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[1965] ロンドン・レコーズ(US)より〈Get Off Of My Cloud / I'm Free〉リリース。
[1976] ミック、ロンドンの100Clubでセックス・ピストルズを見る。
[1979] キースとロン・ウッド、パリのエリゼ・マティニョンのステージでレーナード・バーンスタインと共演。
[1982] ミックが出演した「Fitzcarraldo」の製作ドキュメンタリー「Burden Of Dreams」がアメリカで上映。
[1982] アメリカで〈Time Is On My SIde / Twenty Flight Rock〉が、イギリスで12インチ・シングル〈Time Is On My SIde / Twenty Flight Rock / Uner My Thumb〉リリース。
[1982] ミック、英国の出版会社ウィーデンフェルド&ニコルスンのウィーデンフェルド卿と自伝を書く契約を結ぶ。
[1990] ストーンズ、デイリー・スター誌で「ストーンズはファンの期待を裏切った」と掲載されたため、出版元と編集者に訴訟を起こす。
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9. 1 |
[1981] USツアーにジョーヴァン(シカゴに本社がる香水会社)がスポンサーになると発表。ツアーのスポンサーがつくのはROCK史上初。
[1982] キースのレッドランズの家が再び火事で天井を焼く。
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9. 2 |
[1965] ストーンズ、10月29日からのアメリカ・ツアー予定と、1966年1月からの映画撮影の予定を発表。
[1979] ビル・ワイマン、ジェリー・ルイス筋ジストロフィ・テレソンの中継に出演。リンゴ・スター、デイヴ・メイスンらと演奏。
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9. 3 |
[1967] ブライアン、パイロット免許を申請中だと発表。
[1968] 〈Street Fighting Man〉がシカゴで、民主党大会で暴動になったあと、放送禁止になる。
[1970] マリアンヌ・フェイスフルが夫のジョン・ダンバーから離婚訴訟をおこされた件で、ミックが召喚される。
[1974] ピーター・セラーズが開いたパーティでビル・ワイマン(ベース)、ロン・ウッド(ギター)、ボビー・キーズ(サキソフォン)、キース・ムーン(オルガン)、デヴィッド・ボウイ(アルト・サックス)、ジョー・コッカー(ヴォーカル)でジャム・セッション。
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9. 5 |
[1975] デッカ(UK)より〈Out Of Time / Jiving Sister Fanny〉リリース。
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9. 6 |
[1970] デッカ(UK)とロンドン・レコーズ(US)より《GET YEA YA YAS OUT!)》リリース。
[1973] ストーンズ、ブレンハイム・パレスで大パーティを催す。
[1976] キース、ドラッグ所持に関する告訴の件で、ニューポート・ペグネルの法廷に出廷。
[1989] ストーンズ、ニューヨークで行われているMTVヴィデオ賞受賞式のため、ピッツバーグのスリー・リヴァース・スタジアムから衛星中継で出演。"Mixed Emotions"を演奏。
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9. 10 |
[1964] ストーンズ、メロディ・メーカーのポップ・ポールで「英国でもっともポピュラーなグループ」の1位に選ばれる。
[1966] ストーンズ、ブライアン抜き(8月に左手の骨を2本折っていた)で、エド・サリバン・ショーとレディ・ステディ・ゴー! に出演。
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9. 11 |
[1989] ローリング・ストーンズ・レコーズ(UK)より《STEEL WHEELS》リリース。
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9. 12 |
[1968] ミック、ロンドンで「青春の罠」の撮影に入る。一方、マリアンヌ・フェイスフルとアラン・ドロン出演の「あの胸にもう一度」がプレミアされる。
[1969] デッカより《THROUGH THE PAST DARKLY(BIG HITS VOLUME 2)》リリース。
[1977] ミック、サヴォイ・ホテルで翌週発売予定の《LOVE YOU LIVE)》の記者発表を行う。
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9. 13 |
[1975] アイルランドのリークスリップ城でビアンカと休暇中のミック、クリスマス前の3週間のツアーの予定を発表。
[1977] ストーンズ(キース以外)、ロンドンのマーキーで開かれた《LOVE YOU LIVE)》の発表パーティに出席。
[1978] チャーリー・ワッツとビル・ワイマン、9月7日に死体で発見されたザ・フーのキース・ムーン(ドラム)の葬儀に参列。
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9. 14 |
[1963] ストーンズ、サンク・ユア・ラッキー・スターズに出演。
[1967] ミック(from パリ)とキース(from ロンドン)は、ニューヨークのケネディ空港での入国審査官から質問を受け、翌日、ブロードウェイの入国管理事務所で、英国での麻薬裁判の件で質問を受ける。
[1977] ミックとロン・ウッド、バディ・ホリーの41回目の誕生を記念したクリケッツ(キルバーン・ゴーモント)のコンサートを見る。
[1981] ストーンズ、マサチューセッツ州ウースターのクラブ、サー・モーガンズ・ケイヴ(キャパ350人)でウォームアップ・ショウを行う。
[1987] CBSより、ミックのソロ《PRIMITIVE COOL》リリース。
[1988] ソロ・コンサートのためシドニーに到着したミックは、「50歳になったらツアーを引退する」ことを発表。
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9. 15 |
[1978] ローリング・ストーンズ・レコーズ(UK)より〈Respectable / When The Comes Down〉リリース。
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9. 16 |
[1977] 《LOVE YOU LIVE》リリース。カヴァー・デザインはアンディ・ウォーホル。
