暗闇から手を伸ばせ             第二章

 風景は、地平に少しばかりの残照を名残に、その隅々に薄闇を溶かしはじめていた。どこまでも続く空と大地。遠く連なる山の稜線。視界にあるのはありふれた風景だったが、この星、ルベリは素直に美しい惑星だった。
 広がる平原を切り裂くように駆け行く一頭の馬。その背の上、オスカーは鮮やかに馬を操りながら、両腕の内の同乗者のさきほどの問いに答えた。
「聖地がどんなところかって?そうだなあ・・空は青く高く、穏やかな光が満ちて木々に照り映え。花は競うように咲き誇り、その瑞々しい香りをさらって心地よい風が渡っていくんだ。小川の先には湖があって、どこまでも澄んだ水が細波を寄せて」
 彼は脳裏に景色を思い浮かべながら静かに言った。
「・・・美しい場所だ、見せてやりたいがそうもいかないな」
「あら、そんなものならこの星にもいくらでもあってよ。この平原だってそうだわ」
 いかにもつまらなそうな、胸元の少女の声。
「ははっ、そうだな、なんら変わらない。確かにこの星にも似ている」
「もっと特別な場所なのかと思っていたのに」
「真の楽園・・・人が幸福に思う場所はそういったさりげないもので作られているものだ。聖地の唯一特別なことは、常にその状態が保たれているということくらいだな」
「常に?いっつも?毎日毎日?」
 ようやっと引かれた手綱に合わせて、いななきが辺りに響く。馬のひずめが完全に静止するのを見計らい、彼は一息ついた。

「ああ、毎日だ。我等が女王陛下のお力でその幸福は永遠に続くのさ」
 オスカーはそう言い終えると馬から軽やかに降り立ち、その背の上を振り返った。
「さあ、アディール姫。足下に気を付けて」
 姫と呼ばれた少女は差し伸べられた手に促され、一度オスカーの腕に抱き留められるようにしてから、草の上に足を下ろす。
 風にあおられ少々乱れた髪とドレスを整え、ひとつひとつ確認するように自らを眺め廻してから、少女はようやっとその瞳をオスカーに向けた。
「さすがのお手並みでしたわ、オスカー様。この馬をこうまで乗りこなして。初めての者には決して素直にならない馬ですのよ」
 とってつけたようなすました表情。思わず吹きだしそうになるオスカーだった。大人ぶりたいのだろうが、まだぎこちない仕草がよけいに幼さを際だたせてしまう。しかしここで笑ってはせっかくの努力が気の毒である。オスカーは堪えた。
「そうとわかっていて何も言わず手綱を渡すとは、随分と意地の悪い姫だ。この俺を試したのか?」
「炎の守護聖様は乗馬の名手と誉れ高い、それが本当かどうか確かめたいと思っただけです。私は自分で感じとったことしか信用しないことにしています」
「いい心がけだな。俺も同じ主義だ」

