青は遠い色             第二章

 コンパート内には幾度も笑い声が満ちる。すっかり和んだ雰囲気の中、会話ははずんだ。オスカーが問いかける。
「しかし、お嬢ちゃんは18か。・・・それじゃあ同い年の男なんか子供に見えるだろう?マニエラは恋人なんかはいないのか?」
「恋人なんて・・・恋愛なんて少しも興味ありません。そんなことより大事なことがたくさんあるもの」
 即答。一瞬の後オスカーは言葉を失い、オリヴィエとリュミエールは爆笑した。
「ははっ、オスカー、マニエラにしてみたらアンタのほうがよっぽど軽薄だよー」
「同感ですね、爪の垢でも煎じて飲ませていただいたらどうですか」
「オマエら、ここぞとばかりにツッコむなよ・・・」
 オリヴィエが、何のことかさっぱりわからないといった顔をしたマニエラに笑いかける。
「いいねー若いって!!そうだよねぇ、別に男と云々ってだけが青春じゃないよね」
「そうでしょう?みんな何かというとすぐそういうことを言うけど」
「でもさー、何にも無いってのもつまんなくない?恋をするのもステキなことだよ」
「オリヴィエの言うとおりだ。人生を豊かにするのは恋愛さ。恋愛は本当にさまざまな事を教えてくれる。心惹かれて胸を焦がして、寝ても醒めても相手のことを想って・・・そんな中で学ぶことは多い」
 オスカーも加わって、すっかり恋愛談義の様相を呈してきていた。
「でも!それだったら他のことからでも学べるわ。何も恋愛だけじゃなくて」
「それはそうなんだが・・・いや、俺が言いたいのはだな、その」
「だって!本当に世の中くだらない男ばっかり!!・・・・あ、すいません、別にあなた方もそうだと言う訳では・・・」
 バツ悪そうに照れるさきほど会ったばかりの少女。家族の愛を受けて、素直に明るく育ってきたのだろう。くるくると忙しく変わる表情を眺めながら、リュミエールはそんな想像に目を細める。
 ふと黙ってばかりの彼を少し気にしてか、心配げなマニエラと視線が合った。彼女の優しい細やかな気遣いに、リュミエールは穏やかな微笑みで答える。
「お気になさらず。確かに恋愛の他にも素晴らしいことはいくつもあります。私もそう思いますよ」
 そう言ったとたん、がくん、と一同の身体が揺れた。
「お?走り出したぞ!!」
 まるで子供のように喜ぶオスカーの声に応えるがごとく、車輪はレールを噛んで、ゆっくりと徐々に速度を増していく。窓から強く風が吹き込んで皆の髪を煽った。リュミエールが立ち上がり窓を閉める。音は遮られ、コンパートは静まった。促されるように、マニエラが腰を浮かせる。
「私そろそろ自分の席に戻らなくちゃ。ここでお別れなのは名残惜しいんですけど・・・。ちなみに皆さんはどこまで?」
 すっかり親しげな調子で彼女が聞く。
「そういや決めてないんだよねぇ・・・どうする?」
「腹も減ったしな。ビュッフェもあるが、少々それも味気ないか」
「適当な場所で今晩の宿も決めなければ。予約などしていないのですから、そうそう小さな街では難しいということもあるかもしれませんね」
 口々に言う彼等に、マニエラは提案をした。
「それなら!次の停車駅で降りません?そこを過ぎるとしばらくはずっと田舎だし。っていっても、そこだって都会じゃあ無いんですけど。でもホテルくらいあります」
「あなたはその街に住んでいるのですか?」
「ええ、今は仕事帰りです。本当は私がお泊めできたら良いんでしょうけど、ちょっとあの狭い部屋じゃ無理・・・。観光地では無いですけど・・・古い天文台があるくらいかしら・・」
 マニエラは必死に言葉を探す。誠実で真面目な性格、そして何より3人と離れがたいという気持ちからだろう。このような、てらいない感情表現に悪い気持ちのする者はいない。3人の心は既に決まっていた。
「そんな、気遣いは良いんですよ、マニエラ」
「どうせ何があるか、どこの場所だって知りはしないんだ。お言葉に従ってみるのも悪くない」
「本当に?嬉しい!!じゃあ、私一旦返ってまたここに戻ってきますね!」
 彼女はそう言って嬉しそうに一礼した。勢い振り返った拍子に、コンパートの扉に軽くぶつかる。
「痛っ・・すいません落ちつきなくて。じゃ、また後で!!」
 彼女は小走りに去っていった。
 
