子供のころ作家になると決め込んでいたわたしは、大人に「あなたもいつかは誰かのお嫁さんになるのよ。」と言われるたびに、内心激怒していた。自分が誰かということをすでに知っている(と思っていた)のに、全く他人のような自分のイメージを押し付けられるのに我慢ができなかったのだ。
すてきな家に、夫や子供とささやかに暮らす自分を人々が想像していると思うと、当時はのどから内蔵が出てきそうなくらいに不快ですらあった。
ところが実際に作家になってみると、逆立ちしても手に入らないそんな暮らしが、シャングリラのように見える。まさに隣の芝生は青いとかいうやつである。
正確には、夫と子供は一通り現実を経験したので遠慮しておくとしても、妻や夫や子供らの脇にちょこんと座り彼らを見上げている、つぶらな瞳の大型犬がわたしの胸をかきむしる。
わたしにとって大型犬は、平凡で幸せな生活の象徴である。わたしの実感するところ、特に都会では、一人暮らしの働く女性やシングルマザーには、大型犬を飼う権利のようなものがあまりない。そんな状況では、大型犬のような大胆なスケールの生き物を世話し、管理し、幸せにすることが非常に難しいからだ。
ただ十分な広さの家や庭、容易に運動や散歩をさせられる環境が身近にあれば話は別である。
オーストラリアでのわたしの生活には、そんな環境があり、わたしは大型犬を飼っていた。
ケルピーとシェパードの雑種のルビー・ブラックである。わたしが最も自分のあこがれに近い生活をしたのは、幸福で平凡な生活を手に入れることはなくても少なくともそのふりのようなことができたのは、子供時代をのぞいては、ルビーと過ごした2年間だけだ。
オーストラリアを離れるに当たっての最も辛い決断は、そのルビーをオーストラリアに残すことだった。
「日本でも、田舎のほうに住めるんじゃないの?」とすすめてくれた友だちもいたが、ただでさえ知り合いの少ない日本で、全くつてのない、人間関係も都会より難しいとされる地方に、ぬくぬくとしたオーストラリアからダイレクトに飛び込むのはあまりいい考えとは言えない。
いずれにしても環境がきびしくなることに変わりないが、まだ少なくとも親族のいる、生まれ育った東京周辺に戻るのが懸命な選択だろう。
とてつもない運動量の、オーストラリアン・ケルピーとジャーマン・シェパードの混血。
その自由な魂を、狭いマンションに閉じこめ、「犬の散歩禁止」とあちこちに書かれた街を放浪することを想像して、わたしは肝がつぶれた。
わたしと、助力してくれた友人によって、あちこちに飼い主募集のビラがばらまかれた。そしてある日、カートとパナイオタがルビーを訪ねてきた。カートはメルボルンの郊外に農園を持つ移民のオーストリア(北欧の)人、パナイオタは大学に通いながらメルボルンに息子と暮らし、フランスに住むアフリカ人の夫を持つギリシャ系オーストラリア人である。
ルビーはカートの農場で、もう一匹の元パナイオタの犬、ロングヘア・ジャーマン・シェパードのサシャと暮らし、パナイオタが息子と共に、時々彼女を訪ねて行くことになった。
別れまでの間、ルビーを徐々に慣らすために彼らは時々うちを訪ねてくれ、ルビーはすぐに彼らと仲良しになった。
そして2000年11月7日、オーストラリアを離れる二週間前、引っ越し前のバタバタした雰囲気の中で、ルビーはカートの車に乗り、彼らに引き取られて行った。
4年弱のオーストラリア生活。その中でたった2年半のルビーとの生活。平凡な人間としての、わたしのささやかで精一杯の理想の生活。その日わたしはその生活に別れを告げた。上の写真はその日のものである。
翌日、パナイオタから電話があった。農場に着いたルビーの様子を知らせてきたカートからの電話の内容を、回してくれるためである。
ルビーはもう一匹の犬サッシャをひどく警戒し、彼女に向かってさんざん吠えたてたという。これはちょっとわたしを驚かせた。ルビーはどんな犬にもおそろしく友好的だったからだ。けれども、他の点では大喜びだったようだ。何しろのびのびした田舎の農園の犬になったのである。
「朝散歩に連れ出したら、農場の中を風のように走っていたそうよ。」
パナイオタは言った。
日本に帰ってから聞いたルビーについての知らせも、ひどく楽しそうなものばかりだった。
ルビーは農場でオーストラリアでは害獣であるウサギを殺す仕事を請け負っている。彼女はウサギを捕らえて殺しまくる。サッシャが殺すウサギがいなくなってしまうほど殺す。そしてもりもり食べてしまう。時には同じく害獣のキツネも殺す。
ルビーはわたしと暮らした2年間、ハエ以外の生き物を殺したことはない。
ウサギやキツネにとっては迷惑だろうが、犬にとっては最高に幸せな生活だろう。
ルビーと別れて半年以上、今でも彼女を思い出さない日はない。
あのキラキラ光った毛並み、キラキラ光った目、好奇心と幸せに、いつもキラキラ笑っているような顔。24時間わたしを追っていたあの目。彼女が走った野山、彼女がはねまわった小川、彼女が夢中で泳いだ海。
そして毎日のように、農園での最初の朝に、広い土地をどこまでも、風のように駆け抜けてゆく彼女を思い浮かべる。
この宇宙と、この世界の複雑に絡み合った法則の結果、わたしはもう二度とオーストラリアには住めない。
わたしたち人間がこの世界で権利を主張できるものは、ごく限られている。獣にとってはさらに限られているだろう。
だが彼女は限りなく広い草原を走り続け、そのすべてが今でも彼女のものなのだ。
それを思うとき、わたしの心もまた自由なのである。