リクエスト小説『Dive into GROOVE TUBE』   01

 強烈な太陽に浮かび上がる原色。空の青は…真の紺碧とは、もはや黒に近いのだ。海は空とは違う個性を誇るように翡翠の宝玉のごとく深く透き通るのだ。そして波はその永遠性を見せつけるように、じれったいほどゆったりと打って返るのだ。
 すべてが誰の干渉も受けず何より先にここにいたと語る。
 初めて見るのに、懐かしい。己の髄にしかと刻まれた太古の記憶。ここは…この場所こそが楽園…。
 
 大きなパラソルが濃い影を落とす。その下に置かれたデッキチェアにふんぞり返るのはオリヴィエである。彼は大げさに背伸びをし、深く空気を吸い込み、眼前の景色に目を細めた。
「コレよね、これ!自然回帰っていうの〜?…聖地じゃ満たされないのよ、このシンプルかつプリミティブな欲望がっ!!」
「…そこまで言うのならこのようなリゾートホテルのプールではなく、無人島にでもでかけたほうがよいのでは」
 いささかの距離をおいた横、やはり揃いのデッキチェアに座るリュミエール。今いる場所には、オリヴィエとリュミエールしか、客はいない。
 海辺の断崖を削って建てられたこのホテルのプールは少し変わった構造で、ひな壇のように三段になっている。プールサイドに身を置くと淵のない杯から酒が溢れるように、目の前の水がそのまま海に滝のように落ちているかのごとく見え、客は無粋なものに何一つ邪魔されずに景観のありったけを味わえるのだった。
「ふん、盛り下がること言わなくたっていいじゃないさ。わざわざ離れたとこから聞こえるよーに!」
「どうやって近寄れと?」
 オリヴィエのデッキチェアを取り囲むように控えるボーイ達の姿を横目に、リュミエールは軽くため息をつく。常に仕事をしているのは長い柄付きの扇をゆっくり上下させている2人だけ、あとの数人は灼熱の太陽の下、まんじりともせずオリヴィエの背後に控え汗を拭くことさえ耐えて立ちつくしている。
「何もこのようなところまで来て…。側仕えを起きたいのなら、王宮直轄の避暑地もあるでしょう?そのほうがよほど事も足りて」
「わ〜かってないわね、リュミちゃん。王宮直轄のとこでこんなことやっても全然楽しくないのよ」
 オリヴィエは偉そうに数度舌打ちをした。
「こういうね、一般ピーポーの!リゾートだからこそ何もそこまでってくらいムダなとこに大人げなくお金使う!!…ああ、そんじょそこらのフツーの金持ちからの、嫉妬と羨望のマナザシが…カ・イ・カ・ン〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「……………………そうですか」
 素っ気なくそれだけ言って、リュミエールはまた視線を本に戻した。
 そんな二人の目の前、派手な水しぶきが上がる。オスカーがプールから上がってきたのだ。濡れた身体から滴をしたたらせながら、自分のデッキチェアに置いてあったタオルをつかみとってどっかりと座る。
「飽きた」
「え?何か言った、オスカー」
「………飽きた飽きた飽きた飽きた!!!!」
 オスカーは脇に置いてあったジン・トニックを煽った。砕氷がグラスに呼応して高い音をたてる。
「俺が毎日どれくらいこのプールで泳いでるか知ってるか?朝昼晩合わせて10キロは軽いぜ」
「あっはは、女王杯トライアスロンにでも出ようっての?」
「……残念ながら、次回の名誉大会長は俺だ。自分で自分にゴールドメダルをかけるわけにもいかない」
 言っておくが、競泳用プールではない。世界のセレブリティしか宿泊できない超高級リゾートホテルの、しかも景観第一!なプールである。したがってそう広くもない。このホテルの由緒正しい歴史の始まって以来の迷惑な客だったかもしれないオスカーであった。
「他にすることがなさすぎる!人もいないし!」
 少しばかりシーズンを外したせいで、海は美しく見えても内実クラゲだらけだし、こうしたホテルはスポーツアビリティなどの充実には重きがおかれていない。宿泊客はいないわけではなかったが年齢層はおしなべて高く、今のオスカーとフィーリングが合う者はどうやら探せそうにもなかった。
 オスカーはため息まじりに言った。
「…オマエらよくそーやってベランダの猫みたいに日がな一日何もしないでいられるな?」
「誰にも邪魔されぬゆったりとした時間を得るためだけに、人々はこの場所に来るのです」
「あ〜ら、何もしてないどころか大忙しよ!これからだってね、エステでしょ、ネイルアーティストも呼んであるし、そしたらランチじゃない?そのあとシエスタ…起きたらヘアサロン」
「寝そべってるか食ってるかだけじゃないか」
「あっそ。アンタみたいのはクラブメッドにでも行ってよ!!…まああーゆーのもどうかと思うけどさ」
 プールサイドにいるというのに。しっかり服を着て、本を読んでいる。この熱帯において汗一つかいている様子もない。
「リュミちゃん…アンタ自分ちにいるのとどっこも変わりないじゃない。少しはリゾートならではってことしたらどーなのよ」
