オリヴィエがプールサイドに置かれたデッキチェアの上にふんぞり返り、大きく腕を伸ばしつつ、大げさに声を上げた。 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。やっぱコレよね、コレなのよ、ワタシの求めていたものは!っていうか…あれは忌まわしい夢だったのよ、夢ってことにしとこ、この際。ね?リュミちゃん!」 並んだデッキチェア、読んでいた文庫本を閉じ、リュミエールは顔を上げてオリヴィエと同じく目の前の景色にため息をついた。 「自分を騙してはいけない、そんな歌もありましたが」 「はぁ?」 ちなみに『ラブ・イズ・オーヴァー』であるがそんなことはどうでもいい。 「えてして恋は思い過ごし、夢見るようでいたいとも…これは何の歌でしたっけ、オスカー?」 「知るか。しかも全然適切な引用じゃないぞソレ」 プールからちょうど上がって来たオスカーが、いつかの時のようにタオルで身体の水滴をふき取りながら、素っ気なく言う。リュミエールが穏やかに微笑む。 「そんなこともありませんよ。何かに強く心を残すことは恋と似ています。…ああ、もう二度と出会うことはかなわないのでしょうか、あの…」 オスカーとオリヴィエがじっとリュミエールを見る。 「あの…?」 「伝説の秘湯」 「………………真面目に聞くんじゃなかったぜ」 オスカーはさして読みたくもない新聞をがさがさと大げさな音を立てて開く。 「やぁーっとどういうわけか何とか無事に!…帰ってこれたっていうのに、まだそんなこと言ってるのか?」 「ほんとほんと!リュミちゃんってあきらめ悪いんだから…」 オリヴィエは置いてあった手鏡を手に取りお肌チェックを始めた。 「二度とあんな目にはあいたくないよ。さんざん歩かされて妙ちきりんなもめ事に巻き込まれて、おまけに最後は渦にまでまかれてぐーるぐる。水はしこたま飲むわ、頭は打つわ、お肌だってほらもうボロボ……あれ?」 オリヴィエは少々腑に落ちないといった風に手鏡に見入った。 リュミエールが聞く。 「どうしました?何か気になることでも?」 「…うん…え?あ、ああ。とにかく!!」 オリヴィエは手鏡を置いてリュミエールに向く。 「いいのよもう、あの村のことは忘れるの!!財宝だって無かったしさ!」 「あったとしてももう跡形も無いぜ」 オスカーの眺める新聞記事にはとある火山の噴火のニュースが記されている。 「地揺れってのが火山活動だったとはなぁ…被害が無くて良かったぜ」 三人はこの場所からも遙か遠く見える山頂に、今ももうもうと噴煙が立ち上っているのを見つめた。 「ひとつ間違えば命すら落とすところでしたね。…メイン州さんは無事だったでしょうか」 「メイン州?」 「クマよ…クマ!」 「ああ…それなら動物は人間なんかより敏感だ、とっとと一足先に逃げたさ!」 「思えば村の動物たちの様子が変だったというのもそのことが理由なんですね」 「だな。…ま、祟りだなんだ、鬼も濡れ衣ひっかぶって気の毒だったというわけだ。いや、あいつら、都合の悪いことは何でも鬼に押しつけてるからこうなったのかもな!ある意味これが祟り」 「ええっ!!そ・それはホントか??」 プールサイドにモップをかけていたホテルのボーイが声を上げた。聞き覚えのある訛り。 三人は同時叫んだ。 「平三!!!」 彼の懐かしい、無邪気なほほえみがそこにある。 「お互い無事で良かっただなぁあ!水に巻かれた時にはどうなることかと思っただが」 「…いやあの…そんなことより…オマエなんでここに……?」 「いやあ、噴火の影響でなぁ、いろいろ村も大変だぁよ。畑とか火山灰とか岩とか飛んできてなー、仕事にならねぇだ。だいたい大方が水浸しになっちまったし…。だから村総出でこっちに出稼ぎに来てるだよ」 「村総出…?…つーことは」 三人の背後で植え込みの枝を払っていた職人が急に大声を上げる。 「ワシもまだまだ現役じゃ!!村の為に心を入れ替え働くぞい!」 「ジジイ!!!」 「長老と呼べい!!ああしかし…夢にまで見たチャンキン・プルンピー・リゾート…運命はワシを見捨てなかった…」 「すっかり復活してるわねぇ…アンタらのせいでこっちはもうもうもうもうもうッ」 「まま、皆無事で良かったではないですか、すべては水に流しましょう」 「上手い!蒼鬼様!!」 手を打つ平三にリュミエールは「いえ、その名はもう…」と困惑の笑みで返した。 