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15

「…大事ないといいのですが…」
「あれだけじゃいくらなんでも安否の推測のしようもないが」
 オスカーが、再び椅子に乱暴に座る。
「ただ、そこにカルロスが関係してるってことはたぶん。森に行ったんだろうな」
 森には近づくな。ヨシュアのその行動に、強く反応していたあの男のことを、オスカーは思い出した。
「森……?…まさか…」
 リュミエールはそう呟いた。…まさか、もしや……。
 不意に顔を上げる。見つめる先はオリヴィエ。
「オリヴィエ…、あなたまさか!」
「まさかまさかって、何だリュミエール」
 オスカーの問いはそのままに、リュミエールが言った。
「………何か、“言った”んじゃありませんか、彼に。ヨシュアに」
 オリヴィエが座ろうとして椅子を引く手が、止まった。
「何かって、何」
 平然と、しかし目を合わせず聞き返すオリヴィエに、リュミエールもまた低くはっきりと即答した。
「たとえば、移動装置の起動パスワード」
「!」
 驚いて顔を上げたのは、オリヴィエではなくオスカーだった。オリヴィエは軽く笑った。
「あはは…ナニ言うかと思えば…」
「で、どうなんだよ!昨夜会ったって、そんな話したのか?」
 オスカーの声はすでに大きい。オリヴィエは反してひどく穏やかに言った。
「パスワードは言ってないよ…それは自分で考えなとは言ったけどね。使いたいっていうから、妥協案」
「オリヴィエ!!!」
 オスカーとリュミエールの声が同時重なる。勢いよく立ち上がったためにオスカーの座っていた椅子が倒れ、声の後を追うように大きく音をたてた。
 リュミエールは信じられないといった表情でオリヴィエを凝視している。
「…どうして…そんな…そんな事が許されるとでも…?」
「あれ?そんなに言っちゃマズかった?別にあれ、単なる王立研究院の調査用の星間移動装置でしょ。守護聖専用、聖地直行便ってワケじゃないし。ワタシタチの何がバレるってんでもないでしょ」
 オリヴィエは何事もなかったように椅子に座った。オスカーはテーブルを勢い良く叩いた。
「バレるバレないだけの話じゃないだろう?勝手に、俺達にも黙って!!」
「ヨシュアだって、ワタシには黙って行ったさ。勝手にね」
 あくまでも淡々と言葉を返すオリヴィエ。
「じゃあ何で言わなかった、そういう話したってこと!!」
 オスカーはなおも激昂した。
「昔話とは言わないだろう、これは!!…それよりパイ作りのほうが大事だったってのか!!大体おかしいと思ったんだ、好物云々…」
「声を抑えてください、オスカー…!そんなに怒鳴っては」
 いきり立つオスカーをなだめるリュミエール。
 それからオリヴィエに向き、ゆっくりと言った。
「…時間を稼ぐため、ですね?ヨシュアが無事にこの惑星を出られるように」
「……守護聖が、惑星の民に直接干渉しちゃいけないってのは重々承知の上だよ」
 オリヴィエは顔を上げ、二人を見る。リュミエールが問う。
「なら何故…?」
「だから、さっきも言ったじゃない。使いたいって言うから。でも、ワタシが何言わなくてもアイツは行ったと思うけどね」
「お…まえ…」
 オスカーは低く、声の下に静かに怒りを震わせている。
「…何言わなくても同じなら、どうして言った!?」
「さあ、どうしてかな…そういう、気分…だったってコトかな」
 オリヴィエは窓の外を見る。
「ふざけるな!!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえるよ、…真面目な“炎の守護聖”サン」
「オリヴィエ…!」
 リュミエールはオリヴィエの抑揚の無い声に、息をのんだ。
 オリヴィエのその言葉、いつもの自分達の間でなら何事もなく通り過ぎるはずの軽口。
 リュミエールはゆっくりと、横ををうかがい見た。
 とたん黙り込んだオスカー。彼はうつむき目を見開いて、下ろした握り拳を握っている。その拳は力を込めすぎて白く、震えていた。
 昨夜を思ってリュミエールの胸はきりきりと痛んだ。
 嫌な沈黙の後、口を開いたのはオスカーだった。
「……そんな……お前の気まぐれが、どんな結果を招いたと思ってるんだ」
「…結果?」
 オリヴィエは笑った。
「ヨシュアが捕まった。良かったんじゃないの、事なきを得たってことだもんね」
 オスカーは立ち上がった。
「人の人生、弄ぶのがそんなに面白いか。えぇ?夢の守護聖!!」
「オスカー!!」
 リュミエールは思わず叫ぶ。
「少し言葉を…。そんな、そんな風に言っては」
「言葉を選んで何が変わる!」
 激情のほとばしるままに、オスカーは大声で叫んで、それから声を落とした。
「守護聖は惑星の問題に直接干渉することを禁じられてる」
 リュミエールはちらりとオリヴィエの様子をうかがった。彼は黙りこくったままだ。オスカーがかまわず続ける。
「俺達は様々な星に行く。平和で幸福に満ちた星ばかりじゃない。そこで千差万別、その星、その民が抱える様々な問題を目の当たりにする。うんざりするほどよくあることだ。そんな時」
 オスカーは鋭い視線でオリヴィエを睨んだ。
「オリヴィエ、お前だけだと思うな。俺もリュミエールも、他の守護聖皆。思ったことがないわけがない、自分は何でこんなものを見せられる、本来なら知らずに笑っていられるものを!俺達はそう思いながら何もしないでいることに耐え続ける、時に身を切られるような思いをしても。何でだ?」
 オスカーは言った。
「何でだ、オリヴィエ!答えろよ!!」
「………………」
 オリヴィエはその唇を微動だにさせない。
 答えを待たずにオスカーは怒鳴った。
「力が!このサクリアをもってすればあまりに“簡単”だからだ、この宇宙を変えることなんか!」
 宇宙でたった九つ。自分の意思で与えられたものではない、この聖なる力。それは一人の人間が負うにあまりに大きく、身に余るものだ。でも、それでも、逃げるわけにはいかない…それが自分の運命ならば。この力が与えられた“自分”から。
「俺達は強くあらねばならない。耐える、いついかなる時も。己の弱さで、自分がそれを見ていたくないからといって。気まぐれに通りすがりのご親切して歩くためにこの力があるんじゃない…っ…!!」
「オスカー」
 リュミエールの冷静な声。
「オリヴィエもそれはわかってしたことと、最初に言っていたではありませんか」
「……っ!?」
 強い、碧い瞳からの射抜くような視線が今度は自分に向いたのがわかる。
「これでは、あなたのほうが大人げなく見えます。少しはオリヴィエの話を」
「……話したくないって言ってるのはこいつの方だろう!」
 それだけ言って、オスカーはドアへ向かって大股に歩き出した。
「オスカー!どこへっ!!」
 リュミエールの声は、壊れんばかりに締められたドアにあっけなく遮られた。

