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[1964] デッカ、ミックとキースの作詞作曲およびアンドリュー・オールダムのプロデュースの2枚のシングルをリリース。マリアンヌ・ファイスフル〈As Tears Go By〉と、マイティ・アヴェンジャーズ〈So Much In Love〉。
[1966] ブライアン、タンジールに滞在中に左手の2本の骨を折り、ロンドンに戻る。
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8. 1 |
[1965] ビル、シェル・タルミーと「モッシー・ミュージック」という新会社を設立。
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8. 2 |
[1976] ロン・ウッド、税金問題で今後6ケ月以上はクリッシーと一緒にロサンゼルスに住み、10月に子供を生む予定であることを発表。
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8. 3 |
[1986] ニューヨーク・オブ・ザ・ワールドはビル・ワイマンと恋愛関係にあったマンディ・スミス(13歳)のインタビューを掲載。
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8. 4 |
[1965] アンドリュー・オールダム、レコード会社「イミディエイト・レコーズ」を設立。
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8. 5 |
[1967] ミック、マリアンヌ・フェイスフルがレコーディングするビートルズの〈When I'm 64〉等2曲をプロデュースする。
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8. 7 |
[1978] ストーンズのパブリシスト、レス・ペイン(57歳)がロンドンで死亡。
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8. 8 |
[1982] ビル・グレアム、ツアー最終日になくした地図に1,000ポンドの賞金を出す。これには、ツアーの全会場にマークされており、ストーンズからのメッセージも書き込まれていた。
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8. 10 |
[1964] ミック、初めての有罪判決。リヴァプールで自動車事故で怪我をしたファンを見舞いに行く際、保険なしの運転でスピード違反を起こし、運転免許の提示のも応じなかった罪で、この日、22ポンドの罰金を科せられた。
[1969]アニタ・パレンバーグ、キースとの間の息子"マーロン"をキングス・カレッジで出産。
[1977] アブコ・レコーズより《THE ROLLING STONES GREATEST HITS VOL 1》《VOL 2》リリース。
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8. 11 |
[1973] アブコ・レコーズより〈Out Of Time / Jiving Sister Fanny〉(METAMORPHOSISより)リリース。
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8. 12 |
[1967] ストーンズは8月18日発売予定の〈We Love You〉のプロモーション・フィルムを撮ったが、ミック、キース、マリアンヌが『The Trials Of Oscar Wilde』の場面wp演じていたためBBCは放送禁止にした。
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8. 14 |
[1965] リンダ・ローレンス、ブライアンとの間の1歳になる息子/ジュリアン・ブライアンの認知を求め、裁判所命令を請求。
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8. 15 |
[1964] ミックとキース、ブライアン・エプスタインが催したロンドンでのパーティに出席。
[1989] アブコ・レコーズより4枚組シングル《THE ROLLING STONES SINGLES COLLECTION:THE LONDON YEARS》リリース。
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8. 16 |
[1979] ニューヨーク・ポストは、アニタと友人が魔女の集会とのつながりがあると掲載。
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8. 17 |
[1968] エリック・クラプトン、1968年後半にクリームを解散した後、ストーンズに参加するという噂がロンドンに流れる。
[1981] ローリング・ストーンズ・レコードより〈Start Me Up / No Use In Crying〉リリース。
[1989] ローリング・ストーンズ・レコードよりUKとUS同時に〈Mixed Emotions / Fancyman Blues〉リリース。
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8. 18 |
[1964] ストーンズ、チャネル諸島ツアーが始まるが、ブリテッシュ・ユナイテッド・エアウェイズは。ストーンズの搭乗を拒否した。
[1967] ストーンズ、〈We Love You / Dandelion〉をUKとUSでリリース。シングルはレッドランズの件の裁判で支援してくれたファンに「感謝」の意味で製作された。
[1969] ミック、『太陽の果てに青春を』の撮影セットで
銃をさわっている際、誤って手を撃ってしまう。
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8. 19 |
[1970] ミック、『太陽の果てに青春を』の公開後、「ほかにやることがなかったから、やっただけ」とコメント。
[1985] チャーリー、デヴォンの自宅の地下室で転び、足の骨を折る。
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8. 20 |
[1965] デッカより〈Satisfaction / Spider And The Fly 〉リリース。
