エリオットがこの聖地を去り、ゼフェルが迎えられる。鋼の守護聖の交替は女王の指示通り、一日をもって行われる。鋼のサクリアは守護聖達や王立研究院の尽力によって、ブランク無く宇宙に授けられる。ただそれだけのことだった。ただそれだけのことだが、その事実の裏には様々に悲痛な思いが交錯する。エリオットのような悲劇はそう起こるとは思えない。しかし、自分に絶対起こり得ないか、といえばそんなことは誰にもわからないことだ。皆この一件で、自分の置かれた不安定な立場を思い知った。
その後の一年、緑の守護聖の交替、新女王選出のための試験と大きなことが続いた。そういった忙しさに没頭することで、皆はエリオットの事、そしていずれ自分のサクリアが失われる事への不安をそれぞれに乗り越えて来たのだった。

 そんな日々の想いとはうらはらに、この聖地は翳りを見せることはない。今日もディアの私室から見える景色は、この上もなく美しい。オスカーとディアの二人は、思い出の淵からふと我に返った。
 オスカーが口を開く。
「ディア。鋼の守護聖の交替劇は、一年経った今でも誰もが苦い思い出として忘れていない。俺だっていつあのように・・・サクリアを失ってこの聖地を去らねばならない日が来るかしれないんだ」
 それを聞いたディアが薄く笑った。
「オスカー、あなたの目の前に、その日を目前にした者がおりましてよ」
 思いがけない言葉に、オスカーはディアの顔を見た。ディアは、無表情だった。
「何をそんなに意外そうに。現在の女王試験が終わった時・・・新女王の誕生は、私の解任をも意味することは、あなたもご存知の筈」
 確かに彼女の言うとおりだ。新女王が誕生すると同時に、その女王補佐官も新規の者と交替するのは、周知の事実だった。当然のことだとわかっていながら、オスカーは自分が少しもそのことについて考えていなかったことに自分で驚いてしまっていた。ディアが聖地を去る。その事実は、オスカーを動揺させた。何故自分がこれほどまでに動揺するのか、オスカー自身わからなかった。
「そうして・・・・そんな今になって、このオルゴールが直る・・・運命とは皮肉なものです」
「どういう意味だ?」
 ディアの言っていることが理解できない。何故、オルゴールが直ることが皮肉な運命なのか?そんなオスカーの様子を後目に、ディアはオルゴールの蓋をそっと開けた。美しく、そして切ないメロディがこぼれる。
「美しい曲だな・・・さすがエリオット様だ」
 ふふ、と小さくディアが笑う。しかしそれは少しも楽しげな笑みではなかった。
「オスカー。この曲はくだんの・・『天使の歌声』です」
 オスカーは言葉を失った。エリオットは、たった一回、遥か昔に聞いたきりの歌をオルゴールに託した。それがどういう意味を持つか。これ以上もない愛の告白ではないのか?エリオットは人知れず、しかも長い間、ディアに恋していたというのか!
「オスカー・・・あなたにこんなことを言うのはどうかとも思いますが・・・誰かに聞いていただきたいと思う私の我侭を許してください」
 オスカーに異を唱える気持ちなど無かったが、彼の返事を待たずに、ディアは話始めた。