 扉が閉まる音と同時にオリヴィエが口を開いた。
「良い感じの子じゃない」
「ああ、少し慌て者のようだがな。悪くない。しかしもう少し育ったほうが」
 まるで値踏みするようなオスカーに、リュミエールは眉をひそめた。
「まったく、本当にあなたはひとつの視点でしか物を見ないのですね。せっかくの出逢いだと言うのに」
「オスカーのこういうのは息してるよーなもんだから言っても無駄無駄。あー、リュミちゃん。悪いけど、もう一回、少しでいいから窓開けてくれない?」
「はい?かまいませんが?」
「良いコだけど、まだ自分がわかってないみたい。・・・似合わない派手なだけの安香水はいただけないねえ」
 美しさを司る夢の守護聖は、笑いながら肩をすくめた。
 


 
 駅からそう離れてもいない場所にあるホテルに部屋をとってから、3人とマニエラはすっかり遅くなった昼食を取るためにちょっとした繁華街に出向いた。
「すみません、なんか・・・。荷物重たくないですか?」
 マニエラがすまなそうにオスカーを見た。彼等の荷はホテルの部屋だ。彼女が言っているのは、オスカーが代わって持つ彼女自身のカバンのことである。男手に大して重くは感じられないだろうが、確かに大振りの荷物ではある。そのことを気遣ってか、彼女は即座に入る店を決めた。
 そう広くはないが落ちついた雰囲気の店内。彼等は出入口近くの席に腰を下ろす。マニエラはてきぱきとオーダーをすませ、やっと一息ついた様子だ。
「昼食ですからそんなに豪華でなくて良いですよね?ここ、ラフだけど味は保証します」
 彼女の言うとおり、次々に運ばれてくる料理は楽しい会話と相まってどれも彼等を十分に満足させた。
 一通りの食事がすんで、マニエラが口を開く。
「ね、オスカー様。・・・あっ」
 オスカーに向けたマニエラの顔がぱっと赤らむ。
「いやだわ、様付けで・・・。守護聖様と同じ名だとつい。なかなか切り替えられない」
「はは、別に呼びやすいのでかまわんが、様はちょっと距離を感じるな。・・・で何だ?」
「さっき列車で、恋愛のお話したでしょう?・・・私、思うんですけど、誰かってことではなくて、何かを凄く好きになることは、みんな恋と同じ感情じゃないかって」
 オリヴィエが同意する。
「それはそうだよねえ、ヒトに限らず何かに熱中したり、とにかく好きなものを見つける、こういうことはすべて恋愛と一緒だよ。何かに焦がれてやまない気持ち」
「それなら!」
 マニエラは明るい声で言った。
「私『恋愛』しています。・・・・・聖地に、守護聖様に!」
 うっとりと夢見るような瞳。
「聖地にあって輝くばかりの光をまとい目映い美しさであるでしょう、女王陛下、守護聖様。その御姿を想像するだけで胸が熱くなります。どのような時にも大きな慈悲深い眼差しで、私達を守ってくださっている。手の届かぬ雲の上の御方達であろうとも、身近にすら感じます。女王陛下が、守護聖様への尊敬と感謝を忘れなければ、いかなる迷いもかき消えます。何かに焦がれてやまない・・・そんな気持ちを私は知ってるわ」
 内容が内容だけに返事に困る3人だった。日頃意識することは無いがやはり、守護聖や聖地に対する市井の者の持つ考えとはこういったものだ。わかっていても直接面と向かってとなると、照れや嬉しさより少々の困惑の方が先に来る。
 リュミエールが何か言わねばと口を開いた。
「・・・ああ・・・そうして・・・・何かを強く信じる気持ちというものは大切なことだと思います」