[1980] 「Cocksucker Blues」、ニューヨークのホイットニー・ミュージアムで一般公開される。(16日〜21日)
[1986] ミック、デイヴ・スチュワートと食事中、写真を撮ろうとしたカメラマンを殴る。
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9. 17 |
[1979] オンタリオの上訴裁判所は検察官ジョン・スコリンからのキースのドラックに関する上訴を却下。
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9. 18 |
[1981] ボストン市長は、14日に行われたウォームアップ・ショウの残り2回をオルフェイムで行うことを禁止。ウースターでの騒動の再現を恐れたため。
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9. 19 |
[1970] ワーナー・ブラザーズより、「青春の罠」のサウンドトラックをリリース。
[1980] ローリング・ストーンズ・レコーズより〈She's So Cold / Send It To Me〉リリース。
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9. 20 |
[1983] ビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、ロイヤル・アルバート・ホールで行われたARMS(多発性硬化症の研究活動)のためのチャリティ・コンサートに参加。ほかに、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックなども参加。
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9. 21 |
[1968] ストーンズ、カルロ・ポンティ監督のハリウッド製作「Maxigasm」に出演すると発表。
[1975] ミック・ジャガーはショーン・コネリーやジョン・ヒューストンらと、チャリティ・ショウ「シルカジア75」(ダブリン)に出演。
[1983] チャールズ皇太子のチャリティ、プリンス・トラストのため、ロイヤル・アルバート・ホールで2回目のコンサート。チャールズ皇太子とダイアナ臨席。
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9. 22 |
[1972] ミックとビアンカ、チャーリーとシャーリー・ワッツ、ミック・テイラーは、フェイセズのスタッフに参加するため辞めることになった個人秘書のシャーリ・アーノルド(ストーンズ・ファンクラブを最初に始め、9年間ストーンズとともにした)のさよならパーティに出席。
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9. 23 |
[1966] ストーンズ、USとUKで〈Have You Seen Your Mother Baby, Standing In The Shadow? / Who's Driving Your Plane〉をリリース。レコードのスリーブは女装したストーンズの写真を使用。プロモーション用フィルムは、トップ・オブ・ザ・ポップスで放送禁止となる。
[1977] 「Ladies And Gentlemen The Rolling Stones」のプレミアがロンドンのレインボーウ・シアターで行われる。
[1988] ヴァージンよりキースのソロ〈Take It So Hard / I Could Have Stood You Up〉リリース。
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9. 25 |
[1965] ビル・ワイマン、グリン・ジョンズと一緒に、新人発掘のための新会社「フリーウェイ・ミュージック」を設立。
[1982] ミックとジェイド(娘)、フィラデルフィアのJFKスタジアムで、ザ・フーとクラッシュのコンサートを見る。 一方、英国ゴシップ誌は、ジェリー・ホールが億万長者の競走馬の持ち主、ロバート・サングスターと結婚する予定だと伝える。
[1987] ビルとリンゴ・スター、ジョージア州アトランタのラ・ブラッセリー・ナイト・クラブのオープニングに出席。彼等はこの店に投資している。
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9. 26 |
[1986] ミック主演「Running Out Of Luck」がCBS - フォックス・ヴィデオから発売。
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9. 27 |
[1968] ブライアン、インナー・ロンドン裁判所で、カンナビス所持の件で有罪となり、50ポンドの罰金を科せられる。
[1974] WEAよりロン・ウッドのソロ・アルバム《I'VE GOT MY OWN ALBUM TO DO)》リリース。このアルバムにはミック、キース、ミック・テイラーも参加。
[1977] ストーンズ、ニューヨークのトラックス・クラブで《LOVE YOU LIVE》の発表パーティを開く。
[1987] ロンドンのニューズ・オブ・ザ・ワールドは、ミックのアルバムの〈Kow Tow〉〈Shoot Off Your Mouth〉はキースに向けた作品だという記事を掲載。
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9. 28 |
[1970] ストーンズ、ツアーのためローマに到着。記者会見でミックがレポーターを殴る。原因はレポーターが「まぬけな質問をした」から。
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9. 29 |
[1963] ボ・ディドリー、エヴァリー・ブラザーズと一緒のストーンズ初のUKツアー、ロンドンのニュー・ヴィクトリア・シアターで始まる。
[1967] ストーンズは、マネージャ兼プロデューサーのアンドリュー・オールダムと分かれ、今後自分たちでプロデュースしていくことになる。
[1978] ローリング・ストーンズ・レコーズより、ピーター・トッシュのシングル〈(You Gotta Walk) Don't Look Back〉リリース。ミックがヴォーカルで参加。
[1988] ロン・ウッド、ロンドンのハミルトン・ギャラリーで「The Works」の出版パーティを開く。アニタ・パレンバーグ、マーロン、クリス・ジャガー等出席。
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9. 30 |
[1985] ジェリー・ホール、BBCテレビのテリー・ウォーガン・ショウに出演し、「ミックが息子のジャイムズ・リロイを寝かしつけるために"Jumping Jack Flash"を歌いながら踊る」と発言。
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