「私は、あの日・・・祈りの滝の前であの方と初めて口をきいた、まだ女王候補だった幼い日より・・・・ずっとあの方に惹かれておりました」
 オスカーは黙って、そっと目を伏せた。しかし心臓の鼓動はこれ以上もなく早く大きく打ち、それはディアにも聞こえてしまうのではないかと思われるほどだった。無意識に腰の剣に手をかけ、強く握りしめる。指に触れた先は、いつの日かエリオットが快く直してくれた金細工の部分だった。ディアは静かに話し続けた。
「気付けばあの方の後ろ姿を目で追い、あの方が振り向いてくれはしないかと、そんなことばかり想っていました。その気持ちに恋や愛などという名を付けて呼ぶことも知らぬ子供だった・・・」
 眩暈さえ覚える。なぜか聞いているだけの事が辛かった。目の前の美しい女王補佐官の口から出る言葉の、一言一言が胸を刺す。この動揺は何なのだ。
 そんなオスカーの心中には気付かず、ディアは話続ける。
「女王候補として、ある日突然このような場所に来ることになり・・・不安でした。もう一人の女王候補、今の女王陛下ですわ、彼女はとても快活ですぐに守護聖の皆様とも、この聖地にも慣れた様子だった。でも私は、ずっと何か居心地の悪さを感じていましたわ。・・・私はあの方に・・・エリオットに同じ気持ちを見たような気がしたのかもしれません。勝手な思いこみですけれど。守護聖様方の間にいてもエリオットは寡黙で、その瞳の色はどこか寂しげな色を湛えていて」
 オスカーの脳裏にエリオットの姿が蘇る。彼は、決して人を拒絶するような雰囲気ではなかったが、いつも、誰とどこにいても何か遠くを見ているような、そんな人物だった。優しげな笑みを常に浮かべてはいたが、何か埋められない孤独といつも闘っているように見えた。そんな彼がどことなく放っておけなくて、何やかやと彼に話かけていた自分を思い出す。今にして思えば、確かにそんなところはディアと印象が似ている。
「私は、いつもそんなあの方の後ろ姿を追いながら、その視線の先にあるものを探しながら、あの方が何を求めているのか、何を望んでいるのか知りたいと思っていました。・・いいえ、私は、それになりたかったのですわ。エリオットがこちらを振り向いて、私を見て下さることを無意識に夢見ていました」
「ならばなぜ・・・そのことを伝えなかったんだ?エリオット様のことを愛していると・・・一言」
 ずっと黙してディアの話を聞いていたオスカーだったが、やっとそれだけを口にした。
 オスカーの台詞を受けて、ディアはふと顔をオスカーのほうへ向けた。そして自嘲気味に言った。
「あなたはきっとそう思うのでしょうね、オスカー。強さを司る炎の守護聖ですもの。でも私にはできなかった。眠れない夜、この聖地での長い時間、私も何度そのような事を考えたでしょう。私とて、恋の成就を願わなかった訳ではありません。でも・・・・。ただ単に臆病だったのかもしれません。あの方の瞳に困惑の色が浮かぶことを想像しただけで、この身はすくみました。とても口に出すなどできよう筈もなかった。この想いを気取られる事のないように、それだけを考えていたようなものです。私は弱い・・・自分の保身しか考えていなかった」
 その美しい瞳に深い後悔と哀しみの色を湛えながら、ディアはオルゴールを手に取った。奏でる曲は既にとぎれとぎれになっていたが、相変わらず、細く美しい音を響かせている。
 その曲を、ディアは平静な思いで聞いていることができなかった。彼女の口から嗚咽が漏れる。
「このオルゴールは、あの日から一度もその音を聞かせることなく、私の元にありました。私は、今日この蓋を開けるまで、これが私のために作られたものだということさえわからなかった。あの方がこんな風に想いを返してくださるなどと、私には信じられなかった・・・!もし、もしもこのオルゴールがあの日のうちに一度でもその音色を私に聞かせてくれたなら、エリオットを独りで行かせはしなかったのに。あのようなむごい結末に、私ができることがあったかもしれないのに!!」
「そのような・・・・今そのような事を言っても!」
「そうですわ、オスカー。今更そのような事を言ってももう時は戻せない。このオルゴールが動かなくなったのは、エリオット自身が私に叩きつけたから。何よりもあの方自身がそんな事を望まなかったからです。あの日のエリオットにとって、私がどのように見えたか。冷酷な死刑執行人のように見えたでしょうね。そうしてその憎しみが、私ではなくゼフェルに向いてしまった。ゼフェルは今もなお傷ついています。私が受けるべき言葉を、代わりに投げつけられて」
 ディアの声が次第に大きくなる。
「私にほんの少しの勇気があったなら、そのようなことにはならなかったのに。あのように哀しいまま、独り行かせてしまった。その上私は過ぎていく時間にかまけて、何もかもを忘れて安穏としていたのです。この美しい聖地で、見たくないものから目を背けて。・・・・でも、逃げても罪は消えはしない、こうして封印は解けるのだわ、今になって!未だゼフェルの傷さえ癒せない、無力な卑怯者の私を、エリオットはさぞかしあざ笑っていることでしょう!近い日聖地を去るに相応しい結末だわ!」
「ディア!」
 取り乱すディアを制すためとはいえ、オスカーは自分でも驚くほどの大声で叫んだ。ディアもまた、その声にびくりと身体を堅くした。瞬時にディアの手にあったオルゴールを荒々しく奪い取る。そして、高く掲げた。オスカーの心の内に、激しい炎が逆巻いていた。それは怒りとも哀しみともつかない複雑なものだった。
「・・・ならば俺が、俺が壊してやる!!」
 オスカー自身思いがけない台詞だった。ディアにとってはそれ以上だったろう。オスカーは続けて言った。
「このオルゴールがそのようにディアを苦しめるのなら、最初から無かったものにすればいい!エリオット様の想いも、ディアの想いも!このオルゴールさえ無いならいずれ忘れられる!」
「そんな・・・そんな事・・・」
 まさに炎のような激しさ。そんなオスカーに、ディアは脅え、口ごもった。

