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14

 オリヴィエはもうずっと、何度も寝返りを打っていた。目を閉じても少しも眠くなどならない。どうにも頭を離れようがないことが巡っているうちに、もう外は白んできている。
 静かだ。リュミエールもオスカーもネリーもきっとよく眠っているんだろう。夜は明けたばかり、まだ起き出す時間には早い。
 眠るのを諦めてそのまま、天井を見つめた。壁と同じに厚く白く塗られた天井、そこにむき出しの大きくがっしりとした太い梁が渡る。いかにも頑丈そうなつくりだ。
「これなら音なんか何にも聞こえやしない…はずなんだけどね」
 かすかに、車のエンジン音が聞こえる。自分にだけ聞こえるかもしれない。何かがわざわざ知らせている、そのエンジンをかけているのはヨシュア。その背中を押したのは自分。
 一瞬その音はいななくように強く響いて、すぐに遠のいて消えた。
「…行っちゃった、ね」
 まるで目に見えるように、ヨシュアの様子が脳裏に浮かぶ。森へ向かってひた走る車。小さな鞄の中にはめいっぱいの興奮と期待、高揚。それとほんの少しだけの不安を詰めて。アクセルを踏み込む。景色は、すべては、物凄いスピードで後ろへちぎれ飛んでいく。瞳は前を向く。強くまっすぐに、まだ見ぬ砂の世界へ。誰一人自分を知るものの無い、星の果てへ。
 迷うことのない瞳を思い浮かべる自分は逆に、いまだ迷いの中にいる。自分こそが“運命の輪”の容赦ない決断が欲しいくらいだとオリヴィエは思った。
「迷ったところで…なるようにしかならない、か」
 言い聞かせるように心で呟いて、オリヴィエは窓に切り取られた空、飛び立つ鳥の小さな姿を見つめた。


 ヨシュアはいつものように森の入り口で車を止め、勝手知ったる見知った道を急ぐ。いつ3人がここへ来るのかわからないが、タイムリミットは確実に来る。早いに越したことはない。ほぼ全力疾走に近く、ヨシュアはひとり先を急いだ。
 ようやっと移動装置の前に立つ。すでに息は切れ切れで、体を折り肩を大きく上下させながら、それを見つめる。
 やっと…やっとだ。やっとたどり着いた、ここまで。
 ヨシュアは、深く深呼吸をしてから、ゆっくりと扉のほうへ歩んだ。

「ちっ…これも違うか」
 ヨシュアは闇雲にキーボードを叩く。電源を入れ、モニターに表示されるガイダンスに従い入力する。ここまでは問題なくできる。最後に入力しろと言われる、移動装置自体の起動パスワード。ここさえクリアすれば、装置のステージに電源が入り、そこへ乗り込めばいいはずなのだ。だが、今まで勘で入れたパスワードはすべてNG。
「本当に“超単純”なのかよ…?」
 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。全神経を脳に集中させ、ヨシュアは考えた。「焦るな…考えればわかるはずなんだ…」
 繰り返し、呪文のようにそう繰り返す。ふと、顔を上げる。今までの入力作業、必要であろうはずなのに、一度も入力しなかった言葉を思い出したのだ。
「まさか…本気でそこまで超単純?」
 ヨシュアはキーボードを打った。V…I…S…T…A。
 新たに、何かの機械が起動を始める唸り。
「マジかよ!?それカンタンすぎ!」
 指を思わず鳴らし、歓喜の声を上げたその瞬間、ヨシュアは硬直し、息をのんだ。
 ヨシュアの背に何か固く冷たい物が押しつけられたのだ。…おそらく銃口…。
「こんな朝からご苦労なこったな、ヨシュア。だがそこまでにしとけ」
 背後から聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。
「……あんたこそ…直々にここに来るなんて珍しいじゃん……カルロス」
 せいいっぱいの強がりに、カルロスは笑った。
「どうしてこういうことになっちまったかな、お前だけが。森には近づくなってあれほど言ったろう?ルールは守れ」
 カルロスはゆっくりと銃口を下ろした。ヨシュアはおそるおそる振り返る。無表情のカルロスがじっと見つめている。銃口は今度はヨシュアの額にぴたりと狙いを定めた。
「…オレを…殺すのか?」
 答えの代わりに、カルロスは無表情で銃を振り上げた。銃身はそのままの勢いで、振り下ろされる。直後どさりとヨシュアの体が折れ、床に倒れ落ちた。

