あえてこそ                 第七章

 外は大騒ぎだった。「滅びの星」の到来が今日明日中であるという噂が広まっていたのだ。一部の狂信者が、パニックになって大声で叫んでいる。深刻に受け取っていなかった大方の民も、こうまで逼迫した雰囲気に飲まれたのか、皆一様に混乱している。
 人で溢れる道をかき分け、彼らは飛空挺への道をひた走った。もう猶予はない。
 スクリーンに接見の間が映し出される。聖地にいる6人の守護聖、女王補佐官、そしてその背後には、御簾に遮られ姿は見えないものの、女王が、いた。
 オスカー、リュミエール、オリヴィエの3人は、彼らでさえたった今知ったことを、有り体に報告した。
「既に暴動が起こりかけています。しかし彼女の封印を解くにはどうしたらよいのかさえ」
 意識を失ったままのアユンを気遣いながら、リュミエールが言った。
 女王補佐官ディアが口を開いた。
「既に封印は夢の守護聖の尽力によって解かれている、と陛下はおっしゃっています」
「本当ですか!」
 オリヴィエが何をしたのかは知る由もなかったが、取りあえず安心するオスカーとリュミエール。それを横目に、当のオリヴィエだけが人知れず微妙に顔を曇らせた。私の尽力。思い当たることはひとつしかなかった。
 「口封じ」が封印を解くなんて、随分な洒落。眠り姫を目覚めさせるには定番だけど、その実状は惨憺たる中身。結果を以て良しとするには王子の心中は複雑だね・・・・。
 彼女の閉じた瞼を見つめた。頬の痛みが思い出された。
「取りあえずその娘を連れて、出来うる限り多くの民の目につく場所へ。そこで打ち合わせ通りに。暴動が大きくならぬうちに、迅速に行動せよ」
 守護聖の首座であるジュリアスが、おごそかにそう言った。オリヴィエ達は通信を打ち切り、再び外へ出た。
 飛空挺の外には、テユが控えていた。後を追ってきていたらしい。長い間、アユンの屋敷に仕えていたのだ。少しは事情を察しているのかもしれない。抱き抱えられた主人を心配そうに見つめる彼に、オスカーはひとつ役目を与えた。
「今は細かい事情を説明している暇はないが、俺達を信じてひとつ骨折ってくれ。あの高台の広場に、人を誘導するんだ、『神の子』が光臨すると言って。急でくれ!」
 テユは軽く頭を下げてから、オスカーの言葉にはじかれるように走り去った。彼はきっと首尾良くやってくれるだろう。残された4人もまた、広場へと急いだ。

 周辺でも一番大きな寺院の横に、その広場はあった。この星の宗教は一神教ではない。寺院は多いが、そのどれもが漠然としたものを奉ってあるだけで、実体は無かった。きっと神の子が降誕するに相応しいだろう。寺院の敷地内に高くそびえる楼閣に、4人はいた。人々がテユの流した噂に導かれて続々と広場に集まっているのが見える。無口だが有能だ。この群衆の中にいるのだろうか。ここからではわからなかった。
 三人は横たわるアユンを囲むように立った。それぞれの右の手を掲げ、精神を集中する。遥か遠く聖地でも、同じように守護聖達が自らのサクリアをその身に満たして時を待っている筈だった。
 瞬間、鋭い音とともに、古い楼閣の屋根が光の柱によって吹き飛んだ。人々の嬌声が上がる。目もくらむほどの、白い光の柱はものすごいスピードで真っ直ぐに上空へ走り、視線の届かぬ先まで伸びて霞んでその軌跡を消している。目を閉じ渾身の力で集中している三人にはその様子はわからない。
 ゆらり、とアユンが立ち上がった。屋根が吹き飛んだせいで下からも彼女の姿がはっきりとみてとれ、群衆が再びどよめいた。彼女の全身は誰の目にも明らかに、人知を超えた聖なる光に包まれれていた。
「・・・・皆の者。聞くがよい・・・」
 アユンの唇がゆっくりと動いた。おごそかで静かな口調であったに関わらず、その声は誰の耳にもはっきりと届く。声量の問題ではなかった。尋常ではない力が働いている。
「・・・我は、この宇宙を統べる女王・・・・今はこの者の口を借り、クデワタンの民に意志を託す・・・・。『滅びの星』は回避された。既にその軌道を変え、闇に砕けて散るであろう」
 嵐のような歓声が上がった。
「・・・・クデワタンを含むこの宇宙は、我と我の元に集う九つの聖なる力によって均衡を保っている。皆、心を鎮めるがよい・・・遥か昔から、そして未来永劫・・・あまねく我の力は満ちている。数多ある他の星々と等しく、クデワタンは我が聖地の庇護の元にある。安堵し眠るが良い・・・・不変の夜明けが訪れる・・・・」
 場は水を打ったように静まり返っていた。いつのまにか楼閣には光はなく、暗闇に包まれている。人々は先ほどの混乱を忘れ平静を取り戻し、何かに背を押されるように道を帰っていった。しばし時が経ち、広場は空になった。
 アユンは再び意識を失っていた。いや、女王の言葉を告げている間も意識があったかどうか怪しい。オリヴィエはそっと彼女を抱き上げた。
「アユン・・・見事だったよ。大役、ご苦労様・・・」
 オスカーとリュミエールは、夢の守護聖の眼差しに胸が痛んだ。なんという柔らかな微笑みでアユンを見るのだ。そんな彼を、長い付き合いの中で一度も見たことがなかった。