[1973] ローリング・ストーンズ・レコードより〈Angie / Silver TRain〉リリース。
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8. 21 |
[1976] ローリング・ストーンズ、ネブワース・フェスティバルで演奏/このステージが最後のギグという噂が流れる。
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8. 22 |
[1973] スペイン政府、ミック・ジャガーがフランコ政権を非難したことに反応し、ローリング・ストーンズの全レコードの締め出しを計る。ミックは、発言を否定。
[1987] サン紙は、10月スタート予定のミックのツアーはジェフ・ベックとの公論が原因で延期になったと伝える。
[1988] ローリング・ストーン誌の調査によると、アメリカの25人の一流批評家が「過去25年のベスト・シングル」に〈Satisfaction〉を選ばれた。
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8. 23 |
[1985] EMIより、ミックとデヴィッド・ボウイの共演作品〈Dancing In The Street〉が全世界でリリース。プロモーション・ビデオはアメリカ全土の劇場で上映される。 また、ハリウッドでは、ミックとボウイが「お熱いのがお好き」のリメイクを作るという噂が広まる。
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8. 24 |
[1965] ストーンズ、ロンドンのヒルトン・ホテルでアレン・クラインと会う。
[1968] ニューアルバム《BEGGAR'S BANQUET》のカヴァーが、ストーンズとレコード会社の間で論争となる。デッカとロンドン・レコードは問題が多いとリリースを拒む。
[1973] ストーンズ、性差別的な音楽に反対している団体から糾弾される。
[1989] ビル・ワイマンが1964年にバブス宛のラブ・レターとブレスレットがクリスティ(ロンドン)のオークションで1,430ポンドで落札。
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8. 25 |
[1965] ミック、アストン・マーティンDB6にシュリンプトンと乗っていたときに交通事故に巻き込まれる。ロンドンのマリルボーンのフラット近くで起こったが怪我は無し。
[1973] ストーンズ、ペンブローク・キャッスルでのコンサートを地元役所からキャンセルされる。
[1977] デイリー・ミラーは、ミックとビアンカ夫妻の離婚が決定的であることを伝える。
[1983]ローリング・ストーンズ、CBSと音楽業界史上最高額の2,800万ドルで契約を結ぶ。税法の都合で、フランスで署名された。
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8. 26 |
[1967] ミックとマリアンヌ、北ウェールズのティーチャーズ・トレイニング・カレッジで行われたマハリシ・ヨギのセミナーにビートルズとともに参加。
[1973] ミック、1973年7月に科せられた「オルタモント・スピードウェイのコンサートで観ファンが30万人農場に無断で立ち入ったとする農場主からの訴えに対する」判決(69万ドルの罰金)がカリフォルニア州アラミア・カウンティ高等裁判所で破棄された。訴訟についてミックに知らされていないというミックの訴えが聞き入れられたもの。
[1977] フランクフルトのドイツ人がキースのために募金をし、嘆願書を持参しカナダ大使館でデモする計画を立てる。
[1989] ミックとジェリー・ホール、レディング '90に出演したバーナード・ファウラー(タック・ヘッド)のプレイをステージ横で見る。
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8. 27 |
[1971] デッカより《GIMMIE SHELTER》リリース。
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8. 28 |
[1965] イブニング・スタンダードは、ストーンズがボブ・ディランのUKエージャントでもあるティト・バーンズとエージェント契約をしたことと、共同マネージャーとしてアレン・クラインが新たに参加したこと、デッカと5年間の新契約をしたことを伝える。
[1971] ミック、ドクター・ジョンのアルバム《SUN, MOON AND HERBS》に参加。
[1978] アメリカで〈Beast Of Burden / When The Whip Comes Down〉リリース。
[1985] ミックとジェリー・ホールの子供、ジェイムズ・リロイ・オーガスティンがニューヨークのノックス・ヒル病院で誕生。
[1989] ヘルス・エンジェルスが「オルタモントから20年後、復讐としてミックをステージで殺す」と脅す。ミックには警察の24時間警護がつく。
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8. 29 |
[1965] デイリー・エクスプレスのジュディス・シモンズは、ストーンズがアメリカのロンドン・レコーズとの契約を継続すると伝える。
[1986] アメリカで、キースとロニーがプロデュースしたアレサ・フランクリンの〈Jumpin' Jack Flash〉リリース。
[1989] ローリング・ストーンズ・レコード(US)より《STEEL WHEELS》リリース。
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8. 31 |
[1971] ミック、キース、ビル、チャーリー。ブライアンの父親は、ストーンズの元マネージャー"アンドリュー・オールダム"と"エリック・イーストン"に対して印税に関する不正な密約がデッカと交されていたとして高等法院に起訴を起こす。
[1973] ローリング・ストーンズ・レコードより《GOATS HEAD SOUP》リリース。
[1981] ローリング・ストーンズ・レコードより《TATOO YOU》リリース。
[1987] CBSより、ミック・ジャガーの〈Let's Work / Catch As Catch Can〉リリース。
また、ミックはジェリー・ホールとデイブ・スチュワート&バナナラマのシオバーンの結婚式に出席。
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