「…あ。俺のトラックだ」
森の入り口にぽつんと乗り捨ててある車を見て、ガイは言った。
「やっぱヨシュアのヤツ、森に来てたんだなあ」
「そのようですね…」
助手席のリュミエールが答える。そんな会話の間に、二人の乗った車はトラックに横付けされ、悲鳴のようなブレーキ音の後、止まった。
「ではすみません、お話したとおり…ここで待っていてくださいますか。そう時間はかからないようにしますから」
ガイは頷いた。
「ああ、ポールさん。気をつけてな」
「ええ、あなたも」
リュミエールは微笑んで、ガイに背を向け、森の中へ入って行った。
あの後、タイミングよくガイとネリーが家に戻って来た。ネリーの家にはリュミエールがただひとり。
「他の二人は…どうしたの…?」
「用事で少し出ています、じきに戻りますから」
「…そう…」
それだけ呟いて、ネリーは朝からの騒動に脱力でもしたようにソファに座り込む。
オスカーはともかく…オリヴィエが家を出ていったことはリュミエールも知らず、ネリーの言葉で初めて知った。が、リュミエールにとってそれはそう意外なことでもなかった。どこへ行ったのかはわからないが、何とはなしに予想のついていたこと。
そして今は彼らの後を追うより優先すべきことがリュミエールにはあった。
ガイとネリーの二人は駐屯地へと事情を聞きに行っていた訳だが、ヨシュアのことは知らぬ存ぜぬと門前払いを食わされたらしい。カルロスにさえ会えなかったという。
「情けないけど待ってるしかない、とそういうことなわけさ。心配だけど…ほんとに見間違いだったかもしれないし…今となっては自信ないよね」
ガイは寂しげにそう言う。
リュミエールは、そんなガイに自分を森に連れて行ってくれるよう切り出した。
「詳しいことはお話できないんですが、今、どうしても行く必要があるのです。それどころではないというお気持ちも承知の上で、お願いします」
リュミエールの真剣な眼差し。ガイは元よりやることもないと、快く承諾してくれた。ヨシュアが乗っていってしまったトラックの代わりに何か車を調達してくると、彼は急いでまた出て行った。
リュミエールは、ネリーのほうを振り返った。ソファに座ったときのまま、呆然としているネリー。歩み寄り、肩に手をかける。
「無理かもしれませんが、とにかく気持ちを強く持ってください、ネリー…。今は彼を信じて、待ちましょう」
ネリーはゆっくりと、リュミエールを向いた。
「ヨシュアを信じる…?信じるって何を」
うつろに響く声色と裏腹に、強く、見据えるような視線に、リュミエールは少々たじろいだ。
「…それはその…もちろん彼の無事を」
「無事?ああ、それなら信じてるわ」
彼女は自嘲気味に笑った。
「でもたとえ無事でも…ここへは戻って来ないわ。そうでしょう、そう思わない…?」
ネリーはうわごとのように言い続ける。
「あの人、行ってしまうもの。普通誰だってそう思うでしょ、おかしいわ、あのお金の貯め方……何のためになんか知らない…でも…出ていけないはず…わからない、そんなわけないのよ…でもだって…あの人、何か違う、私達と。他の人と、何か違うものを見てる、いつも。どこか遠く…どうやって行くのかなんてどうでもいいみたいに…そんなこと軽々しく飛び越えちゃうみたいに……信じる…?信じるって何…私の目の前にいないんなら、無事であろうがそうでなかろうが」
「……ネリー……」
呼びかけに答えはない。彼女の視線はリュミエールを真っ直ぐ見つめているが、その焦点はすでに合っていなかった。明らかに混乱している。
「ネリー!」
リュミエールは彼女の肩を両手で強くつかんだ。
「ネリー!!」
強く揺さぶられ、はっとしリュミエールを見るネリー。
「…え…なに…?」
リュミエールは強くはっきりと言った。
「今は考えないでください。あなたの心を不穏にすることを何一つ。ヨシュアはただ、今、ここにいないだけ。すぐ戻ります。そう強く思ってください。できますか?」
「………」
「ガイも言っていました、見間違いかもしれないと。まだ何もわかっていないのです、本当のことなど」
「でも…」
彼女の瞳は動揺にさまよう。
「ネリー。すべては憶測でしかありません。とにかく、諦めるのはまだ早い、今は自分の中にある強い気持ちを忘れないで」
「自分の…中にある…気持ち?」
「ヨシュアを想うその心。どんなことがあろうとそれだけは揺るぎなく、ずっとあなたの中にあったはずです、それを信じて」
たとえ家族のことを忘れ果てても、忘れなかったこと。彼女をここに存在させる唯一の確かなもの。不安の霧の中、少しの先も見えない。誰も同じだ、ヨシュアもネリーも、そして自分も。
外で車の止まる音がした。ガイに違いない。
「私は行きます。ひとりにしてしまって申し訳ありませんが、とにかく、気を強く持って」
それだけ言って、リュミエールは森へ向かった。
木々の奥に、移動装置の建物が見えてきた。リュミエールは脇目もふらずそこへ向かい、扉を開いた。そう広くない建物内、明らかに人が入った気配が未だ残る。ヨシュアがここへ来たことは間違いない。リュミエールは息を整えてから、通信機器にアクセスを開始した。パスハの姿がモニターに現れる。