 三人はアユンを屋敷に送り届けた。意識を失ったままの彼女をテユに預ける。
「テユ、先ほどはありがとうございました。事がこれだけ問題無く済んだことは、あなたのお陰でもあります。なんと感謝をしたらよいのか。礼を言います」
 リュミエールの言葉に、彼は深々と頭を下げた。相変わらず寡黙な男だった。
「取りあえず俺達は報告に行かなきゃならん。アユンへの礼は後になる、意識が戻ったらそう伝えてくれ」
 オスカーが言った。オリヴィエはずっと黙ったままだった。
「必ず、もう一度お寄りください。アユン様の為に。私への礼はそれを代わりに」
 終始無言だった目の前の頑強な男は、オリヴィエだけを見て、そう言った。

 全ては終わった。隕石は女王の神託通り軌道を外れた。
 スクリーンのルヴァは三人の労をねぎらい、微笑んだ。
「無事のお帰りを待っていますよ」
 通信は切れた。
 三人はため息をついた。サクリアを使ったことで疲労しているせいもあったが、それよりも何よりも、彼らを沈ませることは他にあった。
「このまま帰ろう、聖地に」
 オリヴィエは言った。オスカーとリュミエールの二人は、驚いて咄嗟に彼の顔を見た。
「・・・・何を言ってるんだ、オリヴィエ!」
 オスカーが大声を上げる。オリヴィエは戯けた調子で肩をすくめながら言った。
「アユンへのお礼はもう言ってあるし。戻ったところで言うことはもうないよ」
「・・・・良いのですか、オリヴィエ。それで」
 会えば余計に辛い。オリヴィエの気持ちは察して余りある。しかし。リュミエールは思った。暗い顔の水の守護聖に、オリヴィエは笑いかけた。
「良いも悪いもないさ。ワタシは夢の守護聖。目覚めた時にはすべてを理解してるだろう、彼女も。・・・今更何の説明もいらないさ。この星にも随分長居した、もう十分。これでも聖地にホームシック、なーんて気持ちもあるんだから〜!」
 その笑顔に心は無いことは二人には明らかにわかる。
「逃げるのか」
 オスカーが静かに、低く響く声で言った。
「逃げる?何おかしなこと言ってんのさ、オスカー」
「お前の気持ちはわかってるんだぞ、俺にも、リュミエールにも」
「・・・だから何だってのよ。もう言うことはないから、早く聖地に帰ろうって言ってるんだよ?アンタこの星に来た目的もう忘れちゃったの?」
「はっ、随分と殊勝なこと言うじゃないか。お前がそんなに守護聖の使命に燃えてるなんざ、ついぞ見たことがないぜ」
 炎の守護聖は瞳を鋭く光らせ、そしてはき捨てるように続けた。
「そうだな、いくら陛下の声が聞けるったって守護聖とじゃ身分違い。あんな娘のことはバカンスの間の彩りとばかりにさっさと忘れて、この宇宙の為にその御力を発揮しないとな。見習いたいぜ、オリヴィエ。俺なんかよりよっぽど色事・・・」
 瞬時に、オリヴィエはオスカーの襟首を掴んでいた。中指の爪が折れ血がにじむ。その顔は白く、日頃の明朗な彼にはない冷たい表情で、オスカーのことを睨みつける。
「もし本気でそう言ってるのなら、許さないよ。そういう言い方、好きじゃない」