オスカーが問う。 「平三、お前らいつまでここに?」 「いやぁ〜いつまでだかなぁ〜…やっと仕事にも慣れて来たし。もうしばらく…」 「ワシは一生をここで終えてもかまわん!!」 「平三、長老!仕事しないとまーた叱られるわよ!」 振り返ると、メイドの格好をしたナツである。 「ナッちゃん!!」 「ナツ!いつ見ても似合うだなあ、その格好…可愛いだぁ〜」 オリヴィエが横目でナツを見る。 「アンタもいたのね…この性悪!!」 「ええ、おかげさまで…部屋付きのメイドになりまして!オリヴィエ様、エステの予約のお時間ですが?」 「マジ…?部屋付きってワタシの?」 「こう見えて有能なんですの!うふっ!私結構冷たい男の人って好みなんですよねぇ〜〜、一生懸命お世話しちゃう!!」 「……ふざけんじゃないわよ……ああ〜〜〜頭痛くなってきた…………エステ、キャンセルする」 「いいんですかぁ?今スケジュール混んでるって…」 「いいのっ!いいからアンタらはあっち行って!!」 はあ〜い、というヌけた返事とともに、彼らは去った。 「ああっ!!もうイヤ!!!どーしてこうなるのよ〜〜〜〜スペシャルな、ゴージャスかつ優雅なトロピカルリゾートハイライフがっっっっっっっ!!!ワタシがいったい何したってーのーーー!!!あの性悪が部屋付きなんて…あとで支配人締め上げてやる、メイドも代えてもらう、いや部屋だって変えてもらうっ」 「…大忙しだな…あれ?リュミエール、どこ行くんだ?」 ふと見ると、いつの間にか立ち上がっているリュミエール。 「オスカー、オリヴィエ…。私、もう一度…行ってまいります、あの村に!」 「ええっ!?」 「何かが私を呼んでいる…伝説の秘湯はあるんです!!!!」 「おいおいおいおいおいおいおい……!何言ってんだリュミエール〜〜〜頼むぜ?」 「別にあなた方を誘ってはいません、私ひとりで。では失礼」 「ちょっと待てリュミエールっ!…おい、オリヴィエ、オマエも止めろ!」 なぜかオリヴィエは思案顔である。 「………よし!ワタシもつき合う!!」 「ええええっっ、オリヴィエっ!マジか??」 オリヴィエも意を決したように立ち上がり、そそくさと身の回りを整理しだした。 「いっくらアイツらがヤだからって…何もそこまで」 「それもあるけどっ!……ねえ、オスカー」 「な、なんだ?」 「これ、見てよ」 そう言ってオリヴィエは自分の手鏡を見せた。オスカーはオリヴィエに顔を寄せてのぞき込む。 「…肌、キレイだと思わない…?なんかこう…今までになく」 「はあっ??…まさかお前、思いあまってこの俺を」 「違うっ!!ワタシもそうだけど…ほらオスカー、アンタでさえも」 「?…別にいつもと変わらないんじゃ…」 オスカーは鏡を見入りつつ、自分の頬をなでさすった。彼にはさして何も感じられなかった。 「いやっ、違う!やっぱ違う!!これってさぁ…温泉の効果なんじゃないかなぁ…?なーんか、ここのホテルのエステより調子イイみたい」 「そ、そうか??」 「これは絶対あの温泉だわ、間違いないっ!リュミちゃんっ、ワタシも行く、行くから待って〜〜〜〜〜!!!!」 「どうしたんだよ、トロピカルリゾートハイライフはっ」 「ワタシのお金はね、アイツらの給料じゃなくて、ワタシの美の為に使うのが正しいのっ!ま、あとはオスカーひとりで満喫してて。もし何だったら先帰っちゃってもいいから!じゃねっ、バイバ〜〜イ」 軽やかに手を振って、リュミエールの後を追うオリヴィエ。 「お、おい、ちょっと待て!ひとりって、このジジババしかいない高級リゾートでか?!…いや今はもっと余計なもんまでいる…嘘だろおい…」 オスカーはデッキチェアにぐったりともたれかかった。 灼熱の太陽が彼の肌をじりじりと灼く。強烈な太陽に浮かび上がる原色。ここは現世の楽園。 「いや。」 オスカーは目を閉じゆっくりと思い返す。あの透き通るような白い肌、すがるような瞳の色、はかなげに微笑んで俺を呼んでた…。 ここにはいない、そしてあの場所にはいるのだ、断じて見間違いではない。いや幻想であったとしても、ここで現実の限界を思い知るよりずっとロマンがあるじゃないか。 「待て、待て待て待て!!俺も行く!!!」 平穏より興奮。退屈より刺激に。否応なく頭も身体もビビッドに反応する、まだまだ若かったりする3人なのであった。 (終) |