「私なりにこの休暇を楽しんでいます。ご心配は無用です」
 ちょうどその時、オリヴィエの目の前にオーダーが運ばれてきた。小さく感嘆の声を上げ喜ぶオリヴィエの手元、他の二人は目を見張った。
「………なんだソレ…?その、カーニバルの山車みたいな…」
「これ?あ、メニューにはないよ。特製!ワタシのイメージで、って言ったら来たの」
「なかなか鋭いセンスですね…」
 やりたいことはわからないでもないが、ちょっと、いやかなりやりすぎ、な感じは近いとオスカーとリュミエールは同時心で思った。
 それは洗面器ほどもあるような器に、その時あったものすべてを盛ってみたといった風情のパフェ…というには躊躇のあるシロモノ。
 見るだけで青くなりそうなソーダ水の海に浮かぶトロピカルフルーツ、そこに突き刺さった花火がバチバチと火を飛ばす。器の中央にそそりたつ、おそらく遠く見えるあの火山の姿を模しているのだろう、チョコレートとバニラのアイスクリーム。その上から生クリームが覆い被さり、すでに溶けだしているアイスと相まって不気味なマーブル模様の溶岩となって流れる。まんべんなく振りかけられたラメ入りのスプレートッピング、そのアイスクリームの頂から勢い良くごうごうと吹き出すドライアイスの煙…噴煙なんだろう…周りに意味もなくいろとりどりの紙製のパラソルが刺さっているのもオヤクソク。
「何、食べたいの?…しょうがないわね〜一口だけよ?」
 二人がぶんぶん首を横に振っているのも気付かず、まんざらでもない調子でオリヴィエはそう言うと、添えられたスプーン(気を利かせてちゃんと3本あった)にアイスクリームを大盛りに掻き取り、まずはオスカーに向けて差し出した。瞬間横切る黒い影。
「……………あっ」
 三人、いやオリヴィエ付きのボーイ達も一斉に声を上げた。まだオリヴィエの手にあるスプーンの先をがっちりくわえ込んでいるのは。
「ぎゃあああ!!!な・なんなのっっっっ!このゾーキンみたいな男っっっ!!」
「ゾーキンってオマエ…人間の尊厳を思いっきり踏みにじる比喩だな…」
 しかし、その表現の後にはぴったりする言葉が見つけられないほど、端的にその者の風貌を表しているのも確かなのだった。たった今無人島で20年ぶりに発見されたような、日焼けなんだか汚れなんだか目鼻さえ確認するのが難しい真っ黒な顔、ささくれたほうきのように乱れた髪、雑巾と言っては雑巾に失礼なほどの、垢じみて破れはてた衣服。
 彼は一心に、既にオリヴィエから奪い取るかたちになったスプーンを渾身に舐めている。その姿があまりに不憫で哀れで、誰もが呆然とし二の句を継げないでいた。
 しかし何度も言うが超!高級リゾートなのである。どれだけ人権問題に抵触しようが、ここは差別と不平等に金を費やす場所なのである。ルールはルールだ。
 ボーイ達が我に返ったように、その男を取り押さえ、引きずる。
「ああっ…オラは…何も…オラはただ…待ってぐれ〜〜〜頼むだ〜〜〜」
 ゾーキン男が引きずられつつ掴んだものは、オリヴィエのパレオであった。
「ちょっと何すんのっっっ!コレ高いんだから!!!!!」
「話だけでも聞いてくで〜〜〜〜〜ようやっと、ようやっと見つけただのに…」
 綱引きのように一枚の布地を引っ張り合う構図。男の必死の形相には、何やら尋常でない悲壮感が漂う。
「すみませんが…手を放してあげてくれませんか?」
 ボーイ達にそう命じたのはリュミエールであった。
「何やら伝えたいことがある様子。事情くらい聞いてあげても」
 さすが優しさの守護聖、なのである。
「何言ってんのよリュミエール!!」
「危害を加える気は無さそうだしな、たとえその気でも俺が受けてたってやるさ」
 強さの守護聖は指を軽く鳴らした。
「オスカーまで!!」
「有り難てぇ………天の助け〜〜〜〜〜〜」
 ゾーキンは額を敷石に、これでもかとこすりつけた。
「別にお前はエステでもなんでも行っていいぜ?」
「私とオスカーでこの者と話しておきましょう」
「…………………………ナニよ。こんなときばっかり組んじゃって……!」
 オリヴィエは憤懣やるかたない様子でそこまで言って、ボーイ達に耳打ちした。彼らは少し迷いつつ、命令に従い、その場所を去った。
 オリヴィエはすっくと立ち上がり、デッキチェアに片足乗せてポーズをつけ、言った。
「さあて、人払いもすんだわ。何か言いたいことがあるなら、この宇宙一慈悲深いオリヴィエ様に言ってごらん!……こんなラッキー、アンタの人生に二度とないわよ?」
「はは〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 桜吹雪でも見せるのかといった勢いのオリヴィエと、なおも土下座する男。
 プールサイドに響き渡る高笑いに、オスカーとリュミエールは呆れた。
「…なんだかんだ言って一番退屈してたんじゃないか…」
「深く言及するのはよしましょう」
 