 しばし無音の時が流れる。オスカーもディアも、その沈黙によって少し平静を取り戻した。
 深く息を吸ってから、オスカーが静かに口を開いた。
「すまない、大きな声を出して・・・。そんな簡単な事では無いことくらい、俺にもわかっている」
 手にしたオルゴールをそっとテーブルの上に戻す。ことり、と小さな音をたて何事も無かったようにその美しい箱は元の位置に鎮座した。
「ディア。ことさらに自分ばかりを責めることも、弱さだ。傲慢な甘えだ。俺はそう思う。そんなことばかり考えていては、真実を見る目が曇る」
「オスカー・・・・」
「それに・・・・君は忘れてなどいなかったじゃないか、いつだって」
 先程の興奮が嘘のように、この炎の守護聖の口調は穏やかで優しいものに変わっていた。
「俺は知っている。ゼフェルの事が問題になる度、その瞳が誰よりも哀しく沈むことを。そのオルゴールをいつでも目の届くところにおき、何より大切に扱っていたことを。皆と楽しい時間を過ごしている時も、時折心ここにあらずといった表情を見せることも。それはどれも、エリオット様の事を深く想っていたからこそじゃないのか」
 彼はなおも続けた。
「あの頃俺は・・・なんだかんだとエリオット様のところに通っていた。そのオルゴールがエリオット様の手によるものだということも、そんな時知った。それを作っている時の表情は真剣で、それは大切に想いを込めていた。言葉少ない方だからこそ、すべての心を託していたに違いない。あの方は交替の時こそ混乱し取り乱していたから、あのような態度だったが・・・、思い起こせばいつだって心優しく思いやり深い方だった。決して人を恨んだり、嘲るようなことはしない。ましてやディアをそんな風に思うなど、俺には想像もつかない。それを・・・そのように歪めてしまうのは・・・」
 ディアは沈痛な面もちで、オスカーの言葉を聞いていた。ディアは、自分の思いを反芻するようにしばらく黙っていた。そして目を伏せ、言葉を選び静かに口にした。
「あなたの言う通りですわ・・・・。私は・・・なおのことあの方に酷いことを。エリオットはそんな人ではありませんでした。私はそんな方だからこそ」
 美しい女王補佐官は、テーブルに置かれたオルゴールを大切そうにその両手に取り、壁際に置いてあるサイドボードの上、そのオルゴールの定位置であった場所に再び戻した。美しい小箱は、もう長く、そのに置かれていたものだった。既にディアの部屋の一部と化していた。
 ディアはオスカーに向き直り、静かに言った。その瞳には日頃の冷静さと、強い意志のようなものが見てとれた。
「私はどこまで逃げようとしていたのでしょうか。女王のお力に翳りが見え始めている今、私こそがしっかりと陛下や女王候補達の支えにならないといけないというのに。アンジェリークとゼフェルがこのオルゴールを直してくれなかったら、私はそんな当たり前の事にも気付かずに・・・いつまでも過去に囚われそこに踏みとどまってしまっていたでしょう・・・・」
「このオルゴールが何かを封印していたとするなら、それは罪ではなくてディアの、そしてエリオット様の心・・・・。もう自由になってもいいんじゃないのか?ディア」
「そうですね・・・」

 ディアは窓辺に寄り、開き戸を外に開け放った。外は既に薄暮に染まっていた。少し冷たい風が部屋に流れ込む。
「ありがとう、アンジェリーク、ゼフェル・・・そして・・・」
 ディアは振り返り、オスカーの方に向きなおった。
「オスカー。あなたにも感謝します。今日、来ていただけて嬉しかった。年はあなたがひとつ上だとはいえ、この聖地では私の方がずっとキャリアも長いというのに。助けられてしまいましたわね。・・・・・あなたは大人だわ」
「なあに、とりたてて何もしていないさ」
 オスカーは高らかに笑った。

「そういえば・・・どういうなりゆきでこのオルゴールが直ったんだ?」
 ディアは事の経緯を話した。オスカーの推測はほぼ当たっていた。唯一違っていたことといえば、ゼフェルがこのオルゴールがエリオットの作ったものと知っていて修理をした、ということぐらいだ。
「そうか。ゼフェルも少し成長したな・・・金の髪のお嬢ちゃんのお陰かな?」
「そうですね・・・アンジェリークとロザリア、女王候補達がもたらす変化は少しづつ周囲を変えているようです。ゼフェルのことも・・・私達は北風で、アンジェリークが太陽だったというわけですわ」
「ははは、いい例えだ。あのお嬢ちゃんにかかっては、ゼフェルも汗だくでコートを脱がざるを得ないってことか。・・・・では俺は失礼する」
 オスカーは、ディアの私邸を後にした。


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