「リュミエール様……!心配いたしておりました、移動装置の起動準備が整ってもいっこうにお戻りになられませんので…ご連絡がもう少し遅かったらこちらから迎えを出す手配にしておりました。いったいこれはどういうことなのですか?」
リュミエールは息を整え、言った。
「そのことは後ほど。とりあえず迎えの手配は止めておいてください。今はそれより、この星の、このヴィスタという星の詳しいデータが欲しいのです。パスハ、できるだけ詳細のデータを今すぐ…!聖地で今手に入るデータだけでは不足かもしれない、その場合は…」
「…それならば。すでに手元にございます」
リュミエールは驚いて言った。
「それは用意がいい、助かります!!すぐにこちらに…」
「リュミエール様、私は王立研究院責任者として…。データをお送りするより、守護聖様方すべて聖地にすぐお戻りになることをお伝えしたく」
リュミエールは、パスハの言葉に問い返した。
「…それはどういう……?」
オスカーは、カルロスを前にしていた。ネリーの家を出、来るべきところはここしかない。彼は火のついていない煙草をくわえ、机の引き出しを引っ掻き回しながら捨て鉢に言った。
「…よーお、若造。まだ帰ってなかったのかい」
「ああ。いろいろ事情があってな」
「どんな事情か知らねぇが、ウチの若いもん、あんまりぶっ壊さねぇでくれよ。まーったく、とんだ迷惑だよ」
当然、実力行使でここまで来た。ここを守る兵士などオスカーにとっては物足りない相手だ。カルロスも、そんなオスカーを押さえることは不可能と見たのか、何かを諦めたように無気力な言い方であった。
「…そうでもしなきゃ、あんたに会わせてもらえないっていうからな。仕方なかったんだよ、悪く思うな」
「で。なんだ?そうまでして俺に会いたいってのは。ヨシュアどこ行ったとかって話なら、言う気はないぜ。お前さんには関係のないことだからな」
「聞きたいのはそんなことじゃない」
カルロスの言うとおり、ヨシュアのことはすでに自分達には関係がない。知りたいのはもっと別のことだ。
「あんたは最初に会った時言ってたな、この星は主人が買うだけ買って一度も来ない別荘だと」
「言ったかもなぁ、なぁマッチ持ってねぇか?」
さっきからガサゴソやってると思ったらそれか、とオスカーは山積みになった書類の下のマッチを指差し話を続けた。
「…すでに頓挫した計画を維持費だけかけて放っておくなんて聞いた事がない」
「…若いの、まわりくどい奴には見えなかったが?」
マッチを見つけ落ち着いたカルロスはまじまじとオスカーを見つめた。
「これで良けりゃ貸すぜ?奥歯に挟まってるもんがとりてぇなら、な」
マッチの箱をこれ見よがしにする。酒が入ってる方がつきああいやすいタイプかもしれないと、オスカーは半ばどうとでもなれと思って切り出した。
「ああ、そうさせてもらおう。この惑星の目的…存在理由はなんだ?」
カルロスは煙草に火を付けて大きく吸い、オスカーに向き直って言った。
「いい質問だな」
「あ〜あ。まったく…あの男ってば手加減知らないから…」
オリヴィエもまた、基地内にいた。すでにオスカーが警備兵を手当たり次第になぎ倒した後、オリヴィエが潜入するに難はなかった。倒れ気を失っている警備兵を横目に通り過ぎる。
オスカーが先にここへ来ているだろうことは、予想がついていた。
怒りに震えたアタマを冷やしに、そこらを無目的に散策して歩くような男ではないのだ。そして今、すべての問題はこの場所にある。どこまでも単刀直入、直接ここへ来るだろう。彼を知っている人間なら、誰でもすぐにわかること。
「ま、十中八句、カルロスとやらのトコだね」
自分は顔さえ知らないその男、オスカーだけが関わっている。
オリヴィエは気配に気付いた。素早い身のこなしで物陰に潜む。ひとりの兵士が、基地内の惨状に慌ててオリヴィエの横を走り去ろうとする。オリヴィエは一瞬の隙をついて、後ろからその男を羽交い締めにした。「…うっ!…」と男は短く呻いて、それきり身動きを封じらた。
「……うぅ…だ、誰だ…っ、曲者め……」
「言っておくけど、そこらへんに倒れてるヤツをやったのはワタシじゃないわよ〜。でね、教えてもらいたいことがあんのよ。素直に言ってくれれば酷いことはしないよ」
オリヴィエは耳打ちした。
「…ヨシュアってのがどこに捕まってるか、教えてくんない」
あくまで穏やかな口調。
「…そんな、ことは…ぐぅうっ!」
男の首に回す腕にはありったけの力。男は観念し、ゆっくりと廊下の突き当たりの奥のドアを指さした。
「…あの、ドアの奥…通路右の…部屋に」
「あそ!ありがとね!!」
急に腕をゆるめる。兵は瞬時にふりかえる、そのみぞおちにオリヴィエの膝が重く食い込んだ。オリヴィエは男がもたれかかるように倒れてくるのを素早くかわし、どさりと足下に崩れ落ちた体を見つめる。
オスカーを追って来たのではない。ガイとネリーを追って来たのでも、もちろん無い。リュミエールにも黙ってここに来た。さぞかし愛想をつかすだろう。だが。
ヨシュアがあの後どうなったのか。自分には知る権利がある、いや、義務か。
「もう、なんでもいいんだけどね、そんなの」
オリヴィエは足下に寝そべる男に一瞥して、言われたドアに向かって走り出した。
<つづく>