「…殺せたら楽だな、本当に」


「俺が最後か、また」
 オスカーが寝ぼけ眼をこすりつつ、朝の挨拶をしながらリヴィングに入って来た。オリヴィエとリュミエールは既に起きて、何をするでもなく座っている。
「いえ、私もたった今ですよ。挨拶を交わしたばかりです」
「ワタシだってちょっとだけ早いくらいだよ。まあ、先に寝たしね〜」
 オリヴィエはソファにゆったり体を預けた体勢のまま、そこらに転がってでもいたらしい雑誌を暇そうに眺めている。
 そこへ、ネリーが入ってきた。
「あら、お揃い?おはよう!!」
 3人は揃って返事を返した。
「ねえ、いきなりで悪いんだけど。ヨシュア知らない?」
「いないのですか?」
「そうなのよ〜。トラックも無いの…どこ行っちゃったのかしら」
「フッ、風来坊が彼氏だと苦労するな、ネリー」
 オスカーが笑う。オリヴィエは雑誌から顔も上げず言った。
「何も言ってかなかったんだったら、すぐ戻ってくるんじゃな〜い」
「そうかなぁ…でも…今までこういうことあんまり…ガイのところにでも行ったのかな、ちょっと見に」
 オリヴィエが途端に体を起こしてネリーを見て微笑んだ。
「迷子になるよな子どもじゃないし、大丈夫じゃない?…あれ?その手に持ってんの…」
「え?あ、これ?」
 彼女が手にしていたのは随分大振りのめん棒、だった。
「ふふ、今朝はね、ミートパイ作ろうと思って。得意料理なの」
「へーえ!そりゃいいね、ワタシ大好物」
「ほんと?じゃあ頑張っちゃうわね、まだちょっと時間かかるけど、待ってて」
「よし、ワタシ手伝っちゃおうかな☆」
 オリヴィエはそう言って立ち上がった。
「良いでしょ?食べるのもそりゃ好きだけど、レシピとかにも興味あるほうなんだ。その得意料理の秘訣、教えてよ」
「そう?ありがとう、じゃあ甘えちゃう」
 二人は揃って、リビングから出ていった。なにやら取り残された形となったオスカーとリュミエールは、あっけにとられて顔を見合わせた。
「アイツ…ミートパイ好物だったっけか、リュミエール」
「さあ…あまり聞いたことは…ですが嫌いとも…」
「ま、長いつきあいでも知らないことくらいあるよな」
 オスカーはソファに腰を下ろし、先ほどオリヴィエが見ていた雑誌をぱらぱらとめくってから、それを放った。


