1970年代の博多は、「ロック」で連想される全ての形容詞を「無造作に」、しかもそれを乱暴にガムテープで貼り付けたような強烈なインパクトをもったイカシたミュージック・シーンが存在していた。
そう、そのころ博多の街は確かにロックな感じで溢れていた。
それは、伝説的に語り継がれるサンハウスや山善が猥褻で危険な音楽の魅力を博多の街に投下し、シーナ&ザ・ロケットがお洒落でかっこいいクールな魅力を撒き散らしていた頃に始まった・・・・。
テレビの中にロックが存在しなかった当時、博多で繰り広げられるミュージック・シーンが一番クールで、ライブハウスやダンパに出演する彼らのライブを体験することが最高にヒップだった良き時代。
そんな先輩ミュージシャンに触発されて次々とロッカーズやモダンドールズのような若手ロックバンドが続々登場してきたわけだが、その中間に登場したバンド・・・・。
THE MODS 。
サンハウスの猥褻さや山善のパンクな感じとも違うブリティッシュ・ロック系のスタイリッシュな雰囲気をまとったイカシたバンドだった。かといって軟弱な感じとは程遠く、かなり危険な雰囲気をボーカルの森山達也がしっかり兼ね備えており、彼の存在がバンドとしての魅力を最大限に膨張させていた。
MODS(モッズ)のステージを体験したものは男女に関係なく森山の発散する魅力にとりつかれていくしかなかった。
ある日、友人バンドのライブに行ったとき、たまたま共演していたMODS(モッズ)のステージを初体験。1曲目から〜Mods 森山〜に釘付けになったのは自然な流れだった。
MODS(モッズ)のステージが始まると森山は禁断のパンドラの箱を開け放ち、大人たちが毛嫌いしそうなアクションと歌詞でオーディエンスを圧倒した。ダイレクトに伝わってくる歌詞はパンクだったり、絶妙なタイミングで心に突き刺さるのは美しいバラードだったり。
森山は裏切り、じらし、興奮させながらライブの流れを自由自在に操り、客席の私たちをコントロールしていた。彼にとってオーディエンスのハートを鷲掴みにするのはお手の物。
そして、不良に恋する女子中学生のように、ライブ初体験の瞬間からModsに夢中にならずにはいられなかった。
私にとってのModsの魅力は、その歌詞にある。
私にとってのModsの魅力は、そのメロディにある。
私にとってのModsの魅力は、その存在にある。
私は1970年代後半に活躍したThe Modsが大好きだった。
でも、ライブハウスに行けば会えるという贅沢は、そう長く続かないことに気づいたときは後の祭り。
「狂い咲きサンダーロード」の映画音楽製作をきっかけにModsは東京進出をはたすことになったのだ。
ファンとしてModsの成功は嬉しかったが、デビュー後のModsは私が夢中になった曲たちを封印してしまい、以後その音楽を耳にすることはできなくなる。
そして、なぜかそのサウンドを私自身も封印していた。聴こうとするとなぜが辛くなり聴くことができなくなったのだ。
ただ、手元に残ったカセットテープ(!)の中だけに存在するModsサウンド。
パンドラの箱は再び閉ざされてしまった。
・・・・・・・。
ところが、2002年夏、ふとしたことをきっかけにカセットテープを聴いてみようという衝動にかられ再びModsサウンドに触れることとなる。その夜、60分のライブテープを何十回と繰り返し聞きながら私は1970年代に戻っていた。
今、聴きなおしても色あせることのないModsサウンドに改めて敬意を表したい。
The Mods。
私の大好きなバンドだ。
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