 
 静まった部屋に、残される二人。二人とも互いの距離をはかりかねていた。息詰まる時が過ぎる。長い間のようだが、おそらくそう感じられるだけ。
 リュミエールは息苦しさにさいなまれていた。
 オスカーが言ったこと、そんなことをオリヴィエが意識していなかったはずはないのだ。そしてそれをわからないオスカーではないはずなのだ。だからこそ、苦しい。
 少しだけ開けられた窓から風が入ってくる。差し込む光がテーブルの上を眩しく照らし、風が二人の間をすり抜けるたびに食器の影が不安げにちらちらと視界の端で見え隠れした。
 昨日と何が違うという、この朝。どうしてこんな思いを今ここでしている、自分達。聖地を出た時には予想だにしていなかった展開、見えない未来。一寸先は闇…。
 こうして自分達はいつも、運命に翻弄されて手も足も出ないでいるしかないのだろうか。繰り返し、繰り返し、これからもずっと。
 リュミエールは言った。
「オリヴィエ…昔話を聞いた、と言っていましたよね」
「…ああ、ヨシュアから?」
 オリヴィエは意外そうに一瞬リュミエールを見て、すぐまた視線を外した。ゆっくりとした呟くような口調。
「…うん。子どもの頃の。…大した話じゃないよ」
「それは、彼が自分から話しだしたのですか?あなたが聞いたのではなく」
「ああ、そーだね。子どもの時、地図見るのが好きだったって。…それが何だっての?誰でもするでしょ、そんくらいのハナシ」
 リュミエールは顔を上げた。
「それがそうでもないのですよ。その話を昨夜…オスカーとともに話し合っていたのです」
 リュミエールは淡々と、かいつまんで昨夜の会話をオリヴィエに話し始めた。オリヴィエは黙ってそれを聞いていた。
「どう…思われますか、オリヴィエは」
 話を締めるように、リュミエールはオリヴィエにそう問いかけた。オリヴィエは答える。
「ヨシュアと話しててそんな風に…妙だと思うことは少しも無かった。少なくともワタシはね」
「そうですか…」
 リュミエールは答えながら思い出した。言おう言おうとしてついぞ今まで言えなかったこと。
「オリヴィエは…たとえば指に深く傷を負っても血が出ない人間がいるなどという話…信じられますか」
「…?…何、ソレ」
「ネリーの傷口からは、出血が見られなかったのです、オリヴィエ」
 あの朝の出来事を、彼に話す。オリヴィエも当然驚いている、この唐突な話題。
「そんなバカな。…見間違いでしょ?」
「やはり、そうでしょうか」
 オリヴィエは立ち上がった。それから自分が使った食器と、オスカーの分を手早く重ね、揃えて手に持って薄い笑みをリュミエールに返した。
「そんなカオしないで。ワタシもちょっと考えてみるよ、洗いモンでもしながら」
 彼はそういって部屋を出て行った。
 ドアがぱたん、と閉まる音。リュミエールはひとりきりになった。そして意を決したように顔を上げた。

 聖地のため、守護聖としてではなく。今…正確なデータがいる。

 

<つづく>


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