「見てよ〜この焼き色!さすがワタシってカンジ〜〜〜〜?」
 オリヴィエがテーブルの中央で湯気を立てるミートパイにナイフを入れながら、満足そうに言う。だが浮き立った声を上げているのはオリヴィエだけだった。
 オスカーがとりあえずぶっきらぼうに返答を返す。
「ああ、美味そうだな…だがお前だけが作ったんじゃないだろうに」
「そういう言い方無いんじゃない?!そりゃフィリングの味付けはお任せだけど」
 ネリーが慌てて言い添える。
「あ、でも外はほとんどマイクよね。パイ皮のこの使い方、すごいきれいな出来上がり!勉強になっちゃった」
「ふふ、ありがと〜」
 皿にとりわけ、朝食が始まる。ひとしきり朝食時の他愛ない歓談の後。リュミエールが言った。
「それにしても…ヨシュアはいっこうに戻りませんね」
 一同は一瞬口をつぐんだ。皆が一様に思っていたことだ。オスカーが同意する。
「そうだな。少しばかり…遅いな」
「本当に…どこ行ったのかしら…これじゃあ、あなたたちも出かけられないわ」
 誰もが手を止める中、オリヴィエだけがパイの最後のひとかけらを口に放り込みながら軽く言う。
「ま、ワタシタチのことはそんな気にしなくたっていいけど。確かに、どこ行っちゃったんだろうねえ」
 ネリーが意を決したように立ち上がった。
「…私、やっぱりちょっと探してくるわ」
 素早く自分の分の食器を重ね合わせ、それから3人を向く。無理に浮かべる笑顔。
「とりあえずガイが何か聞いてるかもしれない」
「俺達も行こうか?」
 オスカーの言葉に彼女は首を横に振った。
「ううん。ひとりで大丈夫。ありがとうオスカー。すぐ戻るわ、あなたたちはここでゆっくりしてて」
「わかりました、お気をつけて」
 リュミエールは微笑んで言った。彼女は頷いて、小走りに部屋を出て行く。
 残された3人は再び朝食の続きに戻った。が、やはり動かす手も会話も、弾むわけがなかった。
 ぎこちない空気の後、オスカーが顔を上げ心配げにドアを見つめながら再び話題を戻した。
「大丈夫なのか、本当に。今から追い掛けても…」
 オリヴィエがからかう。
「やーだオスカー、随分心配性じゃないさ。人のオンナには手ぇ出さない主義じゃなかったっけ?」
「いや、そうなんだが…って違うだろ!ったく、お前なぁ」
 オスカーは文句を言うのを諦めたように、カップのコーヒーを一気に飲み下した。
「お前、なんか聞いてないか?あいつ…ヨシュアから」
「何か、って何よ。朝になったらどっか行くってそういう話?」
「ああ、まあ、なんかそういう…気付いたとか」
「何にも聞いてないよ」
 嘘ではない。別に今朝方出ていくとは聞いていない。
「そうか…お前が何か聞いてたら話が早いなと思ったんだが」
「それは無理ですよオスカー。昨夜はそんな時間も」
「…まあね、寝る前にちらっと顔合わせたことは合わせたんだけどさ。普通に世間話…っていうかあいつの昔話?ちょっとしてね」
「…昔話?」
 思わず揃う、オスカーとリュミエールの声。
 その時。ばたん、と大きな音がした。玄関のドアが開けられる音。けたたましい足音、そう待たず、彼女の姿が現れたが、息せき切って飛び込んできたきり、顔すら上げられない。オスカーが勢い立ち上がった。
「どうした?」
 ネリーは顔を上げぬまま言った。
「あの…よく…わからないんだけど…ヨシュアが…」
 荒い息を抑えそこまで言うのがせいいっぱいの彼女の後を追うように、今度はガイが部屋に入ってきた。
「今、ここんちに知らせに来ようと思ってちょうどネリーと行き会ったんだよ、どうも、皆さん!」
「何事なのですか?」
「なんかさ、さっきヨシュアが、軍の車でさ。あ、運転してたんじゃなくて助手席にいて。よく見えなかったけど、ガーッと、一瞬だったんだけど」
 ガイもまた混乱した様子で、話は要領を得ない。
「ゆっくりでいい、整理して話せ!」
 オスカーの大声に、ようやっと少しだけ息の収まったネリーが答えた。
「ヨシュアが…基地のほうに連れてかれたって……なんだか様子が変だったって…ガイが…」
「それって…いつのハナシなの」
 オリヴィエに向かってガイは言う。
「たったさっきさ、店の前をすんげえスピードで。それだけならまだいいんだけど、何だか様子が変だったんだよね、ぐったりしたようにさ、こう目ぇ閉じて…助手席で。そんであれ、運転してたのはたぶん、カルロスさんだ」
「カルロス??」
 3人は顔を見合わせた。
 ネリーが言った。
「とりあえず、私とガイで今から行ってくるわ。カルロスさんのところ。なんだか待たせてばっかりだけど…」
 そんなことはかまわないと、頷く3人。
 二人はまた慌ただしく、出て行った。

 一体どういうことだ。三人は三様にドアを見つめた。

 

<つづく>


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