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[1964] アメリカで〈It's All Over Now/Good Time Bad Times〉リリース。
[1965] アメリカのロンドン・レコードより《OUT OF OUR HEADS》リリース。
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7. 2 |
[1975] ストーンズ、アメリカのフォード大統領の息子・ジャックにホワイトハウスに招待されるが出席せず。アンディ・ウォーホル、ビアンカ・ジャガーなどは出席する。
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7. 3 |
[1969] 2-3 ブライアン・ジョーンズ、深夜12時すぎにコッチフォード農場の自宅プールの底で発見される。ガールフレンドのアンナ・ウォーリン、家の改装を請け負っていたフランク・サラグッド、彼の友人で看護婦のジェリー・ロースンらが、ブライアンの家にいたが、ブライアンの死の謎は残ったまま…。ストーンズのメンバーは、レコーディング中のスタジオでブライアンの死の連絡を受ける。
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7. 5 |
[1969] ストーンズ、ハイド・パークでブライアン・ジョーンズの追悼コンサートを行う。もともと、新メンバーのミック・テイラーの御披露目をかねた野外コンサートだったが、ブライアンの死を知ったとき、中止の話しも出たが、チャーリー・ワッツの提案で追悼コンサートになった。30万人を前に、ミックはブライアンに捧げるためシェリーの詩を朗読した後、コンサートは始まった。
[1975] キースとロニー、アーカンサスのフォーダイスで武器の不法所持でハイウェイ・ポリスに逮捕されるが起訴されず、各々162ドルで保釈される。
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7. 6 |
[1967] ブライアン、心労のため入院。
[1969] ミック、ハイドパークでのブライアン追悼コンサートが終わった後、マーシャ・ハントと過ごし、『ネッド・ケリー/太陽の果てに青春を』の撮影に入るため、アリアンヌを迎えに行きオーストラリアへ向かう。
[1979] ミック、ビアンカとの離婚に関する非公開審問のために、4日間ロンドンに滞在。
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7. 7 |
[1967] ビートルズのシングル〈All You Need Is Love/Baby You're A Rich Man〉リリース。A面には、ミック、キース、マリアンヌがバック・コーラスで参加、B面には、ブライアンがソプラノ・サキソフォンで参加。
[1986] タムラ・モータウンズ・ユタイテッド・サウンド・スタジオ(デトロイト)にいるキースにロニーが合流。アレサ・フランクリンがカバーするのプロデュースとバッキングを行う。
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7. 8 |
[1964] キース、ブライアン、ビルは、ドチェスター・ホテルで開かれたビートルズ映画『A Hard Days Night "ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!" 』のプレミア・パーティに出席。
[1969] ミック、滞在中のシドニーのシェヴロン・ホテルで大量の錠剤を飲み昏睡状態に入ったマリアンヌを発見。マリアンヌは、セント・ヴィンセント病院に運ばれたが昏睡状態が続く。
[1978] シカゴ滞在中のミック、キース、ロニー、チャーリーは、クワイエット・ナイト(400席)でマデォ・ウォーターズと共演。
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7. 9 |
[1969] ビルとダイアン・ワイマンとの離婚が発表される。
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7. 10 |
[1969] ブライアン、チェルトナムに埋葬される。
[1973] 英国の新聞でミック・ジャガーとビアンカの仲が暗礁に乗り上げていることを伝える。
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7. 11 |
[1989] ストーンズ、グランド・セントラル・ステーション(ニューヨーク)でSTEEL WHEELS TOURの記者会見を開く。
[1990] ストーンズ、キースの指負傷のため、カーディフ・アームズでの公演を16日に順延。ストーンズ史上初。
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7. 12 |
[1962] ローリング・ストーンズ(ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズ、キース・リチャーズ、ディック・テイラー、イアン・スチュワート、ミック・エイヴォリー)、初めてマーキー・クラブに出演。
[1986] キース、チャック・ベリーと映画のプロジェクトについてセントルイスで話し合う。
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7. 13 |
[1969] ミック、主演映画『太陽の果てに青春を』のロケがメルボルン周辺でスタート。
[1974] キース、ロンドンでロン・ウッド、イアン・マクラガンなどと共演。
[1985] ライブ・エイドのコンサートがウェンブレー・スタジアム(ロンドン)とJFKスタジアム(フィラデルヒア)同時開催。ミックはJFKスタジアムで、ホール・アンド・オーツをバックに歌い、ティナ・ターナーとデュエットも。コンサートの最後は、キースとロニーが、ボブ・ディランとアコースティク・ギターで共演。
[1990] ストーンズ、キースの指負傷のため、ウェンブリー・アリーナ(ロンドン)での公演を24日に順延。
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7. 14 |
[1990] ストーンズ、キースの指負傷のため、ウェンブリー・アリーナ(ロンドン)での公演を25日に順延。
またストーンズは、サーペンタイン・ギャラリーでパーティを開催。エルトン・ジョン、ジェフ・ベック、デュラン・デュラン、ジェリー・ホール、ビアンカらが出席。
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7. 15 |
[1972] アメリカで〈Happy/All Down The Line〉リリース。
[1974] キース、ロンドンでロン・ウッドなどと2日連続で共演。
[1987] キース以外のメンバー、ヒルトン・ホテル(ロンドン)で行われたAIMSの基金集め晩餐会に出席。
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7. 17 |
[1972] モントリオールのフォーラムでコンサート。フランス系カナダ人の分離派が機材を乗せたトラックに爆弾をしかけ、機材が破壊する。代わりの機材準備のためコンサートの開始時間が遅れる。コンサート中、ファンの投げたビンがミック・ジャガーに当たる。
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7. 18 |
[1972] モントリオールからボストンに移動中、霧のため急遽ロード・アイランドに着陸。取材に駆けつけた地元のリポーターとストーンズは押し問答となり、キースが暴行の罪で逮捕される。
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7. 20 |
[1970] デッカ、UKでシングル〈Street Fighting Man/Surprise Surprise〉リリース。
[1979] ニューヨーク州ウェストチェスターのキースの自宅で、17才の少年がアニタ・パレンバーグの目の前で38口径のリヴォルバーで自殺。ロシアン・ルーレット中の事故?