「ね、ねえ、あのさ…アンタ…」
 光まばゆいプールサイドに、まったくもって似合わぬ生き急ぐ野良犬のようなその姿。ガツガツと、手当たり次第にフルーツやアイスを頬張っている。
「う……うっ……うめぇ……」
「ああっ!スターフルーツまで〜!!一口だけって言ったのに…あ〜〜〜」
「セコいこと言うなよ、好きなだけ食わしてやれ…」
 オスカーでなくとも、この姿を見て誰が男を止められよう。大の大人が器に頭ごとつっこむようにして、やけにファンシーなデザートを貪り喰らうその勢いには鬼気迫るものさえある。
「オリヴィエダイナマイツならまたいくらでも頼めばいいじゃないか」
「何なのよ、オリヴィエダイナマイツって!!」
「便宜上名付けてみた」
「なかなか鋭いセンスですね、オスカー…」
 そんな会話の間にもゾーキン男は一気にラストスパート、オリヴィエダイナマイツをかき込む。ブルーの液体が男によって飲み干された。
 そしてゆっくり器を置いて、至福のため息をもらした。
「…オラこんなうめぇもん、生まれてこの方食ったことねぇだ…。こりゃあ神様の食いモンだぁ…さすが違うだな〜〜〜」
 ゾーキン男は空になった器を、まるで失われた楽園の跡を見るかのように見いっている。
「そうか…それは良かったな。…で、もう事情は話してもらえるか?待ちくたびれてるんだ」
「そうよそうよ、アンタよんどころない用事があるんでしょ?危うく忘れるトコだったわよ!!」
「…忘れんなよ…」
「とりあえず、まずは名前からでもお教えいただけないでしょうか。このままではオスカーによって便宜上ゾーキンという通称で…」
「おいおい、それ言ったのはオリヴィエだぞ!」
「あっ、オラ、平三と言います。………………初めて会う人達にこんなことを言いだすのは忍びねぇんだが…」
 平三は意を決したように三人をまっすぐに見てから、素早く後ずさりしまたも土下座した。

「オラ達を…オラ達の村を助けて欲しいだ、頼む!アンタ達しかいねぇだよ!」

「助ける??」
 その時、三人のバックには世界のクロサワの『七人の侍』のテーマが鳴っていた…かどうかはさておき。男が語り出す唐突な話に、自然と身体は前のめりになっていた。
 平穏より興奮。退屈より刺激に。否応なく頭も身体もビビッドに反応する、まだまだ若かったりする3人なのであった。
 
 そしてそんな彼らの辞書に「好奇心、猫も殺す」という言葉は、無い。
つづきを読む
| HOME | NOVELS TOP | PROJECT:55555 |