 オスカーはくだんの馬に向きなおり、労をねぎらうようにそのたてがみを撫でる。手綱を軽くひいて側を流れる小川にいざなってやると、馬はゆっくりとその清流に鼻先をつけた。そうしてから、おもむろに自分のマントを取り外し敷物の代わりと地に延べる。彼女は何も言わず、ドレスの両脇を指でつまみ軽く一礼してからそっとその上に腰を下ろした。
 小さくてもレディだ。こうした無意識のうちの些細な立ち居振る舞いに、平凡な娘には到底身に付かぬ気品がある。生まれ育ちも少しはあるが、こういったことは素質であるというのがオスカーの日頃の考えだった。
 そんなことを思いつつ、オスカーも彼女の横に肩を並べて腰を下ろす。
「お城があんなに小さいわ」
 つい先ほどまで二人がいた王城が黒くシルエットとなって地平の彼方に見える。そこでは今もなお、盛大に宴が繰り広げられていることだろう。
「俺達が席を抜け出したことはもうバレてるだろうな」
「お父さまが恐い?なら、我侭な姫が無理矢理連れ出したって言い訳しても構わないのよ」
「言い訳も何も、それが真実じゃないか。守護聖として姫の父上に歓待を受けている最中、中座するのは骨が折れた」
「あら?私知っているんだから。歓迎の歌舞音曲や、お父さまのお話にもちっとも気がいっていなかった。助け船を出したのは私の方だわ」
「ああ言えばこう言う姫だな」
 少しの物怖じもしない少女との笑いあう声が、次第に色を濃くする夕闇に消える。
 この惑星に到着して以後初めて、何かやっと息のつける思いのするオスカーだった。誰彼もが守護聖に対して下にも置かぬ待遇だった。神にも等しい存在の守護聖、気楽にしろという方が無理なのかもしれないが、あまりにかしずかれるのと息苦しさもつのる。
「私がオスカー様にこういった口を聞くのを、お父さまや大臣達ははらはら見ていたわ」
「はは、幼い子供のすることと許して欲しいと言われたよ」
「私、いろいろ思いめぐらしていたの。なにせ守護聖様にお会いするなど奇跡にも近い出来事。きっと近寄り難い光を放った方なのだろう、とか・・・」
「で?会ってみてどうだった?」
「なあんだ、私たちと同じ人間なんじゃない、って」
 ふふふ、っと、さもおかしそうにアディールは思いだし笑いをした。
「だって宴の最中、本当に退屈そうに何度もあくびをかみ殺しているのだもの、オスカー様ったら!」
 少々バツの悪いオスカーだった。
「この星の歓待に不満があるわけじゃないことはわかって欲しいぜ。・・・少々疲れが出たんだ」
「子供みたいな言い訳をなさるところも、想像していた守護聖様らしくないわ!」
「悪かったな」
 子供のようと言われ、つい返す言葉のほうがよほど子供じみている。どうもこの姫のペースだ。仕切直すように話題の矛先を変える。
「じゃあ、リュミエールなんかはさぞかし想像通りだっただろう?」
「そうね、あの方は。あんな透き通るように美しい男の方を私は見たことがありません。ただ・・・少しお話ししづらいわ。どうしてかしら?あんなにお優しそうな方なのに、どこかそれだけじゃない印象」
「・・・・・・」
 不意に彼女は大声を上げた。
「わかった!あの方、私のお作法の先生に雰囲気が似ているのだわ!とてもうるさいの、優しげに微笑みながら、いちいち私のすることに文句をつけるのよ。それはもう嫌みったらしくね。・・だからあの人、いつまでもお嫁に行けないのよ」
 オスカーはわき上がる笑いを今度は我慢できなかった。
「行き遅れの女教師と一緒にされたんじゃあ気の毒だな、アイツも!しかしあながち離れたものでもない。お嬢ちゃんの観察眼には恐れ入るぜ」
 腹を抱え笑い転げる炎の守護聖に、アディールは顔を上気させて、頬を膨らませる。
「そんなに笑うなんて、失礼なオスカー様!あんまり子供扱いすると・・・・」
「すると、なんだ?」
 にやにやと意地悪い笑みの残ったオスカーの顔に、アディールもまた顔を寄せ、声を低め囁いた。
「・・・・私がこの星の王になった暁に、聖地に攻め入ってやるわ」
 一瞬の沈黙のあとには、再びオスカーが笑い転げる姿があった。
「酷い!全然本気にはしてくださらないのね!!甘く見てると後悔することになってよ」
「悪いな、俺は後悔なんぞしたことはないんだ」
「じゃあ、私が最初の後悔をプレゼントするわ」
 未だ笑いをかみ殺している守護聖を緑の瞳が睨み付ける。しかし、どうにもそれは愛らしい以外の何者でもなかった。