「信じる信じないではありません!この宇宙を創り、支えてくださっているのは女王陛下と守護聖様。それは事実です、まぎれもなく。信じようが信じまいが、事実は変えられませんし!」
 3人はマニエラの大声と強い語調に、思わず息をのんだ。場がしんと静まる。ふと我に返ったように、マニエラがあたりを見渡した。
「あ・・・・。すみません、つい熱くなっちゃって私・・・」
「あ、ああ・・・かまわないのですよ。・・・でも、とても思い入れがあるのですね」
 リュミエールが優しく気遣う。
「子供の頃からそんな風に考えていたのか?お嬢ちゃんは」
「強く聖地を具体的に意識するようになったのは最近ですけど。・・そう、さっきの・・・本に読んでから」
「ああ、例の。そういう内容なんだ?リュミちゃんが面白いって言って読んでたけど」
 オリヴィエの言葉に彼女は顔を勢いよくリュミエールに向けた。
「そうなんですか?」
「あ、いえ・・・まあ・・・まだ途中なのですが・・・」
 まさか読む振りをしていただけとは、彼女には言えなかった。
「それなら、差し上げます!」
 彼女は大きなバッグを探り本を再び取り出した。返ってきたばかりのそれはリュミエールの手に戻る。
「いいんです!少しでも興味を持ってくださったのなら。私はいくらでも同じものが手に入れられますから」
「でも・・・それでは・・・」
「ではお貸しするのではどうですか?それなら!!」
 素早く本の最後のページに連絡先を書き入れる。かなり強引であった。すっかり彼女のペースである。勢いついたのか、マニエラは浪々と語りだした。
「世の中には辛いことや悲しいこともたくさんあるでしょう?それに気付きたくない、不幸を改めて知りたくない。ごまかすためにくだらない恋愛なんかに興じて。でも表向きは笑っていても、皆、心に痛みを抱えています」
「はあ」
 気圧されるばかりの3人の溜息ともとれる声など彼女の耳にはもう届いていない。
「でも、この宇宙には女王陛下や守護聖様がおられるんです。私達を慈しむように遠い聖地で見守っている御方たち。あの御方たちがおられる限り、その聖なる力でいつかこんな悲しい世界にも終わりが来ます!それを思うだけで・・・本当に・・・」
 マニエラは感極まった気持ちを落ちつけるためにコーヒーを一口に飲み下した。
「ああ、なんだか変な気持ち。守護聖様方と同じ名の皆さんにこんなこと言うなんて。あら?もうこんな時間!私、そろそろ帰らないと・・・」
 気付けばもう夕刻に近い。ずいぶん長い昼食になった。
「そうか、お嬢ちゃん、今日は本当にありがとう。おかげで随分助かった。礼のかわりと言っちゃ失礼だが、ここは俺達に払わせてくれ」
「なんだか逆に申し訳ないけれど・・・では遠慮なく。私も楽しかったです!」
 彼女は深々と頭を下げた。そして入り口の前で振り返る、満面の笑顔。
「あなた方の旅に女王陛下と守護聖様のサクリアのご加護が届きますように!!」
 
「フッ、守護聖様のご加護が届きますように、ときた・・・なかなか聞ける台詞じゃないぜ」
「なんか、ホンット慌ただしい子だねえ。ま、用事あるんなら仕方ないけど」
 笑う二人にリュミエールは何も言わず、ただ手元の本を見つめていた。
「その本・・・俺達のことが書いてあるのか?」
「いえ・・私はそこまでも未だ読んでいないので・・・」
「なーんかいろいろ言ってたねー。アンタにってくれたんだから、せいぜい暇なとき読んでおやりよ」
 すっかり他人事の二人であった。リュミエールは何故か気持ちが沈んだ。



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