「馬鹿野郎、その台詞・・・・・、そのまんま貴様に返す!」
 オスカーはあっと言う間にオリヴィエの手を掴んで払った。腕力勝負ではオスカーにかなうわけもない。勢いでよろけるオリヴィエの顔にむかって、彼の拳が飛んでいく。
「オスカー!!!!!!!」
 リュミエールが悲鳴にも似た声を上げて顔を伏せた。鈍い音が・・・しない。おそるおそる顔を上げると、オスカーの拳はオリヴィエの形よい鼻の寸前で、紙一枚ほどの隙間をあけて、見事に止められていた。オリヴィエの瞳がオスカーを凝視する。オスカーはゆっくりと腕を降ろして言った。
「・・・・・・オリヴィエ。行ってこいよ。行って、今の気持ちを伝えて来いよ。思わず俺の襟首を掴んで怒鳴るほどの・・・・その想いを。このまま別れちゃ駄目だ。どんなに辛くとも、言うんだ。目を逸らさずに。アユンを少しでも愛しいと思うのなら、振り返らせるな!」
 聞きながら、オリヴィエは爪の折れた中指から流れる血を舐めた。
「血の味は同じだね・・・・守護聖だって誰だって」
 一人、軽く笑う。
「ごめん、オスカー、リュミエール。ちょっとだけ・・・行って来る」
 彼は言い終わらぬうちに、走り出していた。

 オリヴィエの姿が見えなくなった頃、リュミエールが口を開く。
「・・・・このままオリヴィエが戻らなかったらどうする気ですか?アユンの姿を見て別れがたくなって・・・」
 水の守護聖の言葉に、責める色は無かった。オスカーは遠いまなざしで答えた。
「このまんま聖地にヤツを連れ帰っても、それは抜け殻だぜ?心はここに置きっぱなしだ。いないも同じさ。・・・逃げたらダメなんだ・・・特にオリヴィエのようなヤツは」
「いつまでもそれにとらわれてしまう」
 リュミエールは隣の男を真似て、彼の視線の先を追った。オリヴィエが見えなくなった辺り。オスカーが一番、オリヴィエの行かせることに不安を覚えているのかもしれない。ふとそんなことを思った。
「完全に終わったとしても、しばらくはキツイだろうな、オリヴィエは・・・」
 苦しむことになるだろう、あれに起こった中でも一二を争うほどに。お前らには何もできぬ。何かできると思い違いをして、できないことを気に病むな・・・・。
「クラヴィス様の予言通りになったな。・・・まったく、人の色恋沙汰だけは、確かに誰にどうすることもできない。・・・・見ているだけというのは辛いな」
 リュミエールは軽く微笑んだ。
「何もできないということも無かったのではないですか?」
「コレのことか?」
 オスカーは自らの握った拳に目をやった。
「はは、それなら良いけどな」
「それにしても見事でしたね。驚きました、本当に殴るのかと思って」
 そう感心する彼に、オスカーは独り言のように小さい声で呟いた。
「・・・アイツが動かなかったから、上手い具合に行ったのさ。少しでも避けようとして下手に動いたら、当たってた」
 リュミエールは空を見上げた。すぐに消えてしまいそうな儚さで星が瞬く。
「でも信じていたのでしょう?彼が決して避けないだろうということを」
「どうかな・・・・偶然かもしれないぜ?あんまり調子よく褒めるな」
 オスカーは照れたのか、空に手を上げ大袈裟に背筋を伸ばす仕草をした。
「でもま、手加減はしたぜ、一応な」
「あれで?」
「そうさ、キメの場面で男の顔が醜く腫れ上がってたんじゃ、レディも哀しいだろう?」
「・・・ほんとにあなたという人は・・・・」
 リュミエールは呆れた。しかしその顔は柔らかく笑っていた。


「・・・・お戻りにはならないと思っておりましたわ」
 静かな声が響いた。
 湯浴みでもした後なのだろうか、彼女はその長い髪を腰を超えて波打たせている。初めて見る、髪を下ろした彼女。何か違う雰囲気を感じるのはそのせいか、それとも女王の力の強い影響を受けたせいなのだろうか。オリヴィエは言葉を失った。比類無いほどアユンは美しかった。彼女は無表情で続ける。
「守護聖様方のお陰で、私どもクデワタンの民は救われました。なんと感謝をしたらよいのかわかりません。あと・・・・お詫びも」
 わざとらしく慇懃に振る舞い、オリヴィエから目を逸らす。
「あのときは、オリヴィエ様のお心も知らず、失礼なことを致しました。この星を救うためになさったこととは知らず、守護聖様のご尊顔を打つなど・・・文字どおり、神をも恐れぬ真似を・・・・」
 酷い勘違い。いや、そう思いこもうとしているんだ、彼女は。何もかもをひっくるめて無理矢理に心の隅に押し込んで。そんな様子を目の当たりにして、オリヴィエは逡巡した。やはりこのまま自分は消えた方が良いのかも知れない。このまま、すれ違ったまま。

 良いのですか・・・オリヴィエ、それで。
 心配に曇る顔が脳裏に浮かぶ。オリヴィエは唇を噛んだ。耳に響く声がある。
 振り返らせるな!
 オリヴィエは心を決め、アユンの瞳をまっすぐに見た。


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