけではなかった。
 部屋の隅の暗がりにやはり同じく座らされている村人達の囁き声。
 ハッキリとは聞こえないが、何かを口々に言っている。
 オスカーがおもむろに、ぶんっと振り返る。
 ひぃいいいいいい〜〜〜〜〜〜〜。声にならない…吸う息に近い…声が一斉に上がる。
「ヤメときなさいよ、オスカー」
「無闇に人心を煽ってはなりません」
「振り返っただけだろうが、大袈裟な。…しかし…」
 オスカーはもう一度振り返る。
 ひぃいいいいいぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。もいちど。ひぃいいいいい〜〜〜〜〜〜い。
「はっはっは、ザマミロ。こそこそ陰口をたたくからだ」
「オスカー!」
 面白がるオスカーをオリヴィエとリュミエールの声が揃ってたしなめると同時、どんどん、と太鼓が鳴り響いた。三人が音のした方角…祭壇の奥だ…に視線を戻したとたん。観音開きに扉が開いて、何かが登場した。……お神輿……?
「ちょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜おろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜おの、おな〜〜〜〜〜〜〜〜〜り〜〜〜〜ぃいいいい」
 甲高く、時折裏返る酔っぱらいの呼び込みのような声が長老の登場を告げ、金の鳴り物がしゃりしゃりしゃりんとけたたましく鳴らされる。呼応するように村人達がかしずいた。
「お待たせもうした…非礼をお許し下され」
 御輿が口を利く。実際には御輿に鎮座した長老が喋ったのであるが、宗教的な意味合いなのか単純に過度の装飾なのか、彼は数多の飾り物に埋もれて既に神輿と一体化している。三人の正面、神輿はそのまましずしずと床におかれ台座と姿を変えた。
「……いえ……」
 一言返すのがやっとだった。三人とも長老の姿を凝視する。無理もない。最初に目通り叶ったときはごく普通の老人だった、それが今じゃ神輿の一部だ。
(何も私達の為に老体にむち打つようなことをしなくとも…)
(いきなり温泉すすめたのって、要するに着替え時間が欲しかっただけなのね)
(これが見目麗しい巫女とかだったらなあ、まだしもなんだが)
 顔を見合わす三人に、長老は言った。 「オスカーどの、オリヴィエどの、リュミエールどの、とおっしゃいましたかな。この度はわざわざこのようなところまで…平三が無理難題を…誠に申し訳なく思うておりまする」
 一段高い場所におかれた神輿の上から見下すような態度でそう言う長老、誰がどう見ても申し訳なく思っている態度ではなかった。顔も穏やかに笑っているようで、目が笑っていない。敵愾心丸出しなのだった。
「さてお客人達。なんでもあのチャンキン・プルンピー・リゾートにご滞在じゃったとか」
「は?」
 唐突な話題に面食らう三人をよそに、長老は遠いマナザシで虚空を見た。
「ああ、懐かしい…あの景色。あの場所は今でもあの時のままなのじゃろうか…?」
 オスカーが吐き捨てるように言った。
「あの時って言われてもな。俺達は初めてだ」
「空は黒いほどに青く、海はあたかも翡翠のごとく。波は時よりゆっくりと打ち……岸壁にそびえる目も覚めるような壁の純白、無造作に置かれた調度は金色に輝いて」
 かまわずうっとりと語る老人に、リュミエールでさえいささか呆れ顔だ。
「ああ…まあ、そんなようではあります」
「おおっ…!そうか…あの時のまま…」
「それがなんだってのよ!!」
「いや、お客人にはカンケーない」
 むか。腹の立つ老人であった。
「さて。今日はもう日も暮れておりますゆえ、今宵は当家にお泊まりいただいてかまわん…明日早くにでもまた平三に帰路を道行き案内させます故」
 帰れ、というのか?
 ただでもささくれ立っていた神経に、つい触った。
「ちょっと待ってくれ。それじゃ話が違わないか、じーさん!」
 オスカーが声を挙げた。オリヴィエも加勢する。
「そうよそうよ、こんなとこまで呼びつけといて。ジョーダンじゃないわよ!」
「二人とも…お年寄りなんですから少しは敬意といたわりをもって…」
 リュミエールを遮るように、長老の一段大きな声が響いた。
「年寄りとは失礼なっ。…だいたい呼びつけたのは儂ではない。あくまで平三のスタンドプレー!」
「洒落た言葉知ってんじゃないのよ、ジジイのくせに」
「馬鹿にするでないお客人。儂はこう見えて若き頃に諸国遊学の旅に出ていたことがあるのじゃ、あれは今から55年余前…」
 先ほどの仕返しをするかのようにリュミエールの声が遮る。
「その話はまた。あの、この村は現在窮地にあると、そのようにお伺いしたのですが?その解決に私達が必要と、私達でなくてはならないんだと…そう、聞いて」
 よく考えたらそこんとこは未だ詳しいことを聞いていない三人であった。どうして自分達なんだ?
「余所者の力なぞ借りるまでもない。村のことは村の者で何とかする」
「なら…」
 最初からそー言え。
 そう言いかけた時。背後で感極まった声が挙がった。
「長老!!!じゃが、じゃが、そぃではいなくなった村のみんなが!このまんまじゃあ!」
「じゃかぁしい、平三!!この儂が何とかなると言っておろう!」
「何とかなるて、長老様じゃって三鬼洞の奥は…。だからっ、だどもオラの…とにかく聞いてくれって…っ!」
「ええい、聞く耳持たぬわ!」
 三人のことなどすでにカヤの外。
「…帰ろ、リュミちゃん、オスカー。つきあってらんないわよ」
 オリヴィエが立ち上がった。それを見て慌てる平三。
「ま、待ってくだせえ」
「いんや、待たない!ったく何だってのよ…悪いけどいつか絶対おごったぶん返してもらうからね!あのアンタが思いっきり食い倒したワタシのスペシャルデザート!!」
 オリヴィエの言葉に、場がいきなり静まった。水を打ったように、いや瞬時に空気が凍りついたかのように。目の前の平三は真っ青な顔でうつむいて動かない。
「…………スペシャル…デザート……?」
 地を這うように低く、恐ろしい響きさえもって長老が言った。
「お客人…スペシャルデザートとは…いかな…もとい、それを平三が食したと…?」
「ああ、そうだ。思いっきり。アイスもフルーツも生クリームも。もうこれでもかっつーくらいモリモリに盛り上がったパフェみたいなやつ。死にものぐるいで食ってたぜー、こんな美味いもん初めてとかって」
 オスカーの発言に、未だかつてないざわめきに揺れる村人達。
「な、なんだよ…」
 突如、長老の怒号が響きわたった。
「皆の者!こやつは禁を犯した!ひったてぇい!!」
「あああああっ、お許しを、お許しを〜〜〜〜〜〜〜!!」
 その声を合図に村人達は平三に飛びかかり、三人が呆気にとられている間に広間の外へ引き吊り出される。なおも許しを乞う平三の情けない声とともに村人一同消えていった。
 瞬く間に閑散とする広間。
 いったい何なんだ。この村は。
「…世の中には知らぬほうがよいことというのがありますじゃ、お客人」
 別に知りたいという気も、もうない。
「とにかく…部屋を用意させますじゃ。明日、早々にお帰りになるがよろしい」
 その時再び登場時と同じ太鼓がどどどん!と鳴り響き、神輿が再び掲げられた。来たときと同じく呼び込み声が何かを甲高く叫んで、再び長老は祭壇の奥へと消えた。
 
 そして誰もいなくなった。三人の不可解と不愉快だけが残った。
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