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7. 21 |
[1978] ストーンズ、アリゾナ州タスコンのコミュニティ・センターでコンサート。ミックはリンダ・ロンシュタットとデュエット。
[1979] 少年の短銃自殺事件で尋問を受けていたアニタ、500ドルで釈放。リヴォルバーは盗品だったため、アニタは盗品所持で告訴される。
[1986] アメリカでエピックよりミックのソロ〈Ruthless/I'm Ringing〉リリース。
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7. 25 |
[1983] タイムズ誌に、ピート・タウンゼントがミックの誕生日を祝う記事掲載。
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7. 26 |
| [1943] ミック・ジャガー誕生。 Happy Birthday , Mick!! |
[1968] アメリカで〈Street Fighting Man/No Expectations〉リリース。
[1971] ローリング・ストーンズ、元マネージャーのアレン・クラインに対し750万ドルの訴訟がなされる。
[1972] マディソン・スクウェア・ガーデンでコンサート中、ケーキとパンダをプレゼントされる。コンサート後のパーティにボブ・ディラン、アンディ・ウォーホル、カーリー・サイモンなど出席。カウント・ベイシーとマディ・ウォーターズが演奏する。
[1973] ロンドン・オフィスで誕生パーティが開かれる。
[1980] ミック、誕生日をモロッコでジェリー・ホール、ジェイドと一緒に過ごす。
[1981] ミック、誕生日をニューヨークで過ごす。
[1982] ミック、ロンドンのランガンズ・ブラッセリーで誕生日を祝う。
[1983] ミック、誕生日をヴァーモンドでジェリー・ホールと一緒に過ごす。
[1985] ミック、ニューヨークのパラディアムで開かれたパーティで誕生日を祝う。
[1986] ミック、ロンドンの自宅で誕生日を祝う。エリク・クラプトン、ティナ・ターナー、スティングなど招かれる。
[1988] ミック、モントクレア・ステージ・カレッジ・シアター(ニュージャージー)で公演されたジェリー・ホールが出演する芝居「Bus Stop」の初日に出席。その後、テン・パーク・レストランで誕生日を祝う。
[1988] ミック、コネチカット州ワシントンで決行中のツアー・リハーサルの合間に、メンバーと一緒にバーベキューで誕生日を祝う。
[1990] ミック、コンサート中の宿泊先ホテルのホテル・エクセルシオールでバースディ・パーティ。
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7. 27 |
[1974] キース、ニュー・ミュージカル・エクスプレスで『世界でもっとも優雅に荒廃した人間』に選ばれる。
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7. 28 |
[1970] オーストラリアのグレンローワンでミックの主演映画『太陽の果てに青春を』のプレミアが行われる。
[1986] パティ、レノックス・ヒル(病院)でキースとの子供/アレグザンドラ・ニコルを出産。
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7. 30 |
[1970] ローリング・ストーンズ、アレン・クラインに対する訴訟手続きを開始。
[1971] ミックとビアンカ・ジャガー、ギネス家のゲストとしてリークスリップ城に向かう途中のヒースロー空港で、子供が生まれることを発表。
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7. 31 |
[1967] ミック、2月12日のレッドランズの手入れの件の空訴審で、条件付き無罪を言いわたされる。その後、ITVのワールド・イン・アクションの特別討論会に出演。
[1970] ローリング・ストーンズ、デッカとの契約切れの前に、契約上残っていた最後の1曲として〈Cocksucker Blues〉を提出。露骨な詩のため、デッカはリリースできなかった。
[1971] キースとアニタ・パレンバーグ、ロンドンのリアトル・シネマで行われた『ギミー・シェルター』のプレミアに出席。
[1973] レッドランズのキースの家が火事にあう。キース、アニタ、子供達は無事だった。マリルボーン下級裁判所で予定されていたチェイン・ウォークでのドラッグ手入れの裁判に火事のため出席できなかったが、不在のまま保釈処分を言い渡される。
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