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 MARLBOROUGH STREET MAGISTRATES' COURT


MARLBOROUGH STREET MAGISTRATES' COURT

[下級裁判所]
Greatmarlborough Street, W1

60年代、70年代、STONESはドラックとは切り離せないバンドだった。
まだドラックが実験的なものとして上流階級や知識人に試されていた時代から、そして若者の特権としてごく簡単に手に入るようになってからも、その関係は切れることはなかった…。
特にブライアン、キースはそれの代名詞とされるくらいの依存者だった。
ブライアンは1969年7月3日の死によって「永遠のドラック・スター」の肩書きを手にし、リタイアしたが、残されたキースはブライアンの行き方を引き継ぐように、ますますエスカレートしていったという。
ブライアンの後に参加したミック・テイラーは、STONESのメンバーになった途端、ドラッグ中毒になり、そのせいで鼻の軟骨が溶けてしまい、シリコンをいれていることは有名な話しだ。
一方、ミック・ジャガーはというと、あくまでも自分をコントロールできる範囲にとどめていた。もちろん、周囲の人にわからないように…。そして、健康思考が強まる世の中になった途端、過去のドラックとの関係をサラリとかわしてみせた。
ビルやチャーリーは、それとは縁遠い存在に感じるが、実はある時期(ごく短期間)、依存していたことを後に認めている。

そんな彼等(どんなだぁ〜 (^ ^; )が、警察に逮捕され、判決を受けるためにお世話になった裁判所。ミックが、キースが、ブライアンが、そしてマリアンヌ、アニタまで!
「マルボロウ・ストリート下級裁判所」、ここもSTONESとの接点!!

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1967年5月11日…前日、サウスケンジントンの自宅にてブライアンが麻薬所持で逮捕されたが、250ポンドで保釈される。そして、11日「マルボロウ・ストリート下級裁判所」に出廷。

1967年11月01日…クリス・ジャガーとSTONESのファンが、前日、ブライアンの刑に抗議してデモを行い逮捕された件で「マルボロウ・ストリート下級裁判所」に出廷。25ポンドの保釈金で保釈される。

1968年5月21日…Royal Avenue House(King's Road)の自宅フラットにてブライアンがカンナビス (Indian hemp)所持で逮捕されたが、2000ポンドで保釈される。そして、9月26日、Inner London Sesionsでカンナビス所持で無罪になった後、50ポンドの罰金と訴訟費用105ポンドが科せられた。

1969年12月19日…5月28日、チェイン・ウォークのミックの自宅が家宅捜査を受け、カンナビス不法所持でミックとマリアンヌ逮捕。チェルシー警察所で50ポンドで保釈となる。翌日の5月29日、「マルボロウ・ストリート下級裁判所」に二人は出廷し、6月23日まで保釈が認められる。そして審問は数回延期され、12月19日、二人は再び「マルボロウ・ストリート下級裁判所」に出廷。結果、マリアンヌは無罪となり、ミックはカンナビス不法所持の罪で200ポンドの罰金と50ポンド50シリングの訴訟経費を科せられた。

1973年10月24日…6月26日、チェイン・ウォークのキースの自宅が家宅捜査を受け麻薬捜査員によってカンナビス不法所持(キースは銃刀所持の罪も含まれる)でキースとアニタ、友人が逮捕される。翌日、8月1日まで1,000ポンドで保釈。7月31日、「マルボロウ・ストリート下級裁判所」でキース、アニタ不在で保釈処分となり、さらに8月14日に9月12日までの保釈が認められる。 そして10月24日、キースは、カンナビス、マンドラックス錠剤とリボルバー、ショトガン、弾薬の所持の罪を認め、205ポンドの罰金を科せられる。アニタはマンドラックス25錠の所持の罪だったが、1年間の条件付き免罪となった。


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(p)bero
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