「・・・しかし、そうか。姫はこの星の王になるのか」
「当たり前です。父上には私しか子はいないのですから」
「それはそうだが・・・どこかの王子と幸せな結婚をして、なんて夢を見てる年頃じゃないのか、お嬢ちゃんくらいだと」
 オスカーの言葉にアディールは大きな瞳をひときわ見開いた。
「まあ!それのどこが夢なのか私にはわからないわ。政略結婚の末自分の星は他人まかせ、もしもの大事に口も出せずただおろおろして、花のように飾られるだけしか能のない、つまらない人生に夢を見ろとおっしゃるの?」
 立て板に水のごとくの激しい剣幕に、少々気圧される。
「聖地ではすべてのことがわかると聞きます。オスカー様、見ていらして!私が王になったら、この星をお父さまのように、いえお父さま以上に立派に治めてみせますわ」
「楽しみにしてるぜ。お嬢ちゃんならきっとできる。そんな意気込みに水を差して悪かった、女だからと馬鹿にした訳じゃないんだ」
 姫は、満足げににっこり笑った。
「わかっていますわ。本気でそのようなお考えでは、オスカー様は反逆罪に問われます」
「もっともだ」
 オスカーが忠誠を捧げる主、この宇宙を統べるは、女王なのだから。
「でも・・もし私が聖地へ攻め入って勝利したら、私がオスカー様を従えることになるのね!それはなんだか楽しそう!」
「おいおい、ものすごいことを言うな。それこそ反逆罪だ」
「想像だけなら罪には問われないでしょう?」
「まあな。・・・でもそうなったとして、俺が大人しく言うことをきくかどうかは保証できないな」
 オスカーは空を見上げた。既にいくつかの星が輝き出している。
「俺は自分のことは自分で決めることにしている。お嬢ちゃんを主を認めるかどうかはその時次第だ」
「あら、そんなのおかしいわ。守護聖とは宇宙の為に女王陛下の為にこそ生きる運命の筈」
「その運命を受け入れることを決めたのは俺だ。何の矛盾もない」
 オスカーは真剣な面もちで、アディールを見据えた。
「いいか、アディール。いずれこの星を統治すると意気込んでいるのなら、どんな小さなことでも、自分のことは自分で決められるようになれ。運命は自ら切り開くものだ。自分がこれと信じて選んだ道ならば後悔は無いはずだ。俺はそう思っている。どれほどの苦境も、自分を信じることができればいつか乗り越えられる。それが『強さ』だ」
 彼女もまた、炎の守護聖の言葉に、しっかりとした眼差しで返した。
「オスカー様の司るお力ですね。・・・」
 どことなくこの姫は自分に似ているような気がする。だから放っておけないと思うのか、妙に真剣になりすぎた。オスカーは軽く微笑んだ。
「その迷い無い眼差しで聖地に攻め込まれても困るけどな」
「さっき言ったことは冗談です。大体、そんな退屈そうなところに、私は暮らしたくないわ」
「退屈?・・・聖地が?」
「だって毎日同じなのでしょう?オスカー様は幸福な場所だとおっしゃったけれど、私に言わせれば、それは幸福じゃない、『退屈』よ」
「・・・・幸福と退屈は兄弟みたいなものさ、お嬢ちゃん」
「退屈するのは不幸じゃないの?幸福と不幸が一緒にあるの?」
「表裏一体といってな、物事はすべて正反対のものがともに在る」
 アディールは納得がいかないといわんばかりになお食ってかかった。
「矛盾してるわ!」
「常に矛盾しつづける、世の中を巡るすべてのことは。深遠な哲学だ。小さな姫にはまだ難しいか?」
「・・・・・・・」

 
 

 膨れっ面を思いだし、つい洩れた自分の笑い声にオスカーは思い出の淵から立ち戻った。それに合わせたように、私邸の門前に馬車が止まる。
 降り立ち空を見上げ、彼はその時の自分の言葉を心で反芻した。

 その矛盾が理屈でなくわかるようになったお嬢ちゃんに会ってみたいもんだな。


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